医大生無罪判決反対運動の3つのデマと訴訟リスク
はじめに
医大生無罪判決反対運動(仮称)がツイッターを中心に大規模に行われ、大阪高裁前のデモ活動や裁判長弾劾訴追署名活動、高裁への集団的な電凸攻撃などにつながった。しかし、この反対運動の大部分は事実誤認やデマで構成されており、それらを指摘する声は集団ヒステリーの前にかき消された。
この記事では反対運動に関する事実誤認とデマを、その形成過程とともに紹介していく。
デマ①:「裁判所が男女間に同意があったと認定した結果、被告人は無罪となった」というデマ
このデマ①の起点が、というよりも、反対運動全体の起点が、岡野タケシ弁護士の下記のツイートが1000万回以上閲覧されたことにある。
注意しなければならないこととして、このツイートは
・地裁では男女間に同意がないと認定され、被告人が有罪判決をうけたこと
・高裁では逆転無罪となったこと
を抽出した投稿になっており、法律に詳しくない大勢の閲覧者は「じゃあ高裁は『同意があった』と認定したから無罪となったのか!!」と誤解した。
その結果、以下のようなツイートが拡散された。
しかし、実際はそうではない。医大生は強制性交罪で起訴されており、不同意性交罪で起訴されたわけではないため、正しくは「高裁は『暴行・脅迫があったとは言い切れない』と認定したから無罪となった」のである。
(この理屈を説明するためには「推定無罪の原則」「罪刑法定主義」「法の不遡及の原則」「構成要件該当性」といった専門用語を押さえておく必要があるが、ここでは説明しきれないので、できればこれらの趣旨目的も含めて調べてほしい。)
一方、同意の有無はあくまで周辺的な争点であった。現に、地裁の判決文(大津地判令6・1・25)でも、「同意がなかったから有罪」という書き方ではなく、「暴行脅迫があったから有罪」という書き方になっている。
それでは、なぜ裁判所が同意・不同意にも重点を置いた判決文を書いたかと言えば、おそらく(これは本当に推測でしかないが)法務省が強制性交等罪と不同意わいせつ罪の処罰範囲は本質的には変わらない旨を表明したことを受けて、裁判所もこの趣旨に則った判決文を書こうとしているのではないかと考えられる。(言い換えれば、裁判所は今回のような法改正前の強制性交等罪に関する裁判について、改正後の不同意性交等罪の要素も取り入れた判決文を書きたかったのではないかという予想。)
デマ②「裁判所が女性の『嫌だ』等の発言を『卑猥な表現という範疇のもの』と判断した」というデマ
このデマのきっかけは、岡野タケシ弁護士のツイートを引用したこのツイートだと思われる。
このツイート内の「これ」が男女どちらの発言を指しているのかが不明確なため、おそらくデマ①の「同意があったと認定されたから無罪」論に引っ張られる形で、女の拒絶の発言が「卑猥」と認定されたという誤解が発生したのだろう。その結果、インフルエンサーと署名が共にこのデマを拡散した。
署名(初期版)
なお、実際に裁判所が「卑猥な表現という範疇のもの」と評価したのはA男(今回の裁判とは無関係)の「が、いいってなるまでしろよお前」という発言であり、X女の「嫌だ」等ではなかった。A男のこの発言が強制性交罪の構成要件要素のうちの「(相手方の反抗を著しく困難にする程度の)暴行・脅迫」にあたるかが裁判の争点となり、裁判所が「A男の発言は脅迫とまではいえず、卑猥な発言というにとどまる」と判断した、というのが本来の文脈であった。(注:弁護士ドットコムのA男と後述のyahoo!ニュースの男子大学生Aは別人。)
実は署名はこのデマを途中でサイレント修正したが、ほとんどの署名者たちはこのデマを信じたままだろう。
また、東京新聞記者が署名のサイレント修正後も、修正前の文章を引用しつつ改めてこのデマを拡散させたことも記録しておく。
デマ③:「女性が男性宅に入ったことについて、裁判所が性行為の同意と認定した」というデマ
このデマはyahoo!ニュースの速報記事の曲解から発生した。
これを見ればだいたい分かるように、一連の性行為のうちの最初の性行為である口腔性交①について、「女がためらいもなく(≒暴行・脅迫もなく)男の家に入り、その後口腔性行①に及んだことについて、これだけの断片的な情報から外野が事後的に『女は不同意だった』とは言い切れないのだから、裁判所は推定無罪の原則を適用した」というだけである。
