お仕事よりも辛くなってしまった推し事
最近、推し事(=推しを応援すること)がだんだんと辛くなってきていることに気づいた。
このコロナ禍になった当初は、まだ推しを応援する元気があった。
エンターテイメント業界の悲痛な声をSNS上で見れば見るほど「応援しなくちゃ」「支えなきゃ」という思いが強くなり、配信を見たり、グッズを買っていた。
けれど、徐々に「ガイドラインを遵守して生のライブを開催」という方向にシフトし始めた。当たり前のことである。
ただ、圧倒的に都内でのライブばかりになった。
地方在住の私は、コロナ禍になる前は東京や大阪に月2回くらい行ったりしていた。そして、地元にも多いときには月に2~3回はライブやイベントで来てくれていた。
でも、このご時世でなかなかそうはいかなくなった。そして、わたしも簡単に東京や大阪に行けなくなった。
配信はほぼなくなったものの、zoomでのオンラインイベントで画面越しで会話をしたりもした。けれど、ライブにほとんど行けていないから私も推しに話すことなんてほぼないし、推しも話題がなくて気まずかったと思う。
頑張って話題を振ったりもしたけれど、自分が推しにかなり気を遣ってしまっていることやどこかマンネリ化したその何とも言えない空気感を感じたことによって「ああ、なんかもうどうでもいいかも」と思った。
コロナ禍で仕方ないにしても推しと会えないことや満足に推すことができなくてどこか引け目を感じてしまうこと、掲示板でささやかれる推しの既婚説、自分の状況を客観的に見てしまったことで何とも言えない虚無というかやるせなさというか疲労というかなんか何とも言葉に表しがたい、色で言うとグレーみたいな気持ちが心の奥にずっとあるようになってしまった。
友達には「お前は推しのことを考える時間を少し減らしたほうがいい」と言われた。
考えない時間は好きになってからほとんど無くて、脳内メーカーで表すと全部が推しといった感じだった。ガチ恋だから仕方ないけれど。
少なくともこの数年はそんな日々しか送ってこなかったのだ。
それが悪かったとも思わないし、後悔も一切ない。
そのときの自分にはそれしかなかったし、それを選んできたのは紛れもない自分なのだから。
もちろん、好きという気持ちも変わらない。
多分、ちょっとだけその愛の形が変わっただけで。
これからも応援したい気持ちは全く変わらない。
でも、疲れてしまったので少し休もうと思います。
推しは大切だし大好きだけれど、どう転んでもわたしの人生の責任は負ってくれないから。