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新しい発見

長く読み続けていた作品が終わりを迎えるとき、いい作品であればあるほど終わりを迎えた寂しさは大きく、それと同じくらい「お疲れ様でした」と作品を描ききった作者たちに対して惜しみない拍手喝采を送りたくなる。

最近の作品であれば「僕のヒーローアカデミア」などがそうだ。自分が週刊少年ジャンプを読むようになってから数ヵ月後に始まった作品はつい先日長い旅路を終えた。
「双星の陰陽師」などもそうだろう。兄に勧められたこの作品もまた、ジェットコースターのような感情の起伏を繰り返しながら、見事な大団円を迎えた。

そして、まだ終わる前ではあるが「【推しの子】」もそうだ。

私は推しの子が大好きである。
というのもアイドルが大好きな自分は好きにならない方が難しい作品であった。

この作品のテーマは「嘘と愛」

なかなか僕らのような一般の人が見ることの無い芸能界の裏側を「嘘」という簡単かつ難しいテーマで描いていた。
そして愛。
この作品の中心人物であるアイがこんなことを言っていた。

嘘はとびっきりの愛なんだよ?

嘘と愛、一見かけ離れたように見えるこのふたつの言葉は実は近いのか?なんて疑問を抱きながらこの作品を読み始めました。

嘘について

この作品を読んでいく中で、そして社会で暮らしていく中で気づいたことがある。
「嘘」にも種類がある。

悪い嘘と、優しい嘘のふたつだ。

悪い嘘とは、人を騙し相手のことを慮らない、蹴落とすような嘘。
優しい嘘とは、人を悲しませないような嘘、そして時により強い悲しみを産んでしまう嘘。

最初に言っておくが私は嘘があまり好きではない。
だがこれまで嘘をついてこなかったのか?と言われればそんなことは無い。むしろ嘘で自分のプライドを失わせないと身体を覆っていた、今考えればバカバカしい時期もあった。

親にも、友人にも何度も嘘を重ねた。
本当の事が判明した時、何度も馬鹿みたいに怒られた。
でも嘘をつくことをやめなかった。
自分が「瞬間的な」幸せを感じるために。

自分も成人し、親の大切さを身に染みて感じ始めた頃だが、子供の頃はヤンチャだったなと思う。
お母さん、怒ってくれて、怒り続けてくれてありがとう。

そう思い返すと私は「優しい嘘」をついたことはないように思う。
当たり前のようなことを言うが嘘はいずれバレるものである。
優しい嘘なんてものに瞬間的な優しさはあってもそれを「優しさ」と呼んでいいのか、私には分からない。
怪我をした時に、痛いけど大丈夫と見栄を張る嘘。辛い事があったのに相手を悲しませないために抱え込む嘘。
いずれ被る辛さに比べればそんな「優しさ」なんていらないと思ってしまう。

愛について

アイドルはいつも笑顔で私たちの前に現れて、キラキラした輝きを放ちながら私たちに元気を分け与えてくれる存在だと思う。

その裏でどんな苦痛があるのか私たちには知る由もない。

愛というものの価値は、人によって、対象によって様々なものだと思う。
兄弟や家族に向ける愛、恋人に向ける愛、推しに向ける愛。
全部、同じ愛であっても形や大きさは違うものだ。

先程言った「見栄を張る優しい嘘」というものにアイドルからの愛は少し関係があると思う。それはこの作品を読んで感じ始めた感情(モノ)だ。
私たちに見せている笑顔は仮面のようなものであるかも、と感じるのは無粋だがそんな感情が一切ないかと言われたらそんな事はないと言わざるを得ない。

これは信頼の有無ではなく、個人の感情故の問題なのだ。

私は有馬かなが大好きだ。
時折見せる乙女の顔、弄られてからの反応の豊富さ、煽り性能の高さ。そして何より相手を思いやりすぎるほどの優しさに私の心は奪われた。

でも私は他作品の推しを見ていくと、タイプとしてはお姉さんキャラがタイプなのだ。髪型もボブではなくストレートのロングの方が好きだし胸だってでかい方が好きだ。

この作品に出てくる子だと黒川あかねや寿みなみ辺りが好きになりそうなタイプだ。

でも私は有馬かなが好きなのだ。

何が言いたいかというと、愛とか好きって理屈じゃないってことで。好きと言われたら好き、理由とかそこに求めるものじゃないのだと私は思っている。

もちろん理由なんか沢山あるし実際私も有馬かなのどこが好きかを上述している。
でもこんなモノはただの一欠片に過ぎない。
想いの強さは、言語化なんか出来やしないししなくていい。
大切なのは自分がどう思うか、そこに尽きるのではないだろうか。


さて、色んなことを書き綴ってきたが嘘と愛、どちらも自分が考えていたよりもずっと薄っぺらいもので、奥が深いものだと知れた。
それはこの作品と出会わなければ辿り着かず、考えることもしなかったようなことだ。

私が漫画や小説に求めているものはそんな新しい発見である。

日常的に生きているだけでは思いつかないような何か、繋がらない不特定多数の言葉を繋ぐ何かを生む物語性。
勿論読み続けるためには作品自体に濃さと面白さを含めていく必要があるが、長さは関係ないのだ。

結局何が言いたかったのか、自分の中で上手く纏まっているのか分からないがこんなことを語りながら、考えながら読む作品も悪くない。

恐ろしく単純なことを馬鹿みたいに面倒に考えてみてもいい。
複雑すぎる構成を、一旦一本線で結んでみてもいい。
それもまた物語を歩む醍醐味では無いだろうか。

そんな楽しさを産んでくれるクリエイターに今日も沢山の感謝を🙏

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