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八王子ウエストゲートパーク〜同窓会の回

小学校の同窓会に呼ばれた。
成人式の少しあとに開催されて以来なので二年ぶりということになる。いまも八王子に住んでいる連中はたまに会っているらしいが、引っ越してしまった僕は彼らと会う機会も減ってしまった。彼らと会うのも必然的に二年ぶりということになる。

三月上旬には、出席者だけのLINEグループができた。発起人のユウヤを中心に、メンバーは七人しかいなかった。思ったより少数だなと思ったが、よくわからない肺炎が蔓延し始めた2020年三月半ばのご時世を顧みれば、それもまた仕方のないことだった。楽しみなことに変わりはない。

当日は八王子駅近くの居酒屋に19時に集合、という段取りになっていた。
大手町で就活の予定を終えた僕は東京メトロと京王線を乗り継ぎ、久々に八王子に降り立った。都心に比べて3℃ほど寒い。
そうだ。冬は都心に比べてけっこう寒いんだった。よく「中央線は『ジ』がつく駅ごとに気温が1℃下がる」と言われる。高円寺、吉祥寺、国分寺、八王子。中高時代、通学のために高尾始発6:51の中央線に乗り中野で乗り換えていた僕は、それを身を以て感じていた。23区内に越してからというもの、八王子に帰る機会はめっきり減ってしまった。

予定時間よりだいぶ早く着いてしまった僕は、彼らに「その辺ぶらぶらしとくわ」とLINEを送り、JR八王子駅から京王八王子(京八)駅まで散策し始めた。この徒歩10分の界隈には当時通っていた床屋や教習所がある。当時は恨めしく感じていた遠さも、暇つぶしにはちょうどいい距離だ。
途中、ファミマのイートインでヘパリーゼを飲んでいると、ナナから「もうすぐ着くよ!」と連絡が入った。ナナは、二年前の同窓会は産後間もないという理由で欠席していた。彼女と会うのはかれこれ10年ぶりということになる。小学校時代のナナユウヤを中心とした悪ガキ軍団の中におり、彼の取り巻きのひとりだった。

京八の駅前に着くと、こちらに手を振るナナが見えた。当時の面影は残っているようで、10年の間会っていなくても互いのことはすぐに認識できた。ナナはくすんだ金髪にラフな出で立ちだった。途中で合流したリョウと共に話を聞いていると、ナナの息子は既に二歳になっていて、現在はシングルマザーとしてバーで働きながら実家で暮らしているという。

リョウは卒業式を翌日に控えた大学四年生だ。卒業後は建築系の仕事に就くという。人当たりのいいリョウは、小学校時代、夏になると学校の中庭の木を蹴り、落ちてくるコクワガタやスジクワガタ(たまにカブトムシやノコギリクワガタ)を拾う輪の中心にいたような活発なクソガキだった。
僕とリョウは妹も同級生ということもあって家族ぐるみの付き合いで、休み時間はサッカーや鬼ごっこに興じたりと仲が良かった。
彼とは一度だけ喧嘩をしたことがある。
ふたりで一緒に帰っているときに、僕とリョウは掴み合いの喧嘩になった。原因は覚えていないが、些細なことが理由だったような気がする。リョウは小柄だったがサッカークラブに通っており運動神経が良く、僕は攻めあぐねていた。
僕の顔面に唾を吐き距離をとったリョウは、一瞬の隙をつき距離を取った。ランドセルの中をごそごそと漁ると、何やら刃物のようなものを取り出して僕に突きつけてきた。柄が小さく刃渡りは短い。よく見ると、それは美術室から盗んできた彫刻刀だった。
唾を拭っている自分への情けなさと、若干10歳でこのまま同級生に殺されるのかもしれないという怖さから、僕は路肩で嗚咽を漏らしながらリョウに懸命に蹴りを入れ続けた。圧倒的体格差がありながら、僕は負けた。
「お前、酔っ払って彫刻刀で斬りつけてくるなよ?」と僕が言うと、リョウはバツが悪そうに笑った。

