初めての瞬間
人には誰だって『初めて』の瞬間があります。
その物事と向き合い、その行動を起こす際、それが『初めて』のことであるならそれは自分の一生涯において特別な経験になるのです。
例えば私を例にすると、私が印象に残っている『初めて』は補助輪なしの状態で自転車に乗ることができた瞬間です。
親や兄と、時間がある日はいつも公園で練習していた記憶があります。何回も、何回も投げ出したくなりました。
「自分はこのままでいい」
「これは『現在(いま)』必要なことなの?」
ってネガティブになる瞬間も多くあったように思います。
でも、そんなことどうでも良くなるくらいそれが出来た時の満足感、そして自分への肯定感で胸がいっぱいになるあの感覚はいつまでだって心に残り続けています。あの頃の自分が諦めずに頑張ったから、兄や親が助けてくれたから、今の自分があるのです。
その時の想いを、蓮ノ空104期生の記録を追うにつれてじわじわと思い出しています。彼女たちにとってのたくさんの初めてを感じられた活動記録でした。
素直な向き合い方
百生吟子は卒業生である祖母から、蓮ノ空時代の思い出を聞かされていました。古くからの伝統文化に身の回りが覆われていた彼女の生活の中で、同年代との話題の共有というものがうまくできていなかったのではないでしょうか。古き文化を好み、自分の中で育ててきた吟子ちゃんにとって最近の流行や近代文化などは興味をひかなかったのでしょうか。その結果の友達不足?
そんな中での花帆ちゃんの存在は、吟子ちゃんにとってどんな風に見えたんでしょうか。私は、眩しく光る太陽みたいに見えたんじゃないかなって思います。
先輩後輩としてはもちろん、気兼ねなく話せる一人の友人として。
今まで吟子ちゃんの中に存在していなかった、「初めて」の先輩、「初めて」の友達。
いろんな「初めて」をくれた先輩に対して、感謝があふれている。
自分をこんなにも求めてくれていることも初めてだったのかもしれません。
でも、だからこそ、そんな先輩に迷惑をかけることはこれ以上できない。
自分の中で納得できる道ではないから。
中途半端に、いろんな初めてをくれた先輩に対して向き合うことは、先輩と一緒の夢に向かうことは許せなかったのでしょう。
花帆ちゃんも苦悩します。
だってそうです。彼女もまた、弱い体と向き合ってきた幼少期時代があった。友人なんかそれこそ数えて足りてしまうほどしかいなかったはずです。
初めて真剣に後輩と向き合う時間ができた。
彼女もまた、「スクールアイドルの」先輩として後輩と向き合うのは「初めて」だったのです。
ここで大切なことは吟子ちゃんも、花帆ちゃんが言っていることに対して一定の理解があること。花帆ちゃんはスクールアイドルを一緒にやりたい!吟子ちゃんはそれがわかってる。でも、そんな思いが伝わるからこそ、半端な気持ちでそこに参加したくない、というようなジレンマが生まれています。
吟子ちゃんは自分と同じだから。
夢はあるのに、動きたいのに、環境がそれを邪魔して閉じ込める。
飛ぶ動機はあるのに、飛ぶ翼がない。
そんな鳥かごの中みたいな毎日を過ごす毎日は息苦しい。
花帆ちゃんは無意識に、吟子ちゃんを去年の自分に重ねていたんですね。
大切にしたい、初めての、自分と重なる後輩。
その檻を壊してあげたいのに、自分ではその檻は壊せなくて。
だから力のある、開け方を知ってる先輩に助けを求めたけど、
その解法は間違いだって、自分でもわかっているのに。
その方法にしかすがれない自分が見にくくて、小さくてしょうがない。
自分は先輩になった、二年生になったはずなのに。
全然成長できていない歯がゆさが自分を蝕んで離してくれない。
そんな枯れそうな、陽の当たらない幼い花に先輩が水を、陽を、養分をくれます。
梢先輩も、沙知先輩も、その前の先輩たちも。
事あるごとに、蓮ノ空が残してきたものを後輩に伝えてきた。
何度も何度も、「初めて」の瞬間を繰り返しながら。
その想いは、梢先輩が教えてくれたもの。
大丈夫
この三文字がどれだけ勇気をくれるものなのか、きっと言った本人でさえ知らない。でもその三文字の中に詰まったたくさんの信頼は、きっと花帆ちゃん自身が103期の活動を通して、自ら勝ち取ったものだと思う。
だから花帆ちゃんが、今度は自分自身を信じる番だよね。
檻を壊すのは
吟子ちゃんが祖母から聞かされてきた、小さい頃から大好きな楽曲である「逆さまの歌」。
それは長い年月を経て、違う楽曲へと変化していきました。
自分の愛していた曲が、跡形もなく消え去って原形をとどめていない全く違う楽曲へと「変化」していたことの事実。
それは彼女にとって「変化」ではなく、「転生」。
納得することなど難しい非常な現実。
自分の愛していたものが、失われて、全く違うものになって。
そんなものを果たして「伝統」と呼んでいいものかと。
彼女は思ったはずです。
でも
曲の中に込められた、幾何年分の想いは。
何千、何万人に伝わったその曲に込められたメッセージは、
今なお、変わっちゃいない。色褪せちゃいない。
