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人生のバイブル(フルーツバスケット)の話
私には人生のバイブルがある!
それは高屋奈月先生のフルーツバスケットです。
あと2週間も経たずに30歳になるが、フルーツバスケットは中学生、高校生、大学生、社会人。どのタイミングでも読んだ。何回も読んだ。
そして何度読み直しても、前に読んだ時には気づかなかった登場人物の心情や、表情の描写で理解が深まる。そしてこれから先も、読み返したらそうやって新しく見つけるんだろう。
フルーツバスケットは、"人間は変わっていくものだ"という話だと思っている。
登場人物全員が、縛られ、囚われ続け、変わることを恐れ、でも誰かのおかげで1歩ずつ踏み出していく、そういう物語だと勝手に解釈している。
絆を不変したいという思い。変わらない気持ちは確かにあると信じて、蓋をする登場人物たち。
でも、閉じた蓋は開けなくちゃならない。
閉じた蓋を開ければ、何度も何度も誓ってきた、不変だと思っていた、絆や、誰かを思う気持ちが、変わっていく。人の気持ちは当たり前に流動していくから。
そんな自分の気持ちと葛藤して、過去のトラウマに傷ついて、変わる自分を許せなくて、でも誰かに救われて、そうやって皆、蓋を開ける。そして、そっと"不変"から離れていく。
不変はない。
この世にはない。
変わらないものなんてなにもない。
それが例え絆だとしても、形は変わっていく。その瞬間の鮮明な感情のまま、誰かを思い続けるなんて無理な事だと思う。当たり前に色褪せていく。
でも、無くなる訳じゃない。形が変わってもずっと心の中にあるんだとおもうし、結果的に絆は深まるんだと思う。けど、登場人物はそこに依存することを辞めていく。
それぞれがこの社会で生きている1人の人間として、精神的な自立を果たしていく。
フルーツバスケットでハッとさせられるのは、登場人物の表情だ。絵がとても綺麗!なのもあるんだけど、本当に表情をあんなに美しく、痛々しく、書いている漫画家さんは他には知らない。
笑顔とか、泣き顔とか、もちろんわかりやすい表情もとても美しい。
でももっと、微妙なニュアンスの気持ちを、あんなに読み手に伝わるように表情として表せるのは天才すぎる。
ただ目を細めているだけで、わかるんだ。みんなわかるよ。分からなかったとしても、きっと何度も読み返す内にハッと気づく。
この漫画は中学生の頃からわたしの本棚にあって、暇があれば好きなシーンをパラパラ読み返すのが日課だった。
これから先もきっと、おばあちゃんになっても読み返す。
涙がこぼれちゃうシーンもたくさんある。でも必ず優しくてあたたかい気持ちをくれる漫画だから。
「大丈夫ですよ。」
と、柔く微笑む、本田透の声が聞こえてくるような気がする。