予約した時間の数分前に店に着くと、その後十分ほどで幹事のユウヤを除いた全員がその場に揃った。
医学生、文系大学生、看護師、シングルマザー、事務員と肩書きはバラバラだった。同じ小学校を巣立って10年、それぞれに待っていた未来はこんなにも違うのかと驚かされる。
下戸の僕を除いて皆が酒を頼み、それぞれの近況トークに花を咲かせた。この場でトークの舵を取るのは、八王子で各メンバーとたまに飲んでいるという医学生のシンペイだった。

文武両道を地で行くシンペイは、悪さにも頭が回る男だった。
五年生のとき、僕たちは放課後になると10人ほどのグループで秘密基地を作って遊んでいた。当時、小学校の向かい側には鬱蒼と茂った林があり、その中には不法投棄された椅子や資材が転がっていた。シンペイユウヤは例によって美術室からノコギリや釘などを持ち出してきて、みんなで木を切り倒した。着工からひと月が経ったころには、10人は余裕で入れる大きさの家具(不法投棄のリユース)付きのダンボールログハウスが出来上がった。
その秘密基地の上には公道が通っていた。その公道はそれなりに人通りがある場所にあり、近くの中学校の通学路でもあった。ある日、いつも通り秘密基地にやってきたシンペイはランドセルをほっぽり投げて、女子中学生が下校するタイミングを見計らって道を見上げていた。
「なにしてんの〜?」
ユウヤが聞く。
「これはな……、」
シンペイが答える。やり口をみんなに共有したとき、彼は一躍ヒーローになった。

「なあ、おしぼりちんこ知ってる?」
そのうち、シンペイが手許のおしぼりをいじりながらそう言い出した。「ほら、おしぼりをちんこの形にするやつ。先輩に教えてもらったんだけど」
ある者は自己流でおしぼりちんこに挑み、ある者はスマホで検索してからおしぼりちんこを作った。
「合コンで盛り上がるやつね」
「そうらしいな」
少し経つと、テーブルの上には歪な七人七様のおしぼりちんこが七竿分並んだ。
「できたな!」
「いや、ちょっと違うわ」
「え?」
ナナはそう言うと、全員の中で比較的上手く作れていた立派なブツを解き、新たな作品を作り始めた。
「こっちの方が正しくない?」
ほら、と差し出した手の上には、ちょこんと小さな突起が飛び出たおしぼりが乗せられていた。
「……なにこれ?」
なぜ粗チンに作り直したのか……? と疑問に思っていると、ナナが口を開いた。
「ウチのチビのぞうさん」
だいたいこんくらいの大きさだよね〜と笑いながらギャハハと騒ぐナナを見て、僕はおしぼりちんこ大喜利の正解を出されたような気がした。

「お〜〜〜!!!久しぶりじゃ〜ん!」
飲み始めて一時間半が経過したころ、首元のフェイクファーを揺らしながら店内に大股で入ってきたユウヤが、黒いダウンを脱いで中央にどかっと座った。
ユウヤは一家で経営するラーメン屋の倅で、ヤンキーを卒業した今は分店で立派に店長を務めている。今日も仕事を上がる時間が遅くなったらしく、「疲れたわ〜〜」と言いながら運ばれてきたビールを一気に飲み干した。
「オール明けだからしんどいわ〜」
ヤンキー上がりとは得てして体力があるものだ。
「あれ、お前飲んでね〜の?」
「一杯目から飲んだら俺、30分で使いもんにならなくなるぞ?」
「あ、そっか!お前めっちゃ弱かったもんな〜!」
ユウヤと会うのは二年ぶりだ。
成人式の少し後に開催された件の同窓会では、カラオケでユウヤにレモンサワーを散々(三杯)飲まされて死にそうになったのを思い出した。心底楽しそうにニコニコと飲ませてくるから、飲まされても何だか悪い気がしないのだ。あのとき、皆がドン引きするほどすぐ吐いたからか、ユウヤはこれ以上僕に酒を飲むよう勧めてくることはなかった。

僕とシンペイを除いた面々はそれぞれ地元の中学に進学しており、お互いの近況はある程度把握しているようだった。
ユウヤってさ、そういえば一回警察に捕まってなかった?」
そんなことをどこかで聞いた覚えがあったので聞いてみる。
「捕まってね〜よ!なんで捕まったことになってんだよ〜」
ユウヤは答える。「まあ上手いことやってたからな〜」

