”ポストコロナ時代の福祉”ー今こそ再考したい「ハウジングファースト」
今回のコロナ禍をきっかけに生活に困窮される人が増加しているのは各方面で報告されているが、同時にこの感染症は、「住居を持てない」ということの意味をこれまで以上に社会に突き付けたと言えるように思う。
これもまた再三指摘されてきたことだが、とりわけ東京の住宅問題はあまりにひどく、国はステディな住まいを持たない人への政策をないがしろにしてきた。今回、ステイホームしたくてもできない路上生活者の方やネットカフェ難民の方などが福祉事務所に押し寄せ、混乱している(いわば「福祉崩壊」と言える)現状は、これまでの脆弱な住宅政策を放置してきた“ツケ”だと言わざるを得ないだろう。
そこで、なぜ今これほどまでに福祉事務所が混乱し東京の住宅問題が顕在化しているのかについて、私自身の経験ももとに整理してみたい。そのうえで、そういった問題を是正する展望について、2018年に発行された『ハウジングファースト-住まいからはじまる支援の可能性』を参考に論じてみたい。
居宅保護が守られない東京のホームレス事情
冒頭でも指摘したように、東京都の住宅政策の脆弱さは、驚愕するほど酷い。これは私が広島から上京し、東京のホームレス支援を始めて最も驚き絶望したことでもあるので、前提の共有として簡単に説明しておきたい。
ご存じのとおり、日本には最低限度の文化的な生活を送れない状態の方に最低生活を保障するために生活保護という制度がある。そして、今手元にある『生活保護手帳』を開いてみると、生活保護法第30条において、いわゆる「居宅保護の原則」が法律で明記されている。
生活扶助は、被保護者の居宅において行うものとする。ただし、これによることができないとき、これによっては保護の目的が達しがたいとき、又は被保護者が希望したときは、被保護者を救護施設、更生施設若しくはその他の適当な施設に入所させ、若しくはこれらの施設に入所を委託し、又は私人の家庭に養護を委託することができる。
2 前項ただし書の規定は、被保護者の意に反して、入所又は養護を強制することができると解釈してはならない
より一般的な言い方をすれば、最低生活の保護は「個室でプライバシーが守られ、衛生面や安全性など市場のアパートとしての基準を満たした住環境」でおこなわれるのが大原則であるということだ。
この生活保護法について大学で学んでいた私にとって、「こうした制度のある日本で何故、ホームレス状態の方がいるのか」というのは素朴に疑問だった。
無論、地域に限らず現在の日本では生活保護利用者への風当たりの強さや偏見から、生活保護を利用したくないと考える方がいること、福祉事務所のずさんな対応によって適切に制度利用に繋がらない機能不全などが生じているであろうことは容易に想像できたが、それでもなお、路上という過酷な環境での生活を選択する人が一定数いることは不思議だった。
その答えの一つは、ホームレス支援の現場で働きはじめてすぐに理解できた。
実は、都内の路上生活の方が生活保護を申請しても、すぐにアパートに入れるのは稀で、民間の宿泊所や無料低額宿泊所とよばれる施設への入所を強制される実態がある。
そしてとりわけ問題なのは、こうした施設の多くが、人が生活するには極めて劣悪な住環境にあるということ。
「2段ベッドがずらーっと並んでいてカーテンで仕切られているだけ」「ベッドシーツはダニだらけでかゆくて寝られない」「ストレスから精神的に追い詰められて大声を出してしまう人がすぐ隣にいる」「『寮費』として保護費をひかれて、1日数100円しか使えない」
当時、こうしたホームレス当事者声を毎日のように聞いた。
その結果、「無料低額宿泊所に入るくらいなら路上のほうがマシ」と言って生活保護をきって路上に戻ってしまう人がとても多いのである。
私が大学院生の頃、生活保護利用者の住環境についてヒアリングをしていたが、その際「個室」などはあまりに当たり前で、「エアコンはきちんと効くか」といったレベルで評価基準を設定していた。そんな私にとって「路上のほうがマシ」だと言わせてしまうような東京の住まいのセーフティーネットのレベルの低さは驚き以外のなにものでもなかった。
無論、保護を開始するにあたってアパートなどがすぐに見つからない場合、「居宅保護」に向けた仮の住まいとして「十分な条件を満たせていない住居」に一時的に入ってもらうという、やむにやまれない状況を想定しておく必要とその意味はあると思っている。
「適切な住環境以外での保護の開始を一切認めない」とした場合、そういった資源が間に合わない事態になった際に路上で寝てもらうしかないという機能不全に陥ってしまうからだ。
しかし、それはあくまでも緊急・例外的な対応であるべきであり、一刻も早くアパート転宅などを目指すのが大原則であるはずだ。
ところが施設での生活保護利用者がアパートへの転宅を訴えても、「金銭管理ができるようになったら」「健康管理が自分でできるようになったら」「掃除や身だしなみなど一人暮らしができることを証明できたら」といった極めて曖昧な条件をあげられ、転宅が認められないということが非常に多い。
このように、東京都は居宅保護の原則を無視した運用を長年続けてきた。
そこに生じたのが今回のコロナ禍だった。
突然、「ステイホーム」が社会的にも物理的にも要請されたわけであるが、個室での保護のための資源整備を(物件の確保といったハード面でも、運用上のマインドといったソフト面でも)怠ってきた行政に、居宅保護を実行する力はない。
皮肉なことに、福祉事務所が「楽」をすべく居宅保護の原則を無視してきたことが、現在の「福祉事務所の苦境」を招いてしまったのである。
「ハウジングファースト」概念と現場の葛藤
さて、本書ではこうした東京都の(当事者支援における)課題を様々な統計やデータから指摘しつつ、「ハウジングファースト」の理念が以下のように掲げられている。