別の言い方をすれば、男女に性的同意があった場合でも、「女がためらいもなく男の家に入り、その後口腔性交①に及」ぶはずだが、今回がこのパターンではないとどうして言い切れるのか?言い切れないならば被告人の男に有利に取り扱わなければならない、ということ。ここで留意しなければならないのは、推定無罪の原則とは「疑わしきは被害者の利益に」ではなく「疑わしきは被告人の利益に」である。
なお、地裁の判決文によると、口腔性交①開始時点では録画はされておらず、女も「口腔性交①をした記憶はあるが、そのきっかけの記憶はない」旨の証言をしているため、本当に証拠も証言も存在しない。
話を戻すが、決して「暴行・脅迫なく家に入ったのだから以後の全ての性行為についても同意があったはずだ」などと裁判所が認定したわけではない。そして、口腔性交①以降の性行為についても、高裁はそれぞれの性行為について暴行・脅迫が認められないから強制性交等罪の要件を満たさないものとして無罪を言い渡した、というのが正確なところである。
しかし、まるで「暴行・脅迫なく家に入った→性的同意」と認定されたかのような言説が拡散されていく。(署名もこのデマを拡散したうえ、最後まで修正されることもなく訴追委員会に提出された)
補足すると、最後のAlice Brineの窃盗のたとえ話は今回の話とは全く関係がない。氏の主張は「女が酔って男を家に上げたが、性行為について明確に不同意を宣言した場合、女が性行為をされてもよいわけではない」というものである。(いわゆるNoMeansNoの話。)
これに対して、今回の事案は「女が酔って男の家に上がり、性行為が同意であったかは分からないが、とにかく実際に性行為に及んだ場面を想定して、事後的に外野が『女は不同意だった』と言い切れるだろうか?」という話だからである。
ちなみに、記事の本筋からは離れるが、署名の3点目の批判も的外れである。署名は「女の証言が真実かもしれないのに裁判所が女を疑ったこと」を批判しているが、これは「女の証言は疑うな。男には推定有罪を適用しろ」の言い換えでしかない。
つまり、「裁判所が無罪判決を出した理由3点」という署名の説明と指摘は上から順番に「デマ・デマ・的外れ」であった。
署名者が抱える30万円分の訴訟リスク
とすれば、特に今回の署名をした者は全員、飯島裁判長から民事訴訟を起こされる法的リスクを抱えているのではないか。このように考える理由は以下のとおりである。
①たしかに、裁判所の判決を国民が批判することは、表現の自由(憲法21条1項)によって保障されている。
②しかし、それは正当な理由があって初めて認められる権利である。そして、今回の署名に書かれていた内容はデタラメだった。
③過去には、デタラメなブログの内容を鵜呑みにした人々が、弁護士会に懲戒請求を行った事例があるが、逆に弁護士が彼らに対して損害賠償を求めた結果、数百人の懲戒請求者が裁判所からそれぞれ10~30万円程度の慰謝料の支払いを命じられている。(通称、余命三年時事日記事件。)
④今回の署名騒ぎは上記事件と同様の構図であるため、署名のデタラメな記述を鵜呑みにして署名にサインした人は全員、裁判長から精神的苦痛を理由に損害賠償請求訴訟を起こされるリスクがあるといえる。
⑤なお、署名は途中で「人事評価部門宛」→「訴追委員会宛の訴追請求書」→「訴追委員会宛の意見書」と署名者に無断でこっそりと二転三転したが、だからといって署名者の訴訟リスクが消滅したとは言い切れないだろう。なぜなら、前述の事件で慰謝料の請求が認められた理由は「見ず知らずの者から不当な害意を向けられるという恐怖を感じたこと」等であり、これは人事評価部門宛であろうが、訴追請求であろうが、意見書であろうが変わらないからである。署名者が署名したことで裁判長に「不当な害意を向けた」結果、裁判長に「不当な害意が向かった」という枠組みは変更されていない。(慰謝料の算定額は多少上下するかもしれないが)
⑥同様に「どうせ裁判長を罷免できないのだから署名してもよい」という甘言も非常に危険であり、やはり「見ず知らずの者が不当な害意によって裁判長に恐怖を感じさせた」と言える以上は訴訟の対象となりうる。
終わりに
インターネットですごい一体感を感じてはいけない。また、話の出所が女衒・活動家・扇動屋の場合は「どうせ嘘だろう」と思っておくくらいで丁度いい。ところで、この記事で紹介したアカウントの中で、女衒アカウントがいくつあったか分かりましたか?