小学校のころ、ユウヤは良くも悪くもかなり目立つ存在だった。運動神経が良く、喧嘩をすれば学年最強。しかし先生とは仲良くやっていけるタイプの愛嬌がある悪ガキだった。
ユウヤには同じ小学校に通うひとつ上の兄貴がおり、兄貴もまたひとつ上の学年を総べる存在だった。
僕らが小学校五年生のとき。
とある放課後、彼ら兄弟が中庭で取っ組み合いの喧嘩をしているのを見かけたことがある。兄貴はユウヤよりも一回り大きく、さすがのユウヤも叶わないようで大声で泣きながら兄貴に食らいついていた。
あのユウヤが負けるのか、と当時の僕には衝撃だった。
遠巻きにじっと戦況を見つめていると、兄貴はユウヤの両手を掴んでぐるぐると振り回し始めた。兄貴を軸に、ユウヤを馬に見立てた狂気のメリーゴーランドは回転を止めず、むしろどんどんスピードを上げていった。
ユウヤがこちらと向こう側を数度行き来した後、兄貴はハンマー投げの要領でユウヤの両手をすっと離した。飛んで行ったユウヤは、近くの生け垣に突き刺さった。勝負はついた。ユウヤは負けたのだ。僕はなんだか怖くなって早足で帰路に着いた。
その翌日、膝に絆創膏を貼ったユウヤは元気に「おはよ〜!!」と登校してきた。アイツにはあの程度の喧嘩は何でもないのか、と僕は末恐ろしく思ったのを今でも覚えている。

「でも喧嘩はいっぱいしてたんでしょ?」
「まあ〜そりゃあね〜」
ユウヤは今頃になって大量に運ばれてくる炒飯をかき込みながら答える。
「お前、三回車に轢かれて三回留置所にブチ込まれたとか言ってなかった?」
シンペイが聞く。他の面々はある程度知っていたようで、あったなそんなことも、と笑った。

ユウヤ曰く、車に轢かれた一回目は小学六年生だったらしい。
放課後、シンペイたち数人と外で自転車を乗り回していたユウヤは、通学路にある人通りの多い交差点にフルスピードで飛び出し、案の定車に轢かれたという。
不幸にも加害者となってしまった車のボンネットは大きく凹み、ユウヤも自転車ごと吹っ飛ばされた。
しかし、轢かれた当の本人はムクっと起き上がると、「俺は大丈夫だから警察には連絡しなくていい、むしろしないでくれ」と頼み込んだ。肘を擦りむいた程度で怪我もなかったユウヤは、狼狽する運転手を説き伏せてシンペイらとともに走り去ったのだった。

「あのときはユウヤ不死身だなって思ったけど、よく考えたら警察行くべきだよな」
「でもさ〜、あの次の日が日光移動教室だったんだよな〜」
僕たちの小学校の六年生は修学旅行で日光へ行く。高橋みなみ(八王子市出身)がラジオでその話をしていたから、八王子市の小学生には共通したイベントなのだろう。
その一泊二日のイベントは日光移動教室と呼ばれており、僕たちはそれを低学年のころから「ろくねんせいになったら、みんなでとまってあそべるんだ!」と楽しみにしていた。
「さすがに行きたいからさ!みんなと日光〜。病院なんか行ってらんないよな〜」

中学に上がったユウヤは、それまでやっていた野球を辞め、サッカー部に入った。
「今考えたらおかしかったよな〜」と本人が回顧する金髪モヒカン時代のユウヤは、サッカー部でレギュラーを獲得し、喧嘩に明け暮れ、ついでに野球部の試合にだけ顔を出し四番を打っていた。
見渡す限り坊主頭が並ぶ中、白い野球帽からはみ出た鮮やかな金色の後ろ髪。その異様さは小さなゴシップとして八王子市の中学校に広がり、学区の関係でユウヤとは違う中学に通っていたリョウや、八王子市内の私立中学に通っていたシンペイの耳にも入ったという。
ユウヤさぁ、俺んとこの中学のヤンキーともその辺の角材拾って喧嘩してたよなあ」
リョウが言う。「あのとき、偶然だけど現場のすぐ側いたんだわ」
「あれね〜!結局アイツらが川沿いまで逃げてボコボコにしたあと警察に捕まって停学になったんだよね〜!」
「捕まってるじゃねえか」
「逮捕はされてないから!」