「逆さまの歌」をより良いものにし、跡を継ぐものに思いを伝える。この精神で「初めて」『変化』を加えました。
それを見たものがその行動を受け継ぎ、その後輩がそれを見て受け継ぎ――――。そうやって、時代とともに楽曲も進歩を重ねてきたのでしょう。急速に進化していく時代に、おいて行かれないように。
だから、その想いも理解しないといけない。
固定概念に捕らわれたままでは、先に進めないと誰かが気づいてくれたから。大切な楽曲を壊してまで、伝えたい、歌い継いでいかせたい想いがあったから。
吟子ちゃんは、祖母が大好きで昔の文化が大好きだった。
大好きだったからこそ、「今」につながる、繋げていく「変化」を恐れていたのではないかな、と思った。
自分が生きている今の、あっという間に過ぎていく時間の流れが、出会いと別れが付きまとう関係が、怖かったんじゃないかな、って。
俺だって怖い。
未来は希望を持てるものであると同時に、それ以上の挫折や苦難、絶望を孕んでいると思うから。
104期が始まってしまった。
梢と、綴理と、慈と。あと一年も過ごせないと思うとやるせなくて仕方ない。
社会に出ていくことが怖い。
でも「怖い」だけじゃ、今より前へは進めない。
壁にぶち当たって、上り方を探したり、超え方を探す自分に、わくわくしないといけない。
その壁を越えた先にある景色を見に行かないといけない。
この先で出会う仲間に、笑いかけないといけない。
人生は後悔と失敗と、挫折を繰り返すもの。
でも同時に、
人生は、期待と挑戦の先に待つ成功を、つかみ取っていくものだから。
冒頭の自分の話に戻ります。
「初めて」挑戦してくれた、諦めずに藻掻き続けてくれた過去の自分を、今は誇りに思います。
目先の失敗ばかりに怯えて、そのたびに逃げていく人生なら簡単だ。でもそんな人の人生はきっと「花咲」けないのだと思う。
人生を彩り、豊かにしていくのは失敗と成功を繰り返し、その中で仲間に出会うこと。
何度俯いてもいい、何度立ち止まってもいい。
その度に、また歩き出せる活力はきっと、周りからもらえる。
だから自分も、そんな仲間に寄り添うのだ。
それが自分の中で「花咲く」人生だと思うから。
自由な空の上で
過去の伝統だけに縛られた吟子ちゃんの考え方は、花帆ちゃん、そしてスクールアイドルクラブのみんなによって壊されました。
そんな吟子ちゃんを加えた新生スリーズブーケの三人が歌った
Reflection in the Mirror
「伝統」とは過去を尊重し、現在を見つめ、未来に伝えていくもの。時間の流れによってその姿を変え、されどその想いは変わらず受け継がれていく、不変で可変なもの。
変化はあっても、メロディや歌詞が違くとも。
それを歌った人たちの想いは、時間を経てもつながっているもの。
かつてこの曲を歌い継いだ祖母のように、吟子ちゃんもまた、ステージの上に立ってこの曲を歌い継いでいく担い手の一人になったのです。
初めてスクールアイドルとして、ファンに向けて、そして自分に向けての想いも載せて歌った、思い出の歌。
忘れられない瞬間になったはずです。
自分を励ます曲から、誰かと一緒なら自分を信じられる曲へ。
勇気づけたい誰かがいる。
その気持ちだけで動けるし、歌詞も変えていける。
そんな突発的で身勝手な人を、「花帆先輩みたいな人」と表現している辺り、吟子ちゃんにとって花帆ちゃんがすでにそのような存在になっていることが少し微笑ましいですよね。
一人でなく、みんなと。
スクールアイドルとは孤独な存在ではない。
ファンを楽しませ、ライバルと切磋琢磨しあい、仲間とともに自分にの「在り方」を探すもの。
それは今現在の蓮ノ空の中でも表現されている。
これを見て考えると、昔とはスクールアイドル、基い表現者の「在り方」は今とは少し異なって、孤高を貫く存在だったのではないかと考えられる。協力ではなく、自己研鑽を繰り返して他を蹴落とす。そんな表現者が上に立っていたのではないか。
実力至上主義が今よりも顕著だった以前なら、この考え方にのっとって動いていても何ら不思議はない。
今よりもソロアイドルが推進されていたのかもしれない。
いや、そもそもグループという概念が存在しなかったのかも?
吟子ちゃんのおばあちゃんが歌っていた「逆さまの歌」。
いつか聞ける日が来るのでしょうか。
Ritmと聞き比べとかしてみたいですよね。
同期なんて単純で、小さなものでいい。
それを育んで、大きく育てていくかは自分次第。
吟子ちゃんは大きな、大きな一歩を踏み出しました。
過去にとらわれず、未来を見つめる新しい考え方を。
彼女にはこれから多くの「初めて」が待っているのでしょう。
三大文化祭など多くのイベントも控えています。
その度に祖母の経験談を思い出しては、その時に思いを馳せて駆け抜けていくのでしょう。
彼女がどんな思いで、どんな変化をもってこの一年間をかけていくのか、これからに期待してしまいます。時に挫折も経験し、すれ違うこともあると思いますが、隣には大きな二人がいます。8人の仲間がいます。
だから、大丈夫。
最後に、この話を通して心に突き刺さった梢先輩の一言で占めたいと思います。