ゴンドアートを見てきました〜。
京都駅からも程近く、南西の方角にある東寺に行ってきました。
東寺には何度か行ったことがあるのですが、
今回の目的は右下のこれ。
というわけで、早速、
食堂(じきどう)へGO。
撮影OKとのことなので、写真を載せていきます。
うおおお…これは…
いきなり大きな、そして圧倒的に細かい作品がきました。
黒い部分の一個一個が(たぶん)鳥のカラスです。
なぜそんなことが分かるのかというと、
隣にタイトルと短い解説が書かれた紙が貼ってあるからです。(ありがたい。)
太古の昔、地球は海に覆われていた。
そこに神が降り立とうとしたとき、
カラスが先に行って、
神が降り立てる地を探した。
ゴンド族に伝わるそんな神話が、
この絵で表現されているそうです。
……といったところで、
ゴンド族についても、
バッジュ・シャームについても、
何も説明しないままここまで書いてきてしまったことに気づきました。(すみません……)
しかし、ここでありがたいことに、ちょうど写真付きの紹介が出てきてくれました。(よかった。)
簡単にまとめると、
ゴンド族は、デカン高原中部から北部にかけて居住するインド最大の先住民族。
バッジュ・シャームはゴンド族の村パタンガル出身のアーティストで、
彼の叔父ジャンガル・シン・シャームが確立した「ゴンド・アート」の表現を受け継ぎ、独自に展開している。
こんな感じです。
この絵のタイトルは《Fish Birth》。
見ていると魚の動きに視界が揺らいで、絵を見ていることを忘れてしまいそうになります。
さっきの神話の絵と似てますね。
天と地のはじまり。
命のはじまり。
その一つの出来事を、
無数の命(カラス、魚)が支えている。
いや、支えるというより、悲壮感や恩着せがましさとも無縁のこれは、もっと、導いている、とでもいったほうが正確かもしれない。
一方でその逆にも、
つまり、たった一つの始まりが、
その後の無数の命、全てに繋がっていく。
長く見ているとだんだん、そういう見え方もしてくるのが面白いところです。
過去、
未来、
そして、一瞬。
それらが、
ひとつ、ひとつ、人の手で描かれた生命体によって関係づけられ、表現されている。
そのことを思うと、
これはもう本当に、
目一杯の、
祝福そのものではないかという気がしてきます。
この祝福の感覚、
そして神話の出来事と、魚の誕生という出来事を、
衒いもなく同じスケールで描き出す発想。
それを根底で支えているものの見方、
宇宙観、
そういうものまで、絵を前にして伝わってくるようでした。
これはまた独特な角度というか…
どうなってるんだ…
ライオン?
…森の神。
なら仕方ない…
いくつか作品を見ていると、
バッジュ・シャームのゴンドアートはどれもほとんど同じような、
点、線、模様のパターンで描かれていることに気づきます。
パターンの織りなす精緻な美しさを味わうには、
こういう色の少ない作品がうってつけかもしれません。
これは和む。。
さっきの鹿の角と同じパターンで木が描かれています。
確かに鹿の角と木は似てますが…
こう、全く同じパターンで描かれると、
そこに精神的な深い繋がりがある、
彼らはそれを感じている、
そんなふうにも思われてくるのです。
これは色の調和が素敵だなーと思った作品。
写真が、うまく撮れません。。
描かれた線と、何も描かれていない余白が像を結んで、
そうして生まれた図像がまた、なんともいえず魅力的。
ここまでくるとはっきりとピカソっぽいなとも思いますが、
そもそもピカソがこういうプリミティブなアートから、アイデアや表現を取り入れていたのでしたね。
ゴンド族の文化や風習を鹿の角の中に描き出した作品。
これはすごい…
想像力の羽ばたきを感じさせます。
またしても、肝心なことを書くのが最後になってしまいました…。
そもそも、今回の「バッジュ・シャーム・キョウト」展の情報を初めて知ったときには、僕はとくに行こうとは思っていませんでした。
ところが、
『RRR』を観て、インドへの関心が瞬間風速的に高まり、
しかも、あれ、ゴンドアートのゴンド族ってまさか……
RRRの主人公ビームの出身部族のゴーンド族!?
という気付きに稲妻に打たれたような衝撃を受け、
これはもう行くしかないと心を決めたのでした。
実際に行ってみたら、そんなことは忘れてしまうほどゴンドアート自体に見入ってしまったわけですが、
なるほど、
確かに、映画の冒頭で村を訪れたインド総督の妻に、主人公の妹がタトゥーアートのようなものを施しているシーンがありました。
妹はこのとき村から連れ去られてしまうのですが、
その妹を取り戻そうと立ち上がるビームも、
処刑台の上で歌を歌って、
人々の心を動かし、
自らの運命を変えた。
広い意味でのアートの力が、どちらの場合も働いています。
ゴンドアートを見て、
ゴンド族の世界観、大胆なスケールで神話を体現する能力、
心の機微、手先の仕事の細やかさなどに触れることで、
映画の細部に新たなリアリティが宿り、
鑑賞後の余韻も、より味わい深いものになりました。