私だけの宝物
Twitterで娘のランドセルを背負う父親の写真を見た。
そこには背負ったら汚されたと泣かれたとか、泣きたいのは父の方だとか、とにかく見るに堪えないことが書いてあった。
何とかわいそうなことか。
ランドセルを父親に背負われた女の子は四女、どんなに裕福でどんなに幸せな家庭に育っても上に3人以上兄弟がいるなら「私だけ」のものは特別だったはずだ。
それを最も信頼すべき存在である親に奪われたのである。
一生のトラウマになるだろう。
思うに何度も自慢したのは「私のためだけのランドセル」が誇らしかったのだろう。うれしかったのだろう。
何でそれを父親がこっそり背負うんだ。ついでに写真を撮るんだ。
もう最低だ。
だって楽しみに楽しみにとっておいたケーキを勝手に食べられたような、成人式のために用意した振袖を誰かに着られてしまったような、
たとえ相手が家族であっても許すことができない、彼女だけのテリトリーを侵す行為だ。親がやっていいわけがない。
こうして心を踏みにじられた経験が反抗期や成人後の疎遠につながるとは思はないのか。
子どもだからこそ、この屈辱や憤りはずっとずっと覚えている。
自分の子どもだからこそ、一人の人間として尊重するのが大切なんじゃないかと思った。