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まるで硝子の靴のような、

 胸を射抜いた服に出会った。
 大学に上がった年だった。

 ――お洒落な服は、痩せていて可愛い子のもの。

 田舎には、うっすらそんな不文律があった。
 オーバーサイズの女の子が、ロリータを着て駅前を歩いていた。閉まりきらない背中を、安全ピンで止めて。
 知らない誰かのそんな話題が、笑い混じりに夕食に並んだ。
 田舎の人の目と無遠慮な噂。
 自分も太っていたから、きっとそう言われるんだろうな、と思った。

 刺さっていたのはそれだけではなかった。
 七五三の七歳の時に、貸衣裳のある写真館で写真を撮った。
 その時、「お姫様みたい!」だからと、ピンクのドレスを選んだ。
 丁度セーラームーンが流行っていて、その時は確かに、そういう可愛い服に憧れがあった。
 どきどきしながら写真を撮った。
 出来上がった写真を見て、冷や水を頭から被った気がした。
 子供でも分かる程に、壊滅的に似合っていなかった。
 ……今なら、色も、デザインも、どちらも合わなかったと分かる。
 同じデザインを着るにしても、寒色や暗色の方が良かったのだ。
 けれども、当時はそんなことには思い至らず、ただただショックを浮けた。
 『お洒落な服』は『可愛い服』でもあった。
 『可愛い服』が似合わない。だから、『お洒落な服』も似合わない。
 そんな方程式ができていた。

 中学校に通っている間に、隣の市にヴィレッジヴァンガードができた。
 今まで周りになかった類の店舗は、目がちかちかして、とても刺激的だった。
 そこに、『ゴシックロリータバイブル』という雑誌が置いてあった。
 載っていた服は、どれも魅力的だった。
 でも、着れないな、とも思った。
 こういう可愛い服は、細くて可愛い子達が着るもの。
 多分、着て歩いたら後ろ指を指される。いつかの、知らない誰かのように。
 そう思いながらページを閉じた。

 可愛い服は似合わない。明るい色は似合わない。
 写真に写った自分を見る度、溜息が出た。
 だから、中高の制服と指定ジャージは助かった。
 同級生の男子に「スカート似合わねぇ!」と指を指されても、「制服だから」と返せるから。
 土日でも部活の練習があれば、ジャージでお茶を濁せるから。
 硬い髪を、どうまとめていいか分からなかった。
 「運動部である」ということは、学生の内は十分な理由になっていた。
 そんな理由で、後ろ指をさされないように、逃げていた。 

 逃げて逃げて、大学の進学に伴い関東に転居した。
 入学してての頃は、自転車が主な移動手段だったこともあって、ジーンズにパーカーばかりを着ていた。
 最寄り駅の三駅隣には、新幹線の止まる駅があった。
 県庁所在地の最寄りよりもそちらが栄えていて、当時は駅前に沢山の商業ビルがあった。
 そのうちのひとつの上層階。ワンフロアが、『そういう』ファッションの階だった。
 ロリータ。ゴシックロリータ。パンク。ゴシックパンク。
 あの頃そんな言葉は無かったが、今で言うなら『ゆめかわ』や『病み』。
 凝った意匠のお洋服達。あの日、雑誌で見た遠い世界。
 見ているだけで、わくわくした。
 でも、見ているだけだな、と思った。
 七五三以来、スカートは制服でしか履いていなかった。
 スカート。ワンピース。そういうのは細くて可愛い子の服だから、私には似合わない。
 そう思って、遠目に見ていた。

 ――それが目に留まったのは、そんな時だった。
 
 とある店舗の一角。
 マネキンが着ていた、黒地に暗めの赤のストライプが入ったハーフパンツ。
 ショートパンツと呼ぶに丈が長く、膝上までのそれは、コルセットスカートがセットになっていた。
 金色の釦。脇で編み上げるコルセットスカート。細かいデザインの赤いレース。
 思わず立ち止まって見てしまうくらいの衝撃を、それは持っていた。
 スカートではない。けれども、『界隈』の雰囲気を纏った服。
 でも、入るだろうか。似合わないんじゃないか。
 今まで理由にしてきたそれらは、やはり浮かんできて、マネキンの前で悩みに悩んだ。
 それこそ、店員さんに声を掛けられるくらいの時間を。
「同じ柄のものがあるので、試着してみませんか」
 ボーイッシュ、王子系。表現するならそんな言葉になる店員さんだった。
 今でも覚えている。声を掛けられて、跳ね上がったことも。
 多分、その時点でもう魅入られていた。
 案内された試着室。触れた記事は少し厚くて、手触りが良かった。
 入るだろうか、と思いながら足を入れた。
 ……ハーフパンツも、コルセットも、問題なく入った。
 その時少しだけ、上がパーカーなのを後悔した。
 それまでファストファッションばかりを着ていたから、値札に書かれていた金額はちょっと異次元であった。
 それでも、決断まではそれほど時間はかからなかった。
「お金下ろしてくるので、取っておいてもらうことはできますか」
 そう告げれば、店員さんは笑って「取り置きできますよ」と言ってくれた。
 取り置き、という言葉もそこで初めて知った。
 
 今にして思えば、当時は大変にモサかった。
 化粧はしていなかったし、着古したパーカーは少し「よれて」いた。
 腰から下だけが豪奢で、試着室の鏡には、着た本人ですら「うわ……」と思う姿があった。
 でも、店員さんはそれらに関して何も言わなかった。
 笑って、「丈も大丈夫そうですね」と肯定的な言葉をくれた。

 商売だ、と言われればその通りだ。
 でも、それは――長らくの自己暗示に萎びる気持ちを、支えてくれるには十分だった。
 貰った紙袋もお洒落で、渡された時は気分が高揚した。
 店舗を出るまで見送られるのも初めてだった。

 アパートまでの距離が、もどかしいほどに長く感じたのを、今でも覚えている。
 家に帰って、手持ちのシャツとネクタイを引っ張り出した。
 手元にあるもので、できる限りの『雑誌に載っていたような』雰囲気を作れるもの。
 姿見に映った自分は、試着室よりはいくらかマシに見えた。
 ――地元にいた頃よりは、もっとマシに見えた。

 そこから、化粧を覚えた。
 一人暮らしだったのもあって、以前よりも体重が落ちた。田舎の「残すのもあれだから、食べちゃって」は結構体重に直結していたのだと実感した。
 バイトしたお金で、同じブランドの服を何着か買った。
 丈の短い、地元にいた頃には着なかったもの。
 数年を掛けて、スカートに対する抵抗も徐々に薄れた。
 十年と少しを経た今では、服装の選択肢にロングスカートが入るようになった。
 学生時代は伸ばすのを止めていた髪も、伸ばせるようになった。

 それらの起点は、間違いなくあの日だった。
 あの日、一目惚れした黒地に赤のストライプの服。
 あの日、あの階に行っていなければ。値段に尻込みして、買っていなければ。
 間違いなく、『お洒落』に尻込みしたまま、俯いて過ごしていたと思う。
 商業ビルを友達と歩いて、目についた服を取り扱う店舗に入る。
 そんな過ごし方だって、馴染まないままだっただろう。

 その一歩になった服は、今でもクローゼットの中にある。
 黒と赤、それと金。
 ――それには、私を笑わなかった店員さんの姿が紐付いている。
 取り出す度に思い浮かぶ記憶は、今でも、『お洒落』へ向かう足を竦ませないくれるものだ。

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