見出し画像

10年ぶりの「いらっしゃい」 ―ホームレスだった高橋さんの「脱路上」の軌跡

※本記事は、個人のプライバシーに配慮するため、必要に応じて時系列や個人及び団体の情報を加工しています。

ホームレス支援をしている人であれば誰もが痛感していることだと思うが、ホームレス状態の方が路上から住居を得て生活を安定できるようになるまでには(支援者も当事者も)かなりの時間と労力を必要とすることが少なくない。
特に、ホームレス状態になって何年も経ってしまうと、本人が精神的にもなかなか「脱路上」に踏み切れなくなってしまう。
無論、福祉事務所で嫌な経験をしたことがトラウマになっていたり、家族への扶養照会を恐れて生活保護の申請に踏み込めない、というのは常々指摘されていることであるが、こうした社会的条件が整ってもなお、長年路上生活をしている人は現状を変えること自体に躊躇してしまうことも少なくない。

以前、別のところでも書いたが、路上生活と言ってもどこでも寝られるわけではない。より条件の良いところは「取り合い」になるし、一度離れることで行政から規制されてしまうこともある。
上述した路上生活者の”躊躇”の背景には、「現在の寝床を離れてしまうとうまくいかなかった時に戻れる場所を失ってしまう」というリアルで切実な危機感があるのだ。

私が大学院修了後に入社したNPOは、まさにこうした長期間路上生活を続けている人を主な支援対象としていた。そのため、「ホームレス状態の人の自立支援」を掲げているものの、なかなかアパート入居といった分かりやすい「成果」に繋がらない。

毎日のように路上生活の方の相談に乗っているのに、誰もアパート入居に繋がらない日々が続くと、「自分は給料をもらってホームレス支援を仕事としているのに果たして当事者の役に立てているのだろうか」というやりきれない思いが湧いてくる。
しかし同時に、アパート入居に踏み切れない多くの当事者と話せば話すほど、メディアなどで再生産される「分かりやすい物語」には回収できない人間の葛藤やリアリティに向き合う面白さも強く感じていた。

「ネットカフェ生活8年」、高橋さんのジレンマ

そういった葛藤を抱えた当事者のひとりに、高橋さん(仮名・40代男性)がいた。
高橋さんは、高校卒業後に地方から上京し住み込みで働くようになるが、職場の人間関係などにつまづき、職を転々とする。
そして、ある時から仕事に行くことができなくなり、引きこもりの生活を送るようになった。
収入は途絶え、頼れる家族がいるわけでもなかった高橋さんは一人暮らしをしていたアパートを追い出され、路上とネットカフェを行き来する生活を送るようになる。

日雇いの仕事などでお金があるときはネットカフェに泊まるが、所持金が尽きればまた路上に戻るという繰り返しである。
しかし、職場での働きぶりが少しずつ評価されるようになった高橋さんには、毎日のように仕事が入るようになっていく。
私が高橋さんと関わるようになった頃には、毎日ネットカフェを利用することができるようになっていた。

その頃の高橋さんは、毎日のネットカフェ代でひと月に8万円ほど払っていた。
そうであれば一般のアパートの家賃が払えると思われるだろうが、東京でアパートを借りようとすれば敷金・礼金、前家賃などで初期費用が少なくとも20万円はかかる。また、身分証(住民票、運転免許証など)や携帯電話を持っていない高橋さんの状況では保証会社の審査がおりない。

そこで、私は所属のNPOが行っている居宅訓練事業を紹介し、アパート入居を目指さないかと話してみた。当事業は、NPOが借り上げている物件に敷金や礼金、保証人なしで入居してもらい、半年から1年ほどかけて一般のアパート入居を目指すというものである。利用者から月々利用料(光熱費込)として4万5千円をもらうが、そのうちの1万5千円は積み立てておき、事業利用修了時に返金されるため、訓練居宅から一般のアパートに移る際の資金に回すことができる。
(ちなみに当時、この事業では物件の借り上げ費用が7万5千円だったため、NPOとしては毎月4万5千円の赤字であった)

高橋さんの場合、毎日のネットカフェ代で月々約8万円払っているわけなので、理屈のうえでは積立金を含め毎月5万円を貯めることができることになる。半年あれば30万円になるので初期費用としては悪くない。訓練居宅に住民票登録をすれば携帯電話や身分証といった必要資源を準備する展望もひらける。

