AMBIVALENT/17歳のカルテ
私がアンビバレントという言葉を知ったのは10代の頃に17歳のカルテという映画を見た時だった。
ウィノナとアンジーの若く繊細で脆い美しさに痺れる。痛々しく刹那的な言動や蓮っ葉で暴力的な振舞いすらもめちゃくちゃクールに見えてしまう
(あの前髪はみんな憧れたと思うが、チンケで馬鹿みたいにならないのはアンジーくらい。レオンのマチルダも然り)
主人公スザンナが自身の精神状態を語るシーンでアンビバレントという言葉を使って、自己が分断されるような、相反する方へ引っ張り合い揺れる感情や思考について語っていた。
私も正に自分はこのアンビバレントだと思った。
スザンナやリサやポリーに感情移入した。
当時、何処にも誰にも馴染めない疎外感や孤独感…しかし決して迎合してなるものかという謎の覚悟と鬱屈した感情を抱えていた私は、インターネットや本や映画や音楽などの世界に没頭し、現実逃避していた。
持ち前のネガティブと思春期の不安定さが合わさる若者特有の憂鬱に加え、家庭環境の変化から心身の調子を壊して引きこもっている人間にこの映画が刺さるのは必然だった。
この日からこれが"私の映画"になった。
その後も繰り返しこの映画を観た。当時は辞書でambivalentを調べてもほぼ物理的な意味合いや両価値としか出てこなかったが、今は相反する精神状態を形容する場合に使われることも多くなったようで、知られた言葉になってきたように思う。ネットで調べても
"ambivalent"
ある対象に対して相反する感情(思考/価値)を持った両面感情/価値
"ambivalence"
心理学的見地からの両面性/両面感情(価値)
ある対象に対して全く反対の二つの思考/感情/態度などが存在する事
心的葛藤によって起きる躊躇い/迷い/逡巡
…といった感じで出てくるようになった。
あれほど思考や感情の振り幅とその変化や矛盾に振り回される自分自身、そして現実世界や社会での身の処し方や周囲との折り合いに苦しんだ私も、時を経て人並みに落ち着いてきた(凝り固まってきた?)
歳をとった今や、人間多かれ少なかれみんな相反する自己を持ってるもんだわな〜そんな当たり前のことであんなに悩んじゃって私ったら恥ず〜…とすら思うが、それでも今なお自分を形容するにこれ以上の言葉は無くnoteの名前としても使うことにした。
きっと今も何処かに同じように葛藤して苦しんでいる子が居るんだろう。そういう意味でもこの映画はとても普遍的な価値があると思う。
ちょっと悪い影響受けてイタい感じになるかもしれないけど笑
それすら、やだハズカシ〜!と笑える日がきっと来る。