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アラサーADHDの中学時代その2

米粒です!

引き続きADHDエピソード書いていくよよろしく_φ(・_・

遅刻ギリギリ

ADHDの私ですが

遅刻の特性が顕著に出始めたのは中3からで

意外なことにも小学校時代と中2のときまで

遅刻をしたことがありません

ただこれには理由があって

前記事でも書きましたが

小学校の頃は輪にかけて母親からの干渉が酷かったので

毎日時間に余裕を持って行くようにしつけられていましたし

小6のときに私の学区でとある全国ニュース級の事件があり、集団登下校になったため

歩くのがまだ遅い1年生も余裕を持って間に合うくらい早い時間に登校していました

中学に入ると少し親の干渉は減りましたが

入学したてから部活に入るまでの間は

学ランがブカブカで歩きにくかったので

早めに家を出るようにしていました

あと私の中学では

遅刻した際に先生からクラスと名前を聞かれ

給食の静かな時間に校内放送で遅刻者を発表する公開処刑があったため

その公開処刑が嫌だったというのもあります

部活に入ってからは、朝練というものがあり

学校が始まる1時間以上前に登校していた為

遅刻という概念すら当時はありませんでした

(朝練に寝坊で遅刻することはあったけどゆるい部活だったのでセーフ)

ですが災いは忘れた頃にやってくるとかなんとか‥

これは忘れもしません中1の11月26日

私の中学は期末テスト期間中で部活はなく、

学校始業の8時半までに校門を通過すればいいというものでした

11月26日の朝、ギリギリに起きた私は

前日した準備の再確認をしていました

しかしよく見るといつも使っているシャーペンがないことに気づきました

「ない!ない!」と部屋をひっくり返し

時間はどんどん過ぎていきました

やっとの思いで机のプリント雪崩の間からシャーペンを出したときに家の壁時計を見ると8時25分

私は学区の中でもかなり学校が近かったので

歩いて6〜7分の距離でしたが

5分前を確認したときに血の気が引きました

無我夢中で走りました

あまりにもギリギリの時間だったので

いつもの通学路に生徒は誰一人もおらず

それが私の不安をさらに掻き立てました

最後の曲がり角を左折した私の目に、中学校のすぐ下の通学路に立っている2人の学ラン姿の人が見えました

学ランの人たちも同じタイミングで私を見つけ

「急いでください!!!」

と声を張り上げた。

その号令とともに私は気力を振り絞りスピードを上げました

学ランの2人は生徒会の人たちで

見たことのある顔、というか小学校時代からの先輩。

息を切らしながら私は

「あと‥何分ですか‥?僕は‥間に合いますか‥?」

と恐る恐る聞いた。

先輩は

「あと1分ちょいある。全力で走れば間に合う」

と笑ってくれた。

私は会釈をし

また重い荷物でヘロヘロになった足を必死に動かす。

「もう間に合わないのではないか」

「校内放送されたら担任や顧問に怒られるだろうな」

「家に通達が行ったらどうしよう」

1分間、そんなことばかりが頭をグルグルしていた。

別の方向からも必死に何人かが走ってくるのを横目にし

先生がカウントダウンを始める。

私は涙目で校門を駆け抜けた。

駆け抜けて数秒後、駆け抜けられなかった遅刻者を嘲笑うかのようにチャイムが鳴った。

私はギリギリ間に合った。

しかし重い鞄を背負って全力疾走したうえ、いろんな悪いことばかり考えていた私は

その日の午前中は足に重りがつけられているのではないかと疑うくらい重かった。


ちょっと小説チックなストーリーになりましたねw

まあこんな脱線もたまにはいいでしょう😄

次回に続きます!





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