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元彼の話

私には19歳から23歳まで付き合っていた恋人がいました。かなりの変人でした。いわゆるネタツイ界隈の、それなりにフォロワーのいる、とにかく変な人でした。池袋駅のいけふくろうで待ち合わせをしたことを覚えています。お昼ご飯を一緒に食べて、そのあとは紀伊國屋に行きました。
紀伊國屋のエスカレーターで私が彼の下に乗っていたのですが、急に頭の匂いを嗅いできて、頭皮の匂いがする、と言っていました。

私にとってはほぼ初めての彼氏でした。何事も初めてでした。今でもネパール料理が好きなのは彼の影響だし、リリィシュシュが好きなのも、バッファロー66が好きなのも、Nujabesが好きなのも、ハルヒが好きなのも、シュタインズ・ゲートが好きなのも、中島らもが好きなのも、ぜんぶ、ぜんぶ、彼の影響です。数え切れないくらい彼から吸収したものは多いのです。

せまいアパートで2人でラムコーラを飲みながら映画を見て、お腹が減ったら行きつけのネパール料理屋さんに自転車に2人乗りして行きました。近場の海岸に赴いてブルーシートを敷き、2人で本を読みました。ひたすら多摩川の土手を歩き回りました。いつも会う野良猫に2人で名前をつけて、一緒に遊んでもらいました。映画館に行った時にはポップコーンの取り合いになって、結局1人ずつ買う決まりを作りました。彼はお風呂に入っている時、私の名前を呼んで一緒に入りたがりました。時々、彼は心が弱り、夜中に私を呼び出しました。化粧をした時には、必ず彼に今日の私は何点か聞いていました。彼の仕事終わりにはお世辞にも綺麗とは言えない居酒屋さんに行ってお酒を飲みました。彼はお酒が弱くて、レモンサワーを2口飲んだら顔が赤くなっていました。

彼はテクノが好きで、1度だけクラブに行ったことがあります。お酒が弱いのに彼はぐびぐび飲んで、踊って、最後にぶっ倒れました。介抱するのが大変で、すごく呆れたのを覚えています。

彼と新しく部屋を借り、暮らし始めた私は、ひどく自堕落でした。家事は頼まれたらするくらいで、私も社会人になったから休日も彼と合わなくなって、私が休みの日にはほとんど寝ていました。2人で出かけることはほぼ無く、会話も減りました。
その頃の私は精神安定剤を大量に服用していて、彼もそれをどうやって辞めさせたらいいのか分からなかったのだと思います。

彼から別れようと言われました。私は、あなたは私以外の人と幸せになんかなれないと喚きました。彼は、俺は君といたら幸せになれないんだよ、と言いました。泣いて喚いて夜の下町をひたすら歩き回って、ぜんぶぜんぶやり直すから、ちゃんとするから、どうか、時間を巻き戻してほしいと、何かに祈り、泣き続けました。

私は新しく狭い部屋を契約し、出ていくことになりました。その頃、なぜかは覚えていませんが彼のカメラロールを一緒に見る機会があったのですが、1番初めに出てきたのは私の寝顔でした。私は、痛くて、痛くて、この人を傷つけて、ぼろぼろにしてしまったことを改めて痛感しました。

出ていく日の朝、もう行っちゃうよ、と言ったら、彼は布団の中で、うん、とだけ言いました。


私にとってのあの4年間はとてつもなく濃く、もうなんて言葉で表すのが正解なのか分かりません。
間違いなく言えるのは、私が彼のことを忘れることは一生ないし、彼のことを考えなくなる時間は一生来ないということです。

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