発達でこぼこのむすめを育てて③/n
さて、無事格さんが生まれたところまで話は進んだわけですが、退院するときには「これからたくさんのものや人に出会ったり触れ合ったりしていこうね!」と格さんに声をかけると、込み上げてくるものがあり、胸がいっぱいになりました。
「Hello world!」そして、ここからこそがスタートなのだと。
産後は、床上げ3週間ギリギリのところまで実家でお世話になり、すぐに自宅に帰りました。
両親はもっといてもいいのにと言ってくれましたが、いろんなことが恵まれすぎていて、自宅に帰れなくなると困る、と考えたからです。
わたしの乳はなかなか立ち上がらず(こんな表現があるの産むまで知らなかった)、最初はミルクも足しました。
その後、分泌過多になるくらいわたしの乳は立ち上がったのですが、今度は乳腺炎によくなり、高熱をよく出していたな、という思い出があります。
新生児期の夜間頻回授乳、夫は朝から晩まで仕事でバテバテなので、なんだかんだわたしが責任感をもって「こんなもんか」と思いながら、1人でこなしてしまったけれど、今思えば寝てるところを叩き起こして夜中に起きてミルクを作るとか、現実を見せたらよかったなぁ、と思います。
そうしたらもう少しむすめとの絆も変わっていたかも?
格さんは生後4ヵ月くらいまではとっても穏やかで、寝起きもよく、ロングスリーパーではないものの、わたしのこともたまには寝かせてくれて、本当に過ごしやすかったです。
ただただ、かわいいで過ごせた。
とはいえ、超難産だったので、骨盤底筋びろんびろん、出血過多でヘロヘロ、手首もすぐ腱鞘炎になって、身体はとってもしんどかったけど。
そして。
実は産後マジックで忘れていたけど、わたしはADHDと双極性Ⅱ型なんですよね。
妊娠半年くらい前から全ての薬をやめ、十月十日。
そこにプラスして生後4ヵ月。
そろそろ限界がきました。
ひさしぶりに実家に帰ったときに、1泊して帰る予定だったのが、しんどくて帰れなくて、何泊かして、結婚前から診てもらっている実家近くの精神科に寄って帰りました。
そこで、授乳中でも飲める薬を処方してもらって、また新たな生活をスタートさせました。
その後何が困ったって、夜泣き。
このときは夫を叩き起こして助けてと言いましたが、まぁ起きない。
ちなみに、ここ最近でわかったことですが、夫もADHDとASDです。
気など回らない、気が利かない、目を配れない、気づかないの四重苦。
幸いにして、わたしの脳は赤子の泣き声が大丈夫なように作られていたので、どんなに泣かれても冷静でいられました。
そういえば。
こどもを産む前に決めていたこと。
それは「物事を俯瞰して見ること」。
入れ込みすぎずに一歩引き目線で、観察目線で過ごそうと強く心に決めていました。
だから、火のついたように泣く夜泣きもなんだかんだ、「こんなもんかな」で乗り越えました。
泣く寸前てこんな顔するんだ、こんな行動するんだ、って観察を楽しんで。
ただ、支援センターみたいな場所は大っ嫌いでしたから、他の赤子との比べようもなく、大体の苦労を「こんなもんかな」と悩みもせず、比べもせず、淡々とこなしていました。
当時、twitter(今は𝕏)で愚痴ることはあっても、思い詰めていないので至って健全。
「格さん寝ねーなー」「ねみーなー」くらいな。
なんなら「寝ない格さんもかわいいねえ」とツイートするほど。
Instagramに泣き顔の格さんを載せたとき、
「よく考えたら当たり前ですが格さんも泣くんですね!」という趣旨のコメントをいただき、そりゃ赤子だから泣くよね、って思いました。
でもまぁ本当に、よくにこにこしていたし、それをよくポストしていたので、改めて、泣くのね?!と驚いたのかもしれないな。
あのね、泣かない赤子はいないのよ。
泣かない赤子には何か重大な問題があるから、きっと。
というわけで、まだまだ穏やかな格さんの話はここまで。
次回からは何をどう書いていこうかな。
約10年前の出来事だから、
もう記憶もおぼろげなんですよね。