ユウヤは学校が好きだったから、ドがつくヤンキーにも関わらず毎日学校に通った。停学を食らっても学校に通った。周りのヤンキー仲間は出席不足で退学になったりしているのにも関わらず、である。
「そんな奴漫画の中でしか見たことねえよ」
ユウヤがどこ中の誰かと喧嘩した情報、すぐ回ってきたもんな」
「金髪だったって聞くと、あ、ユウヤだな、みたいなね」

「二度目は普通に轢かれただけなんだけど、三回目は喧嘩で轢かれたんだよね〜」
ユウヤが続ける。「高一のときに彼女を取られてさ〜」

高校に上がり原付を乗り回していたユウヤは、とある駐車場を通り過ぎたとき、見慣れた車を見つけた。それは四つ上の仲の良いヤンキー(20)の車だった。
近づいていくと、いつもと様子が違う。運転席に座っているのはヤンキー(20)ではなく、その弟(16)だった。よく見ると、助手席にはユウヤの彼女が座っていた。

「とりあえず降りてこいよ」
反応はない。
「降りてこいよ!!!」
反応はない。相手は八王子市中に名が轟くユウヤだ。できることなら降りたくないという彼の気持ちは理解できる。ユウヤは車の正面に仁王立ちしながら睨みを利かせた。
ブロロロロ…
睨み合いが続いたあと、エンジンの起動音が響いた。そのあとすぐに車は急発進し、ユウヤ目掛けて走り出した。
「おい!!!」
正面から車に衝突したユウヤは、衝突を躱すために飛び上がるとボンネットに乗り上げた。
「止まれよ!!」
車は止まらない。駐車場から公道に出ると、車はますますスピードを上げた。ユウヤはワイパーに足を絡ませ、フロントガラスをドンドンと殴りつけた。

「もう土竜の唄の世界観じゃん」
僕が引き気味に言う。
「そんなに引くなよ〜!」ユウヤは続ける。「でも、あのときはこわかったな〜…」

法定速度を優に超えるスピードで走る車と、ボンネットにへばりつくユウヤ。車が私有地に入り、フロントガラスにヒビが入り始めたころ、近くにいた警察官が騒ぎを聞きつけて近くにやってきた。
「おい!何やってんだ!」
「やべ〜!」
ユウヤも焦った。運転しているのは曲がりなりにも親友(20)の弟(16)だ。まだ自動車免許も持っていない。このまま捕まってしまったら、私有地とはいえ轢き逃げと無免許運転、その他諸々の罪に問われる可能性がある。それはなんだか心苦しい。それに、彼女を奪ったコイツを自分でぶん殴れないのは本意ではない。
「お前〜とりあえず逃げろ!あとでぶん殴るからとりあえず逃げろ!」
フロントガラスにへばりつきながらユウヤは叫んだ。
「わかりました!すいません!」
弟(16)は車を停めてその場を逃げ出した。
「あとでぶん殴るからな、今日の夜いつものあそこ来いよ〜絶対に」
「はい!すいません!」

「キミ!何やってたんだ!」
その場に着いた警察官が問う。
「いや〜仲間内で遊んでて〜」
「遊びでボンネットに乗る奴があるか!」
「でもほら、俺無傷だよ〜?」
「…まあいい。アイツらどこに逃げた?」
「ちょっとわかんないスね〜〜」

「で、なんだかんだあってとりあえず警察をやり過ごしたのよ〜」
ユウヤが言う。「いろいろ聞かれたけどね〜」
「そんな簡単にどうにかできる事件なの?」
「何とかなった!だべ?」
促された皆は一様に頷いた。皆知っている事件なのだろう。

「来ねえな〜アイツ」
「来たらぶっ殺す」
警察官をやり過ごしたユウヤが車の中の様子を伺うと、助手席で怯える彼女の他に、後ろの席に女がいた。女は、親友(20)とはまた別のヤンキー仲間・親友Bの彼女だった。
それを親友Bに伝えると「マジで許せねえ」とのことで、弟(16)との待ち合わせ場所に着いてきたのだった。
「来ねえな〜アイツ」
「来たらぶっ殺す」

