私は終わりです
感情の起伏がおかしい
昨日の昼までは調子が良かったように思えたけど急激にメンタルが終焉(おわ)ってしまった
心当たりのあるきっかけは、外泊から病院に戻る時に車での移動中に高めのマンションや線路で電車が走っている音が聞こえて反射的に自殺のことを考えてしまった
“考える”と言うよりは、脳裏を過ぎるの方が正しい
この現象は自分の力じゃ止めることが出来ず、特に死にたいと思っているタイミングじゃない時もこれは起きる。
それが理由で逆に死にたくなることがよくある
病院に着いてしばらくしてから不安時の屯用の薬を貰って飲んだが、全くと言っていいほど効かなかった
ここまで私が効いたと実感できる薬を処方して貰えないのも過剰服薬を繰り返した自分が悪くて全てが自業自得だから仕方が無くて、
後悔というか、自分にうんざり・呆れとかの域は超えているし、そんな感情はもはやデフォルトなので
“自分自身への憎悪”を感じる
私は何故こんなにも、言葉にできない程の馬鹿なんだろうか?
自分が言葉にできない程の馬鹿という言葉を打っている最中に思い出した事だが、
それが『他人からの悪意に気付けない』というもので、今は昔より減ったと思いたい
昔は特に、他人からの悪意に気付けなかった
その時は気付ける程の知能が無かったのだろうか?それとも気付かないフリをしていたのだろうか
多分、前者だと思う
毎回必ず 何日か後、何週間か後、何ヶ月か後、何年か後にこの出来事を思い出してその時に「アレってそういう事だったんだ」と気付くから。
その度に悲しくなる
“悪意に気付いて”が理由では無く、その事にずっと気付けない自分が馬鹿すぎて自分の事を今より嫌いになってしまうから。
自分の感情の起伏の話に戻るが、病棟に戻って屯用の薬を飲んでも効かなくて負の感情が頭の中でこんな感じになっていた(画像)
このように1つの考えが色んな方向に考えてしまって、いつの間にか小さな思考が毎回大きくなりすぎていってしまう
昨日の消灯後気を紛らわそうと思い漫画を読んでいたが、自分に対する嫌悪感で涙が止まらなくなってしまった
ろくに漫画も読むことができなかった
最近、新しくゲームを買ってもらってやっていたけど昔の子供の頃のように楽しめなくなっていた自分を思い出して苦しくなった
これは自分が子供の時から成長した印なのかもしれないが、私のこの精神病がそうさせている気がして辛くて仕方がなかった
何かが欠けているように感じた
そのゲームを買ってくれたのは母親で、「貴方がそれで元気になるのなら」とちょっとした約束のような感じで買ってくれた
それなのに、心の底から楽しめたような感じでも少しでも元気になったような感じでもなく、私に取り憑いている絶望感が増してしまった
母親のことをまた裏切ってしまったような気持ちになり、涙が止まらなかった
自分が嫌で、死んでしまいたかった 意味も無く遺書を書こうとしていた
死ぬ方法や、大切に想っている人達の事を考えていたらもっと涙が出てきた
「…もう寝よう」と思い、目を閉じた
その日も、酷い悪夢を見た
学校が舞台で、友達(夢なので誰かは分からない)がいっぱい校舎から飛び降りて死んでいた
私はそれを遠くから見ていて、友達がアスファルトに落下した際の「ドン!!」という音が辛くて泣いていたら、急に教室の窓から黒煙が見えてその途端「火事が起きました」という放送が流れたところで起きた
起きても泣いていた
胸が苦しかった
今も涙を流しながらこの記事を書いている
自分には救いが無く、八方塞がりのように感じる
以前主治医に「助けてください」と泣きながら伝えたところ、「週7カップ麺さんの言う“助ける”ってどういう事を言うんですか?」と返された記憶がよく蘇る
その私が言う“救い”は、
全てを終わらせる(自殺)ことなのか、病気を治す事なのか、それ以外なのか自分でも分からない
私はいつも「早く終わってくれ」という人生に対してなのかこの私が背負っている苦しみのことに対してなのかよく分からないことを考えている
けど、それと同時に「いつまでこうなんだろう」とも考える
自殺したら終わるのか この病気が治ることで終わるのか
これも分からない
もしもこの病気が寛解したとして、また同じような苦しい気持ちになるかもしれないというどうしようもない恐怖を感じる
毎日朝が来て、絶望する
そして少しマイナスな気分のまま眠るか、起きたら死んでいることを祈りながら寝るか、泣き疲れて寝るかだ
私はずっとこのままなのだろうか
もう、全てを終わらせたい
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