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形のない声
文字を読むときになんとなくぼんやりと聴こえる声
この声を確実に伝えることができたらなあ、なんてふと思う。
メッセージを、伝える際私の頭の中では声が聴こえるのだ。
この声を文字に乗せたとしても、相手にはこの声は聴こえていないのだ。
その時のテンション、その時の気分によって私の場合は中の人によって声のトーンや話し方が違う。
誰にでもあるはずだ形のない声というものが、その声がどんなものか形にできるのならばきっと些細な言い合いですれ違うことも、言葉足らずで喧嘩することもないのかもしれない。
相手のことをよく知っているとなんとなくその人の声で再生されることもあるが、受け取り側はこちらの気分でこちらの都合で受け取りがちである。
何をしてもやる気が出ないときは何を言われようと否定をされたように聴こえる。
この形のない声を私は聴くことができる。
認識することができる。不思議なことだと思う。
ストレスを溜め込みすぎて聞こえた叫び声が、貴方の声ですよと病院の先生に言われた時のことをふと思い出した。
大きくなってはまたふわっと遠くなって頭の中を回るような声も聴こえた。
幻聴に近いものだったのだろう。
その声とはまた違う私の中にいる声はきっとこれからもずっと共にある私自身なのだろう。
ふと、独り言を話すようにこの声が文章を話すことがある。
その言葉が頭をぐるぐると駆け巡り、吐き出さないとどうにもならないときに残したメモには不思議な景色が書かれていたりする、それは誰かの記憶のようなものだったり、一瞬の映像のようなものだったり
文字が降りてくるという表現があるが、もしかして私に起きるコレも降りてくるというものなのだろうか。
仕事に集中している時、何かをしている時仕切りに頭の中に文字が降ってくることがあるのだ
考えようとするよりも、そうしないようにした時ほど。
何かを残してみたい、何かを書いてみたいという欲が私にはあるような不思議な感覚。
頭の中の吐き出し、片付けの場所のようなものを作りたがるのは私自身も何なのかよくわからないからなのだろう。