こだわり
前にもブログかつぶやきに書いてるが、ぼくのASD的こだわりが1つ終わったから、それを書き記しておこうと思う
夏から自分のこだわりで、クモを家で飼っていた
というか勝手に住み着いていく様子をずっと観察することにハマっていた
他にもこだわりで窓を綺麗に磨くのが好きなのだが、クモの巣がある間、巣のある場所の窓磨きはやらなかった
家の中にある連なった4つの窓のうちのある1つの、縦に細長い窓枠いっぱいにクモの巣を張り巡らし、快適な住居空間を作るクモ
キチンと、ここはトイレらしき場所、ここはベッド、ここはダイニングらしきクモのこだわりも感じて、親近感が湧いた
初めのうちは小さい家族の夏休みの観察日記にしようと、一緒に見ていたのだが、10日もすると小さい家族は飽きてクモの巣を忘れたように見えた
ぼくはそれでもずっと楽しみに休みの度に覗き込んで少し変化があると嬉しくなって観察を続けた
ある日脱皮してでかくなる、家の中で何を食べて生きてんのか不思議でずっと眺めていた、結局何を食べて生きながらえたのかはよく分からなかったがクモの巣だけはどんどんと立派になっていった
ある日、せっかく作った住居に飽きたのか、増築したかったのか分からないが、今まで使っていたクモの巣の、すぐ隣の窓枠に今度は新しく小さめなクモの巣がてきていた
ぼくは少し残念に感じた、初めのクモの巣のように窓枠のサイズいっぱいに糸が張り巡らされて大胆に大きく美しい陰影のベールを見せてくれる訳でも無く、窓枠の左右からただ糸が垂れ下がっているような微妙な簡素なものであったからだ
この何ヶ月かは、その新しいクモの巣が大きく育ちまた美しい第2のベールが出来上がるかと期待しながら観察を続けていたが、全く大きくならないうちに更にはもうひとつ隣の3番目の窓枠にもクモの巣がここも簡素に作られたのを見た
しばらく経つがそれからこれ以上変化がなくなってしまった
ぼくはとてもガッカリした
初めの豪快さのカケラはどこにもなく、クモ自体もずっと見かけなくなってしまったからだ
もしかしたら、死んでしまったのかもしれない、ベルーガ←猫の方 の遊び相手になりおやつとして喰われたかもしれない
気づけば、クモの巣を観察し始めてから、4ヶ月も経とうとしていた
そして、更に虫の嫌いなキレイ好きな同居家族から、嫌いなクモと巨大なクモの巣を見て見ぬふりをしてきたが、いよいよ我慢できないと苦情を受けた←当たり前(笑)今までぼくのこだわりに付き合って放置してくれてありがとう
ぼくも変化の無くなったクモの巣に飽きて興味が無くなったから、ちょうどいい具合に、4ヶ月ぶりに窓枠と窓を磨いてスッキリさせた
ぼくは基本的に何かを観察するのが本当に幼い頃から好きで、風が空に雲で何かを描いているのを見るのも好きだし、たい焼きやたこ焼き、飴細工の職人技を永遠に見ていられるし、ベルーガの毛繕いも見てしまう
美容院に行っても、置かれた雑誌にはほとんど手をつけず、ひたすら美容師さんのカッティングするさまを見ていたり、カラーリストさんの細かく髪の毛をブロックしながら染める様子を眺めている←一応美容師さんには見てるのが好きなんですが、大丈夫ですか?と断りを入れるようにしている(社交を学んだのだ)、そのくらいじっくり熱量高く見る!
なぜ見たいのか理由は分からない
対象はその時々で変わるが、「見る」「観察したい」欲があるようだ
他の人はあるものにこだわってとてつもない収集癖があるのがASDの特徴のように言うが、単なる収集癖ではなくて、こだわりの結果見て分かるのが「物を収集する」、になっていると思う
だから収集以外にも自分のようにこだわりの結果が「変化を観察する」といったように、ASDの中にも色々なこだわりがあるのではないか、とぼく自身は思っている