しかし、高橋さんは事業に関心を持ちながらも、なかなか踏み切れない。
その理由について、彼は次のように語った。

「ありがたい話だとは思うんですが、自分がこういう生活になったきっかけは『引きこもり』じゃないですか。だから、自分の住居を持つということへのこわさがあるんです。今のネットカフェ生活であれば、利用時間がくれば嫌でも出ないといけないでしょ?それで毎朝、職場に行くというリズムができている。それが、朝になっても誰にも起こされない、寝ていられるということになると、仕事にも行けなくなってしまうんじゃないか、一日中テレビを見てるようになってしまうんじゃないかと不安で…。永井さんから生活保護の話をしてもらった時もなかなか前向きになれなかったのも同じ理由なんですよね…。」

「そろそろ畳の上でご飯が食べたい」―きっかけになった一枚のビラ

そして高橋さんは毎日朝から日雇いの仕事をし、ネットカフェに泊まるという生活を続けた。
私は、高橋さんと話す機会があると、それとなく今後についてや居宅訓練事業について水を向け、「その気になればいつでも相談してください」と声をかけていた。

そんな関係が1年ほど続いたある日、高橋さんから面談の要望があった。
話を聞くと、居宅訓練事業を利用したいという。

私は、「こちらは大歓迎ですが、これまで引きこもってしまうかもと不安に感じられてましたが、何か心境の変化があったんですか?」と聞いてみた。

すると高橋さんは次のように語ってくれた。

「今の(仕事の)現場が割と落ち着いた住宅街の近くなんですが、昼休憩に公園でコンビニ弁当を食べていた時にふと不動産のビラが目に入ったんですね。その時に『そろそろ畳の上でご飯が食べたいな』と思ったんです。」

そして高橋さんの訓練居宅での生活が始まった。
居宅訓練事業では、月に1回面談を行い日々の暮らしぶりについてや、今後の展望などをヒアリングすることになっている。
また、訓練居宅自体が事務所から徒歩10分程度の場所にあるため、時々スタッフが訪問したり高橋さんのほうからちょっとした困りごとをいつでも相談してもらえる環境にあった。

高橋さんのこれまでの生きづらさには、引きこもってしまって社会との関わりがなくなってしまうというのがあったため、高橋さんとも相談し「できるだけ毎日事務所に顔を出してその日の仕事のことなどを共有してもらう」というルーティンで当面やっていきましょうということになった。
訓練居宅に入った翌日、早速高橋さんは事務所で感想を述べてくれた。

「やっぱり、しっかり足をのばして畳のうえで寝れる、時間を気にせずシャワーを浴びられるっていうのは良いですね。ネットカフェだと何をするにも周りに気を遣わなきゃいけないし、監視されてるっていう感覚が拭えない。それで無意識のうちに疲労もたまってるんでしょうね。昨日は久しぶりにゆっくりと寝られました」

しかし、訓練居宅での生活が1週間ほどたった頃、高橋さんは熱を出して寝込んでしまう。
実は、路上やネットカフェで生活をしていた人が住居に入った途端に体調を崩すというのは珍しいことではない。それまで様々な心身のプレッシャーに耐えてきた彼らが安心して寝ることのできる環境に入ると、過剰な防衛機能が解除されることで蓄積された疲労が症状に現れるのだと思う。

なお険しい、「脱路上」への道のり

その後、体調も回復し順調に日雇い仕事を続けた高橋さんは、訓練居宅の利用料を滞納することもなかった。できる範囲で自炊にも挑戦していた。
ただ、半年間のうちにアパート転宅のための初期費用(最低20万円目標)を貯めるためには、積立金とは別に10万円ほど貯金する必要がある。
ネットカフェ時代の高橋さんの金銭管理ができればさほど難しい金額ではないのだが、やはり、「時間が来れば嫌でも出なければいけない」ネットカフェという環境でなくなると、仕事に行ける頻度は少しずつ減っていく。

元来、朝に弱く起きることが苦手な高橋さんは、朝起きられず仕事に行けない→自己嫌悪で気持ちが落ち込む→うつ傾向から倦怠感がひどくなる→朝起きられず…といった悪循環になってしまった。

それでも「燃えるゴミの日はできるだけゴミ出しをしてその足で(NPOの)事務所に顔を出す」や、「仕事に行けなくても自分を責めない」といった独自のルールを高橋さん自ら考案し、日々のリズムをつくろうと努められていた。

