人の感情を大切に扱う
感情を置いてけぼりにされたくない。私の感情を無かったことにしないで。と思うような体験をした事がある人はどのくらいいるのだろう。それは何か大層な恋愛体験の中で思ったことかもしれないし、友達や家族、学校の先生や職場の人とのさりげない会話の中でかもしれない。
人の感情を大切にしなければいけないなんて法律はないし、そんな事大真面目に考えた事ないけど幸せに生きてますという人もいるかもしれない。でもより良い対人関係を築く上で重要な要素の1つだと私は思っている。 人の感情を大切に出来ない人とずっと一緒にいたいなんて思う人がいるのだろうか。これは自分が誰かを傷つけ、その結果ひとりぼっちになってしまわないためにもしっかり考える必要がある。
ただ大切に扱うといっても、質量を持った大きさや形が認識出来るような物体ではないため、そんなの難しいと思われるかもしれない。まずその目に見えないものを知る必要があるのかもしれない。
「〇〇さんの考え方に共感しました!」という感想をよく見かけるし、普段の会話で友達の言ったことに対して「分かるめっちゃ共感!」と言っている人もよく見かける。では共感とはなんなのか、改めて調べてみた。
共感とは「他人の体験する感情や心理状態、主張、など自分も全く同じように感じたり理解したりすること」らしい。しかし厳密に言うと、完全に相手の考えや感情を理解し同じように感じ取る事なんて不可能だ。それは目に見えない人の感情というものを完全に知る事は出来ないということだ。
私は人と完全にわかり合うことが不可能だという事実が悲しく感じてしまい、iPhoneのメモに書いた自分の文章をそのままairdropで一言一句、行間も同じまま友達のiPhoneに送れるようなそういう感じで頭の中の事も送り合えたら良いのにねなんて話をよく友達としていたが、そんな話は現実的では無いし、仮に現実になった所できっと今とは違う意味で窮屈でつまらない世界になるのだろうと思う。
では目にも見えないし完全に知ることもできない人の感情を大切に扱うためにはどうしたらいいのか。
私は、相手と全く同じ感性を持つのではなく、相手の考えや感情を尊重する態度で、「なるべく理解したいと思っている」という意思表示を適切に行う方法を知り、それを実行していくと良いのではないかと思う。
相手と全く同じ感性を持つことができれば先に述べたように完全に理解する事を達成するのに一歩近づくのかもしれないがそれはやっぱり不可能で、その事実をしっかりと理解しておく事も大切だ。人は長く一緒にいる人や性格のタイプが似ている人に対して「貴方なら私の気持ちがわかるでしょ」とか「貴方と私は考え方似てるから分かり合えるよね」とか馬鹿みたいな幻想を抱いてしまうものだ。ただそれは幻想でしかない。どれだけ親しい人でもやっぱり他人で自分ではないのだ。
尊重する態度は、相手の考えや感情を自分と勝手に重ねて理解した気になる事のストッパーとして機能するのではないかと思う。私の好きな歌手の1つの曲に、「共感こそ些細な感情を無視して殺すから」という歌詞があって、その通りなのだが私達はよく勝手に分かった気になって相手の些細な感情まで汲み取れていないまま、「めっちゃ分かる〜」などと言ってしまうのだ。分かると思ってもきっとそこにはまだ汲み取れていない言語化する事の困難な感情が隠れているかもしれない。その可能性を想定するという事は相手を尊重していないとできない事なのではないかと思う。
「なるべく理解したいと思っている」と意思表示をする事は相手とのコミュニケーションの中で不用意に傷つけないために必要だと思う。
以前私がある事で悩んでいて、それをある人に伝えた時、私の感情を理解しようとする前に感情の処理の仕方を含まない、正論のような解決策を提案され、私はそれを感情的な面で受け入れることが出来ず、微妙な反応しか相手に返すことが出来なかった。そんな私をを見て、「時間の無駄だった。せっかく一緒に考えたのに。」と言われてしまった。相手が自分のために時間を使ってくれたことは感謝すべきとだと分かっていたから相手の時間を無駄にしたかったわけじゃないし、その正論みたいな事を実行するためにまずしないといけない感情の処理の仕方が分からないから悩んでるのに。というのが私の素直な気持ちだった。確かにそこに存在しているのに、感情が無視されたような気持ちになった。
私の悩みを一緒に考えて解決したいという善意の気持ちを全く持っていなかったわけでは無いと思うが、その時の私は、自分の提案で解決させてあげたという事実で気持ちよくなることの方が無意識的に相手にとっては重要だったのかもしれない、私の苦しみからも搾取しようとするんだ、と悲しかった。
今思い返すと、話を聴いてくれた時点で相手には私の感情を理解したいという気持ちがあったのだと思うがその意思表示の方法を相手が知らなかっただけでその方法が分かっていればお互い傷つかずに済んだのかもしれないと思う。自分も同じような事を人にしていた可能性を考えるとすごく怖い、このことについて考える機会をくれた相手に感謝したい。
意思表示の方法を知り、適切に使うことができればこれから起こり得る可能性がある悲劇を無くすことができるかもしれない。
その方法は自分で自分なりの表現方法、相槌の打ち方、空気感の作り方、言葉の選び方、を模索し確立していくしかないのだと思う。
話は少し逸れるが、相手の為に正論を言う事も時には大切だ。だけど人の感情を無視していいわけでは無い。人のためと言って自分の言葉が正しいと思い込み正論を振りかざすのはある意味暴力的で、相手を傷つけてしまう可能性を多いに含んでいる。正論は言うべきかどうかの場面の見極めと言葉の選び方、相手の感情をないがしろにして話をしていないか、しっかり考えてから言うべきものだ。
人の感情を完全に理解する事は出来ないが理解しようとなるべく寄り添う気持ちがやっぱり大切でその表現方法を知っておく事は人と付き合っていく中でかなり重要な事だと思う。
相手の世界観や意図、感情を汲み取るように寄り添って話を聞く事を意識すると自分の感性も人間関係も豊かになると思う。人との対話は自分の世界観を広げるツールでもあると思っていて、どんな視点からでもある種の真実が必ず含まれている。自分の視点から見た真実だけに固執してしまうと人としての器を広げる妨げになってしまう。
目には見えないし完全に理解する事もできない人の感情。未知の領域に確かに存在している事、忘れない。