「スクールアイドル」としての在り方
104期活動記録第二話後半の振り返りです。
振り返りというか、自分の感想です。
ぜひ、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
共通点
今回はDOLLCHESTRA回でした。
とくにさやか、小鈴に焦点が当たっているお話。
この二人に共通点があるとするなら、二人とも自己評価が嘘みたいに低いところだと思っています。
さやかに関しては、103期の活動中に大きく成長して、少しくらいは自信もついてもいいんじゃないかと思ったりもしますが、少しの間も初心を忘れずに、自分にストイックな姿がさやかの魅力としてすでに確立されてしまった節があります。
一方新加入の小鈴は成功体験を繰り返してこなかった、というかお話だったりキャストさんとのトークも見ている中で思ったのは「挑戦すること」そのものに価値を置いて、成功しようが失敗しようが、まず「挑戦すること」事態が彼女にとって素晴らしく価値のあるものになっているんじゃないか、なんて考えたりもしてしまいます。
小鈴にとって、さやかは自分の中での価値観を変えてくれた先輩であり、恩人。彼女の目線で、さやかはどれほど眩しく見えているんでしょうか。
でもそのさやか当人に至っては、自分が成功よりも何倍も多くの失敗を繰り返してきたことからの慢心のないスタイルの確立に至ったわけですから、後輩目線で物語が進むと「あ、そういえばこの子ってこういう子だったよね」と、時間の経過と過去の出来事も思い出す機会があってなんだか少しうれしくなりました。時間の経過というものは惜しいことばかりではないのかもしれませんね!
決めるのは、自分だ
”特訓”を終えた二人が臨んだライブの映像を振り返って、さやかが気づいた、気づいてしまった最大の欠陥。
それは、踊れているだけの小鈴。
さやかを真似て、姿恰好だけ合わせた、空っぽの人形劇。
いろんな人の「伝え方」をみた。
「魅せ方」を見れた。
でも、やっぱり脳裏にこびりつくのは憧れの、隣の先輩の姿。
今回の話で自分が感じたことの中で最も大きかったもの。
それは、
間違いって何?正解って、何?
ってことです。
間違いって何ですか?
正解って何ですか?
どんなものにも定義はあって、人によって共通の価値観は存在するのかもしれません。でも、自分の選択に後悔はあっても、間違いなんてものはないと思うんです。
だって、人生は間違いと後悔の連続だから。
その「間違い」と「後悔」の中にきっと、その選択を「正解」にできる日が来るのかもしれないと。そう願って毎日毎日、生きていくことしかできないんじゃないかなって。
自分の表現があっているのかどうかはわかりませんが、それが人生という自分の描く物語の安い表現だと思っています。
正解も間違いも、その方法も、人の数だけあっていいと。
だって、その答えに辿り着くのは自分だから。
この「Sparkly Spot」の歌詞がすべてじゃないですか?
104期のSparkly Spotのイントロ部分が自分、本当に大好きなんですよね。
小鈴がDOLLCHESTRAとして歌う初めての曲がこの曲で、本当によかったなぁと思います。
七転八起
この記録の副題は「踊り続けよう、きみが見てる」でした。
この「きみ」が誰なのか?という点をこの物語の中で焦点が当たっていたさやかと小鈴の二人に限定して考えます。
まずは、小鈴にとっての「きみ」
これはまずはこの物語の目的といってもいいでしょう。小鈴の家族の存在です。家族に立派に活動している自分を見せること。それが今回の一幕の原点でした。
次に、さやかにとっての「きみ」
これはもう小鈴の存在以外考えられませんでした。
さやかにとって、スクールアイドルとしての初めての後輩という存在。
今までのさやかの関係性の中で決定的に他の人と違う点は、小鈴はさやかに対して憧れや尊敬の念を抱いている点。
なかなかに、去年の誰かさんを見ているようで(実際そんなシーンが今回の話の中で語られていた)
相変わらず、どこか核心をついたような言葉を毎回ぶん投げてくる綴理先輩の洞察力と表現力にはお手上げ状態です。さすが、芸術の天才。
去年のDOLLCHESTRAがうまく重なった要因には、綴理先輩が綴理先輩であったから、という点が多くかかわっているように感じます。
普段は不思議な女の子だけど、誰よりもスクールアイドルを「芸術」として理解し、表現することができる技術を持っている。そしてその中で、本質を突くような言葉を発する意志の強さも持ち合わせている。
それをたどった先に、自分での理解を含めた状態で踊れていたから、103期のDOLLCHESTRAは素晴らしかった。
では、小鈴は?