決めたルール通りうまく過ごせる日もあれば、一日ベッドから動けない日もある。
試行錯誤の毎日だった。

それでもなんとか利用料を滞納することなく半年間の居宅訓練を行うことができた高橋さんだったが、携帯電話の契約など、アパートへの転宅をするための準備がまだ十分に整っていなかった。そこで、居宅訓練の期間を3か月延長することになった。

しかし、過去の借金などの関係から、ブラックリストに載ってしまっていた高橋さんは、大手キャリアの携帯電話の契約は難しかった。そこでプリペイド携帯の契約を目指したものの、当時プリペイドを扱う会社は少なくなっており難航した。それでもなんとか携帯電話の契約にこぎつけた高橋さんは、いよいよ住宅探しを行うことになる。

「保証会社の審査」という壁

予想通り、住宅探しも難航する。
高橋さんはNPOの事務所と職場からさほど遠くない場所ということで、新宿区内での物件を希望されたものの、「日雇いでの収入」「頼れる親族はいない」ことが分かると不動産会社から門前払いされることも多く、可能性のある物件に内見をすることさえできなかった。

そこで、日ごろからお世話になっている他団体に相談をし、「困窮者への理解があり、生活保護での入居などの実績が豊富な不動産会社」を紹介してもらうことになった。
すぐに不動産会社に予約を入れて同行すると、スタッフの方がとても丁寧に対応してくれる。

高橋さんの場合、今後仕事が続けられなくなった時のことを考えると、入居後に生活保護の申請をする可能性もあった。そのため、生活保護の住宅扶助費の上限(新宿区であれば5万3700円)をこえない家賃で探すことになる。
新宿区内でこの条件にあう物件自体が少ないうえ、大家の意向で「保証人は親族が必須」としているところもあるなど、なかなか内見できる物件が見つからない。
それでもベテランのスタッフの方が頑張ってくれたため、なんとか内見できる物件を見つけることができた。

すぐに内見に行き、高橋さんが気に入った物件に審査をかける。しかし、ここでも問題があった。この物件では保証会社を通すことになり、保証人を立てる必要はなかったものの、緊急連絡先は書かなければならない。
NPO団体として緊急連絡先になることを申し出たものの、「個人でないと審査が通らない可能性が高い」という。そこで私が緊急連絡先として名前を書き、連絡先の番号を団体の携帯電話にすることになった。

こうしてようやく、入居に向けた審査結果を待つところまでこぎつけることができたのである。

帰り道の高橋さんの表情は明るい。

しかし、後日、不動産会社から審査が通らなかったとの連絡が入った。
理由は教えてもらえない。

はじめての「おじゃまします」と、10年ぶりの「いらっしゃい」

落胆している暇はない。
すぐに再度不動産会社に出向いたところ、すでにスタッフの方が物件を探していてくれた。そして、新宿区からは少しはずれるものの、通勤圏内で家賃などの条件にあうところが見つかった。
ただ、その時点では入居者がまだ住んでいたため内見はできないという。

高橋さんが自分の住まいを失って10年。
高橋さんとしても再出発の物件はできるだけ内見をしたうえで決めたかったと思うが、築年数もさほど古くなく間取りも良く、なによりこれまで親身に住宅探しをしてくれたスタッフの方の太鼓判もあり、申し込むことになった。

そして後日、保証会社の審査が通ったという連絡が入った。

それからは入居日に合わせて家具を手配したり、訓練居宅を一緒に掃除したりと慌ただしかった。

高橋さんがアパートに転居した翌日、引越し後の後片付けを手伝おうと新居に訪問した。

インターホンを押すとすぐに高橋さんが顔を出す。
「おじゃまします」
「いらっしゃい」

一見当たり前のやりとりだが、私にとって「高橋さん宅」はホームレス支援をはじめてはじめて「おじゃま」した家であり、高橋さんにとって私は10年ぶりの「来訪者」だった。

この時の高橋さんの笑顔を、私は忘れることができない。

その後…

高橋さんがアパート入居してから、3年が経っている。
この間、引きこもりの傾向が出て仕事に行けない時期があったりと、全てが順風満帆というわけではなかったが、現在は生活保護も利用しながら日雇いの仕事を続けている。

※本記事は、個人のプライバシーに配慮するため、必要に応じて時系列や個人及び団体の情報を加工しています。

よろしければサポートをお願い致します。いただいたサポートは、執筆にあたっての文献費用やオンラインなどでの相談活動費にあてさせていただいております。