ハウジングファーストでは、プライバシーが保てる住まいをもつことは人権であり、人は誰も、安全な住まいで暮らす権利があると考える。住まいは決して、精神科医療にかかることや断酒してしらふで過ごすことを条件として、その引き換えに提供されるものではない。アパートに住んで自分で管理できる空間の鍵をもつということは、その人の尊厳そのものである。(本書16頁)
改めて考えてみると、ここには、別に何か新しい理念や考え方が打ち出されているわけではない。「自分の居宅に住むということを原則とする」という話は、すでに確認したように現行の生活保護法で明記されているし、これが制定されてから70年近く経っている。
しかし、この「何をいまさら」とツッコミを入れたくなるような原則が守られていない現状に、行政はもちろん、現場の支援者も今一度向き合う必要があるように思う。
というのも、日々、支援の現場で様々な生きづらさを抱える方と接するなかで、「アパートでの一人暮らしを安易にすすめていいのか」とこちらが葛藤するケースもあり、ともすると当事者の権利侵害に、間接的に加担してしまっていることも往々にしてあるように感じるからだ。
それは例えば頻繁に「死にたい」と訴える方などに見守り機能のない環境での生活を促した結果、取返しのつかない事態に発展してしまわないかという懸念などからである。
批判を恐れず白状すれば、私自身「アパートに入りたい」と訴える当事者に対して、「○○さんの場合困ったときにすぐに相談できる人がいる環境のほうが安心ではないですか?」と、暗にその時の環境のほうを「推し」てしまったこともある。
また、現状として、路上からのアパート入居を目指す際には住民票の取得、携帯電話の契約、前家賃など入居に伴う様々な資源の確保、アパート探しなど、非常に「課題」が多く、その過程で疲弊してしまう方も多い。
幼少期から様々な困難や“失敗”を繰り返し、自尊心を傷つけられてきた当事者の方に、新たな“失敗”や挫折の経験をさせてしまうことにならないか。よかれと思って勧めたアパート入居が、結果的に相手を傷つけることにならないか。。。
勿論、「この人にとって良い帰結にならないかもしれないから」と勝手に判断をし、きちんと情報提供をしないのは当事者の〈知る自由〉〈選択する自由〉を剥奪する行為である、と理解している。
それでも、上述したような不安などから、「適切な住まい」への入居を最優先とせず、「今はまだ条件が整っていない」などと、無意識のうちに行政的な「ステップアップ方式」を踏んでしまうことがあるように思う。
しかし、本書では、「ハウジングファースト」の理念だけではなく、その“有効性”についても示されている。
「ハウジングファースト」の“有効性”に関する知見
本書での整理によれば、1990年代にアメリカで生まれたハウジングファーストの取り組みが全米の各都市に広がり、現在ではカナダ、フランス、スウェーデン、スペイン、ポルトガル、オランダ、オーストラリアなどの各国で採用されているのには、ホームレス支援におけるハウジングファーストの有効性が研究によって実証されたことも大きいと言う。
その先駆的な調査としては、ニューヨークのホームレス支援団体が2000年に報告したもので、ハウジングファーストプログラムを提供した精神疾患をもつホームレス状態の人241名と、従来型のステップアップ方式の支援が提供された1600名との比較調査があるとのこと。
調査内容の詳細は本書にゆずるが、両群の比較調査の結果、以下の知見が得られたと報告されている。
① ハウジングファーストプログラムでは5年後の住宅維持率が88%だったのに対し、従来型のモデルでは47%だった。
② この結果を皮切りに、アメリカやカナダで比較研究がすすめられ住宅維持率の高さ、精神科入院期間や住まいを得るまでに要した時間の短さ、費用の安さ、QOLの向上といった効果が実証された。
さらに本書では、「つくろいハウス」の実践などを通したハウジングファーストの国内の取り組みと課題についても整理されており、まさに“現場の汗”とともに掲げられるハウジングファーストの意義が力強く示されているという点で、とても読み応えがあった。
“パラダイムシフト”すべきなのは、誰か?
こうしたエビデンスや実践的な取り組みの蓄積を知ることは、支援の現場で当事者と向き合う関係者にとって、大きな“追い風”となるように思う。
一方で、既に言及したような「現場の葛藤」は依然として根強い。その意味では、居宅保護の原則を無視する行政だけを批判すればいいという話ではないのは明らかである。
一見アパート暮らしが難しそうに思える当事者であっても、すべての人に「適切な住まいの保障」を実現する。
このためには、困窮者支援に関わるすべての関係者がこれまでの支援の「常識」を疑い“パラダイムシフト”する必要があるだろう。
こうしたなかで、ホームレス支援の方策におけるパラダイムシフトの転換が求められている。治療や就労支援を受けることや寮に入って集団生活を送ることを前提とせず、安定した住まいを得たいという希望があるならば住まいを得ることができる、「ハウジングファースト」型のホームレス支援へのシフトが必要不可欠であると、筆者らは考えている。(本書25頁)
まだまだ国内では十分に議論がされているとは言い難い「ハウジングファースト」だが、「適切な住まいの貧困」という視点から考えると、その施策の射程は施設内での生活を(事実上)強制されている重度障害者の方や高齢者などにもおよぶという意味で、より普遍的な議論の可能性を持っている。
コロナ禍によって居宅保護の意義が再評価されている昨今はなおさらのこと、今後「ポストコロナ時代の福祉」を検討するうえで、「ハウジングファースト」は間違いなく重要な鍵となるだろう。
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