その日、弟(16)はその場に現れなかった。
ユウヤは考えた。親友(20)に連絡すれば、弟(16)を庇うだろう。家に押しかけるのは簡単だが、彼らの家族に迷惑をかけるのはよくない。だからと言って、今回の事件を見逃すわけにはいかない。どのように落とし前をつけさせればいいだろうか。
「高校襲うか」
「そうだな〜」
翌朝、ユウヤと親友Bは弟(16)が通う高校にむかったのだった。

「…それでなんだかんだソイツを見つけて、ボコボコに半殺しにしたら警察呼ばれたってわけよ〜」
「よく捕まんなかったな」
「結局高校は退学しちゃったんだけどね〜」
「土竜の唄っつーか、クローズとかWORSTみたいな感じだな」

「そろそろお会計だってさ」
トイレから帰ってきたリョウが言う。
時計を見ると、12時を回る頃合いだった。八王子市内に住んでいる皆とは違って、僕は店から電車に乗って帰らねばならない。終電を調べると、十数分後に京王八王子発の京王線に乗れなければ帰れない計算だった。
「お前ら二次会、行く?」
「ん〜どっちでもいいけど」
「行くよな?」
「ま、いいよ!お前が行きたいなら行こ!」

ユウヤは「店なら俺に任せて〜」と言うとどこかに電話し始めた。
その間、ゲーセンでテキトーに時間を潰していると、「俺の友達がやってるバー、今から八人でいけるってさ〜!」とユウヤが駆け込んできた。八王子駅周辺はユウヤの庭だ。彼に任せておけば間違いない。
「値段は?」
「朝まで飲みホ3000円でいいってよ!行くべ」
「よっしゃ!」

「そういえばさあ〜」
二軒目に向かう道中でユウヤナナに聞く。「中学くらいのとき、お前タカと付き合ってたじゃん。いつ別れたの?」
タカは僕たちと同じ小学校に通っていた同級生だ。僕とタカは幼稚園も同じだったので超幼馴染である。
へえ、ナナとタカは付き合っていたのか。などと思いながら話に耳を傾ける。
「中三くらいのときに別れたよ!」
ナナはカラッとした口調で答える。
「でもアイツ、最悪だったんだよね。中二のときはセフレで​──」

中二で? セフレ? マジで?

これまた中高一貫の男子校に通っていた僕だけが驚くことなのか、八王子では当たり前のことなのか、と周りを見渡してみると、さすがにそうではなかったようで数人が目を真ん丸にしてナナの方を向いていた。ちょっとだけ安心。

「​──中三の間は付き合ってたんだけど、なんとなくダルくなって別れることにしたのね。そしたらさ、『別れるのはいいけど、最後にお母さんと一発ヤラせて』って言われたの!」
「は?」
「ありえなくなーい?」

全員が一瞬だけ押し黙った。ユウヤも「マジで?」と引いた顔をしている。
タカは頭の回転が早い奴だった記憶がある。少なくとも僕が知りうる小学生の限りは。倫理観や常識がブッ飛んだ奴だった覚えはない。

「まあ、ナナのママ可愛いもんな〜」
ナナの発言がどうやら冗談ではないらしい、と察したユウヤは言った。
確かに、小学校の授業参観のとき、ナナのお母さんは教室の後列に並ぶお母さん方の中で図抜けて可愛かった。妙にキラキラした服装と胸元につけるコサージュよりも、スタイルが映えるワンピースの方が似合っていた。
「ママがあたしのこと産んだの16とか17のころだからね」
「わっか!」
「じゃあタカがヤラせてって言ったとき……?」
「30いってるかどうかくらいじゃん?」
全員の頭に「親子丼」というワードが浮かぶ。アレはフィクションの世界だけの話ではなかったらしい。
「さすがにキモすぎて無理! って思った」
そりゃそうだよなと納得する。「まあ、アイツをウチに呼んだことあったから、あたしの知らないとこで何があったかは知らんけどね」

「今ってさ〜、ママ何歳〜?」
何かを思いついた様子のユウヤがニコニコしながら聞く。
「え? 38くらいかな」
ナナ!ママとヤラせてくれ〜!」
「無理!キモすぎ!」
「俺は40まではいけるんだよ〜!」と喚くユウヤに一同は破顔する。ユウヤの下ネタには湿気がない。他の人が言ったらドン引きされるような下ネタも、カラッと笑い飛ばせる力がある。僕はそれを羨ましいと思った。

