時々思い出す綺麗な人のこと
二十歳の頃、行きつけのバーがあった。
ほぼ毎日のように2階の店への階段を登り、通っていた。
ほとんどの常連さんとは顔見知りで、1人で行ってもいつも誰かしら「よっ」て話す相手がいた。
ある日のこと、いつものように1人で店に行くと初めて見る女性がいた。
歳はおそらく30前後、ストレートの黒髪は肩甲骨の辺りくらいの長さで、綺麗な顔立ちにスラッとしたスタイル。
彼女も1人で来ており、カウンター席に座っていたのでなんとなく一席空けた右隣に座る。
その日は雨で、他にあまり人は来なかった。
バーでは良くある話、しばらく飲むうちに1人者同士何となく話し始めた。
自然とひとつ席を詰めて隣同士で語る。
私は今も昔も割とオープンなもんで、「私バイなんですよー」とかって自分のこともすぐに話題として提供する。
そのことに関しては特に驚かれることもなく、他にもたくさんお互いに話した。
その日初めて会ったけれどびっくりするくらい話が弾み、気が付くとマスターが店仕舞いを始めながら「ごめんね、そろそろお店閉めるよー」と声をかけるような時間になっていた。
楽しかったな〜、美人で気が合う良い呑み友達ができたな〜!
なんてルンルンしながら店を出て一緒に階段を降りる。
時間は5時過ぎ、寒い時期だったのと雨なのとで辺りはまだ暗く、私たち以外の人気はない。
1階まで降りたところで「またね!」と言おうと振り返る。
と、ふと神妙な顔をした彼女と目が合った。
少し逡巡する素振りのあと、形の良い唇を開けて彼女は言った。
私もね、女の子好きなの。
今から、うち、くる?
予想していなかったのでどぎまぎして「えと、今日は、ちょっと、」なんて返し、「じゃ、あ、またね!」と家に帰ってしまった。
それから何度もいつものバーに通ったが、彼女と再び会えることはなかった。
「好きだった」とか「したかった」とかそういう気持ちはなかったんだけど、人としてこれからもっと付き合いを続けたいという感情は抱いていたから
もっと良い断り方があったんじゃないかとか、あの時ついて行けば良かったなとか、あの場面を何度も思い出しては考える。
何度も思い出すうちに、彼女は私の脳に張り付いてとれなくなった。
もう10年以上経ったけれど、一度しか会ったことがないけれど、今でも時々鮮明に思い出す。
あの日の綺麗な人のこと。
思い出す度に、不思議に胸がきゅっとなる。
人間の縁って、わからない。