多古の浦の底さへにほう藤波を挿頭して行かむ見ぬ人のため 内蔵縄麿
750年4月12日。
越中守として赴任中の大伴家持は、部下や役人たちを引き連れて布勢の湖(現在の富山県氷見市にある湖)に遊覧し、多古の浦に船をとめて藤の花見をした。縄麿はそのうちのメンバーの一人で、今回の歌は、そのときに作られた。
ちなみにこれが、このとき家持が詠んだ歌。
なるほど、こちらの方が、実際の光景を思い浮かべやすいかもしれない。
そういう意味では、縄麿の歌の方は表現が明らかにオーバーで、リアリティに欠けている……
と、まあしかし、そんな風に言ってみたところでつまらない。むしろこの二つの歌をそれぞれのものとして優劣を見るのではなく、連続したひとつのやりとりとして眺めてみると、どうだろう。
役所勤めの日常から、花を見にいこうと、自分を誘い、束の間の休息に連れ出してくれた家持。そんな家持がここにきて、うららかな日和の中、湖の底が清いとうたっている。ならば……。
同じ「藤波」という言葉をつかい、「底清み」を「底さへにほう」と言い換える。
そうすることで、今、家持とともに見ている藤の花の想像を超える美しさと、それを見せてくれた家持への感謝、ふたつを同時に表現することができる。
なるほど。そう考えるとはじめはオーバーリアクション気味にみえた縄麿の歌も、むしろそう詠むしかないぐらいの歌いかたに思え、別のリアリティを帯びてくる。
それにしても、誘われた縄麿の歌が、まだ見たことのない人に見せてあげましょう、と
さいごには誘う調子を帯びているのが、なんとも良い。
ここはとても素直な感じがして、この部分があるからこそ、歌は単なる社交辞令を超え、その先にある歌の世界へと、読者をいざなうのである。