バーは雑居ビルの一角にあった。
エレベーターがチンと鳴りドアが開くと、ユウヤは手馴れた様子でズンズンと中へ入っていった。
「おう! ユウヤ久々だな」
三月だというのにタンクトップ姿の男は言った。店長らしい彼は筋肉質で肩幅が広く、チョコレートプラネットの長田庄平にそっくりだった。以後彼のことはオサダと呼ぶことにする。
店内はハーコーな日本語ラップやレゲエソングが順繰りに流れていて、バー慣れしていない僕たち数人は言われるがままにおずおずと席に着いた。
電話口で「食べ物なんでも持ち込んできていいよ!」というオサダの言葉を聞いて買い漁ったマックの袋を解くと、温かいジャンクフード特有のモワッとした臭いが立ち込めた。
暖かいおしぼりを僕たちに配りながら「みんなウチ来るの初めて?」とオサダが聞く。いかつい肩幅とそれに相反するような人懐っこい笑顔は、なぜか人を安心させる雰囲気を醸している。
「俺来たことないけど噂は聞いてたよ」
リョウが言う。「ユウヤのヤンキー時代の友達がバー開いたらしい、って!」
ユウヤとは昔から仲いいんですか?」と僕が聞くと、「高校くらいのときからかな。あ、俺タメだからぜんぜんタメ語でいいよ!」とオサダ。距離の詰め方も嫌な感じがしない。スマートだ。
「そこにカラオケあるからさ、みんなテキトーに歌ってってよ」
そう言うと、オサダはバーカウンターの方へ戻った。バーカンにはオサダの他にふたり店員がおり、それぞれ刺青マッチョと高身長黒づくめが特徴的な男だった。街で会ったらなるべく関わらないようにしたい風体の男たちだったが、ユウヤの友達というだけで安心感がある。どんな場所にも友達がいるに越したことはない。

ナゲットやポテトをつまみながらカラオケに興じていると、デンモクが手渡された。ここまでの選曲はFUNKY MONKEY BABYS、湘南乃風、EXILEである。
僕は考えた。
カラオケの一周目は様子見である。だいたい、皆の思い出の曲や全員が知っている曲を歌うのが定石というものだ。しかし、今回の場合、他に客がいないこともあり、オサダをはじめとする店員三人衆も聞き耳を立てている。今の三曲の中だと、彼らは湘南乃風でアガっていた。流れている曲もHIPHOPかレゲエばかりだ。つまり​──
僕はKICK THE CAN CREWのマルシェを入れた。
LITTLEは八王子出身だし丁度いいだろう、と思いこの曲を入れたのだが、これが思いの外ウケが良かった。

「へえ、HIPHOPとか聞くん?」
「けっこうね」
「意外だわ!」
そう?と聞き返すと、オサダは僕の胸元を指差した。
「スーツ姿に七三分けの奴がHIPHOP聞くようには見えないじゃん?」
そういえば、僕は就活帰りにここに来ていたのだった。オサダがさした指の先には、だらんと垂れたネクタイが力無く揺れていた。
「これ」
僕がスピーカーを指差す。「韻踏でしょ?」「そうそう!」
オサダが笑う。「マラドーナめっちゃいいよな!」
「俺も歌うわ!」
マラドーナを踊り切ったオサダはバーカンの脇にあったデンモクを取ると、CHEHONの韻波句徒を入れた。

韻波句徒のイントロが流れ始めると、フロアが沸いた。
いくらレゲエの中では有名な曲だとしても、さすがに全員は知らないだろうと思っていたのだが、サビになると「爆音の韻波句徒〜」と皆が口を揃える。レゲエはヤンキーの必須科目なのだろうか。
そして、本家長田と同じ、もしくはそれ以上にオサダは歌が上手い。
三時を回り、薄めのスクリュードライバーを飲み始めてテンションが上がった僕は、オサダと意気投合した。
四時を過ぎたころには、刺青マッチョとユウヤが神妙な表情で真面目な話をしている中、僕とオサダはふたりでKREVAの音色を熱唱していた。僕はHIPHOPが好きでよかったなと思った。

