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人は誰しも、もう1人の自分がいる。 もしかすると、もう1人どころではないかもしれない。 アニメなどに登場する、天使と悪魔のようなものだろう。 悪魔とまでは言わなくとも、緩急といったところだろうか。 これほどまでに単純であれば良いのだが、さまざまな側面・視点に基づくものだから、一筋縄ではいかない。 物事は単純化した方が理解が進むから、多少の危険性はあるが、自分の中に2人いるとしよう。 そして、常にこの2人は協力関係にあるとみてよさそうだ。 何をどう考え、どうするかは自分次
2人のカバンの中には違う問題集があるという。 代りに解いてあげたなら、代りに解いてくれるかな。 みんなが得意なあれこれが、あの子にゃ上手くいかない。 でも、あの子の得意なものはみな、誰もが出来ないこと。 あの子だけ、なんか違う。 いざ当事者となったときに、解き難い問題もあれば、本当に解けてしまう問題もあるだろう。 人に自分と同じことを求めないことだ。 もし、求めたいなら、相手ができることも自分ができている必要がある。 それは自分が求めることを「自分はできる」ということで
失せ物がありまして、まだ探しています。 そこでまだ此処にいて、旅立てないのです。 失せ物は、どこで失くしたのか判らないものだ。 見当はつけられても、ここという確証は得られない。 もし、確証があるとすれば、それは失う覚悟か、失うことへの諦めをしたときだろう。 もとい、失せ物が何か判っているなら、まだ良い。 失せ物が判らないということもあるだろう。 それは、失ったということを気づかなかったか、気づいたときには何を失ったのか明確に判らないときだ。 失ってはじめて気づくことは、
人は、みな、生きているだけで社会貢献している。 経済を回しているし、良くも悪くも周囲の人に影響を与えている。 どこか、ボランティアなどの特別なことをしなければ、社会貢献にならないような節がある。 プラスアルファでしないよりも募金、募金よりもボランティアのようなこともありそうだ。 これに加え、その行いに伴う影響度も関係してきそうだ。 そもそも貢献という言葉と組み合わせること自体が面白いことだ。 あたかも人は、ただ生きているだけでは社会にプラスを与えないかのような前提に立っ
社会的な不安が高まると、どんな人でも、少しの状況の違いで、心に傷を負ってしまうことがあるだろう。 多くの場合、心が健康、あるいは、まだ治癒するに耐えられるだけの傷で済んでいる。 その傷が、どうしようもなくなったとき、自分に向かうか、他者に向かうか。 社会的な不安というのは、今のような疫病の蔓延、経済の落ち込み、閉塞感などが原因となりそうだ。 通常、数字として見えやすいということもあり、失業率が指標になる。 誰しも手に職があって、職場も自身も健康で、必要最小限の文化的な生
人は、生まれながらにして、さまざまな権利を持っている。 これを放棄するという選択肢も、これを行使するという選択肢も認められている。 権利を制限できるのは、あらゆる場合において、正当な理由が示されるときに限られる。 人が人を変えることは可能だが、必ずしも全てにおいて、そうではない。 そうであるならば、端から人は人を変えることはできず、変えることができるのは自分だと考えた方が、ずっと楽だろうし、向上も見込める。 本来、組織に入る自由もあれば、出る自由もある。 そこに、たとえば
表現の自由は絶対に守る。 誰のどんな権利であろうとも、守られなければ、あまり褒められた状況でない。 皮肉と批評、誹謗中傷、それぞれの違いは何か。 皮肉は誹謗中傷に近しいが、お灸を据えたり、注意を喚起したりする上で、有効な手段とも考えられる。 批評は、公正に論じる上で認められるものだ。 その線引きは難しく表現の自由を担保する上でも課題となる。
思いもかけないことは常にある。 英語を使う職に就くつもりはないから、地理を扱う職に就くつもりはないから、と思っていても、いつ何時、風向きが変わるか分からない。 突然、何かに感化され、興味のなかった分野に進むことだって考えられる。 たまたま、進んだ道で関心のなかった分野に進むことだって考えられる。 これまでにない事柄が目の前に立ちはだかることもある。 突然に傾向から外れることもある。 そう思えば、災害を筆頭に、いつ何時、何があるか分からない。 明日、数時間後、今、経済的・
「自粛」は、自ら進んで態度を改め慎むことである。 「不要不急」は、どうしても行う必要も急ぐ必要もないことである。 これらは自身が良心に従って判断することになる。 社会的に合意のある基準(社会通念)に照らして判断する場合もありそうだ。 いずれにせよ、自粛や不要不急はふわふわしている。 「自重せよ」と言えても、「自粛せよ」とは言いづらいものだ。 あくまで各個人に委ねられる判断である。 もっとも、「不要不急」は拙速な判断を戒める上では、多少落ち着いているかもしれない。 「今、こ
年齢が上がるにつれて、新しいものに弱くなると思いがちだ。 どっこい、消費者トラブルは、年齢に全く関係なく新しいものに絡んできやすい。 もともと定期購入という商法で、トラブルが毎年出ていた。 サブスクも似たような商法なので、似たようなトラブルが起きやすい。 そもそも利用規約を読まずに同意したり、購入画面の注記をよく読まずに購入するなど、「そもそも」が不味いことも多いだろう。 「みんなやってるから問題のないサービスだろう」ということで、おそらく、よく確認しないことに繋がっている
作り手への正当な対価と敬意の意味では、安いというのは、よろしくないのかもしれない。 ただ、今の社会では、市場の動きとして、自然に物価の上下が起こることを考えれば、妥当なラインなのだろうか。 輸入品は単純に輸送コストがかかる。 そこに関税やら何やらがかかってくるだろう。 さらに日本語の説明を添えねばならない品目もあるので、そこで間に入る人への対価もありそうだ。 生活の知恵として安くものを買ったり、節約したりは、昔からよくあることだ。 特に今は食品ロスや資源の有効利用で、もっ
どうやらレジ袋の商品化から約1年、早くも凍結される可能性が出てきた。 巷にいう「レジ袋有料化」の廃止に当たる。 レジ袋の商品化そもそも、今般のレジ袋商品化は、プラごみ問題に目を向けるキッカケを作るためである。 日本から毎年排出される廃プラスチックのうち、レジ袋が占める割合は2%程度である。 レジ袋の削減によるプラスチック問題に与える影響は極めて限定的であることは明らかなようだ。 あくまで考えるキッカケということである。 これは、レジ袋商品化が決まってから、すぐに経産省が公
キャッシュレス決済が諸外国では進んでいるようだ。 日本は紙幣や硬貨が好きということで、高額な紙幣1万円札が相変わらず流通している。 キャッシュレス決済といえば、各事業者が自身の事業でのみ利用できるICカードを発行し、そこにチャージしてもらう方式を採っている。 いわばマネーを囲い込むことによって、必ず自身の事業でお金を使ってもらおうという商法だ。 他方、二次元バーコードなどによって、スマホが財布になるものもある。 モバイルSuicaや何とかPayがこれに当たる。 これはカー
「新聞を読みなさい」「本を読みなさい」と謂われている。 文字の勉強にもなるし、社会の勉強にもなるし、興味の有無に関わらずバラエティに富んだ情報を得られるし、校正を受けているので正しいというのが理由だろう。 新聞に至っては、記事を切り抜いて感想・意見をまとめよう、社説や読者投稿欄の書き写しをしよう、といった取り組みもある。 書籍では、読書感想文などがあるだろう。 たしかに、どの理由も半分正しいと言える。 文字や社会の勉強にもなるし、興味の有無に関わらず情報も得られる。 校正