低い自己評価、足りない成功体験、気も小さく、スクールアイドルに関しても稚拙で未完成な子。
そんな子をあの二人の間にうまく当てはめるためには?
さやかは特訓で「余裕」「観客の表情」「想いの乗せ方」を伝えました。
でも、隣の小鈴の最高到達点は、さやか本人であることに気づかない。
「憧れる」って字、小さな童(わらべ)って書くんですよね。
一人では何もできずに、周りの人に助けてもらって進んでいく人。
まさに自己評価の低い二人を表すような言葉です。
さやかは綴理に「憧れ」、小鈴はさやかに「憧れ」てきたのだから。
七転八起
よく転ぶ子だったというまさかの事実がここで明らかになってしまったわけですが、頭に浮かんできたのはこの四字熟語でした。
何回転んだっていい。また起き上がればいいじゃない、と。
ここで大切なのは起き上がる、ではなく起こしてもらう、という点です。自己評価の低い二人は、それこそ周りの力にすがって、頼って、それでも自分で走ることをやめなかった。その原因、というか理由は、周りの人の支えがあったから。だと思います。
ここで今回の焦点に返ってくるわけですな。
「家族の前で、自分がしっかり活動しているところを見せたい」
そう思って始めた特訓の中で、様々な共通点の中にコンプレックス(?)を抱える二人の物語。
そこに正解はなく、間違いもまたない。
決めるのは、自分なのだから。
自分の、スクールアイドルとしての「在り方」なのだから。
綴理という、憧れの先輩と。
小鈴という、導くべき後輩。
二人の間に挟まれたさやかは、また先へと進んでいく。
不格好でもいい、汚れていてもかまわない。
大切なことは、想いを乗せること。
自分の伝えたいことを乗せて、最後まで貫き通すこと。
さやかは、「羨望」というものを知らなかったのでしょうか。
だから最後まで、小鈴の想いに疑心暗鬼になってしまったのでは。
でも、もう大丈夫。
さやかはまた「失敗」を原動力に変えて、走っていく。
その背中を見て、追いかけようとする後輩がいる。
その姿を見て、満足してくれる憧れがいる。
過去の「失敗」を、現在の「成功」に。
ちぇすと
このブログを書いていて、小鈴のいつも言っているあの掛け声は小鈴に自信を持ってほしくて教えてくれた合言葉なのではないか、なんて考えたりもしてしまいます。
自信を持っている→胸を張る→CHEST
考えすぎ?(笑)
この二人、すごく似ているようで、その境遇はかなり似つかない。
でもそんな二人だからこそ、多くのことを乗り越えていけるんだろうなという謎の確信を感じると共に、そんな二人を圧倒的技量で引っ張っていく綴理先輩との三人でのこれからの活動展開が、楽しみでしょうがありません。
そんな三人での最初の一歩、「レディバグ」
テントウムシの名にそぐわない(と自分は考えている)二色の衣装に身を包み、静かな熱情と、激しい気迫が交差するDOLLCHESTRAらしすぎる楽曲。
幸いにも、この話を通して自分が感じたことがうまく当てはまっている歌詞を見つけてしまって、一人で舞い上がっています。
小鈴がこれからどんな風に成長していくのか。
さやかがどんな先輩になるのか。
時間が流れていくことを惜しみながら、明日への希望をもって蓮の活動を追えて行けるのなら幸いです。