一通り歌い終わったあと周りを見渡すと、ダーツで負けたチームがテキーラ飲む組、コールでテキーラ飲む組に分かれてそれぞれ飲み倒していた。下戸の僕にとっては前門の大酒、後門の大酒である。
僕は意を決して前者に混じった。ダーツなら勝てばよいのだ。運否天賦に身を任せる後者に比べたら、前者の方がいくらか救いがある。
「あーー!もうまともに投げらんねーわ」
シンペイはもうベロベロになっていた。聞くとナナはトイレに籠って帰ってこないらしい。
助かった。この程度のファッキンドランカー相手なら負けることはない。
「じゃあ人数増えたからチーム戦ね!」
「え?」
「じゃーんけーん!ぽい!」
僕はシンペイと同じチームになった。
テキーラを飲み干した僕は、身体がアルコールを吸収しないうちにと急いでトイレに向かった。

五時を過ぎると、派手な男女数人がバー・オサダ(仮)にやってきた。他所で朝まで飲んできたらしくテンションが高い。彼女らが履くデニムのダメージ具合は都心ではなかなか見かけないレア物だ。
「よう〜! 久しぶり〜!」
ユウヤがそう声をかけると、彼らは独特なハイタッチを交わした。「きょう仕事ね〜の?」「まあな! 昼まで飲むわ!」酔いのせいか声が大きい。
そろそろ帰るか、と柔らかいソファから腰を上げると、少し世界が歪んだ。気をつけながら飲んでいた(すぐ吐いた)とは言え、多少は酔いが回っている。
周りを見渡すと、人数の計算が合わないことに気づいた。どうも何人かの姿が見えない。店を出ていったわけでもないし、と探してみると、数人が洋式便所の周りを囲んでいた。
「どうする?運ぶ?」
いつの間にシラフに戻ったシンペイが、下に顎をやりながら言う。彼の目線の先を追うとナナが地面に倒れていた。聞くところによると、ダーツで負けてテキーラを呷るように飲み、ダウンしたのだという。
「まあ、タクシー乗せて家連れて帰るしかないべ?」
吐瀉物を掃除しながらリョウは言う。「人も増えてきたしよ」
「どうした?」とダメージデニムズとの歓談を終えたユウヤがやってくると、倒れているナナを一瞥し、「ああ、こりゃタクシーだな〜」と言った。
意見が纏まったところで、オサダへの挨拶も早々に全員でナナを担ぎあげてエレベーターホールへ向かう。
そのとき、店内にはBAD HOPのMobb Lifeの歌い出し「掃き溜めからfly〜 この街抜け出し勝つ俺らが!」が流れており、妙に情景とマッチしていたのを記憶している。

ナナを担ぎ込んだタクシーが数人の付き添いともに走り去ると、その場には僕とユウヤリョウが残った。
「ラーメン食いにいかね?」
オールのあとに丁度いいラーメン屋があるからさ〜、とオレンジ色の朝日に照らされたユウヤは言った。
締めのラーメンは最高なので二つ返事で了承すると、「あ、その前に一箇所寄りたいとこがあんだけど、着いてきて〜!」とユウヤはずんずん歩き出した。

朝の八王子駅まわりは人出が多い。特にギャルが多い。ユウヤは誇張抜きに男女を問わず八割ほどの人間と知り合いのようで、「おう!」「姉さん! 元気?」「お前ら今度飲も〜な!」と挨拶していた。
そして、挨拶が済むたびに僕の耳元で「アイツとは一発ヤッた」「あの子は友達のお姉ちゃん、セフレだった」「あの子は一回しゃぶってもらったことある」と律儀に報告してきた。本当に彼とは同じ小学校で育ったもの同士なのだろうかと不思議に思う。

「ここ!」
あるマンションの前に着いたユウヤは、タバコを一本取り出すと火をつけて植え込みの手前に立てた。
「何してんの?」
僕が聞くと、「実はさ、きのう後輩がここから飛び降りて死んじゃったんだよね〜」とユウヤはあっけらかんと言った。
「まだ19歳くらいの女の子だったんだけどさ〜、ちょっとメンヘラ気味だったんだよね〜。手、合わせてあげてよ」
僕とリョウは戸惑いながらもユウヤに倣ってタバコを供え、手を合わせた。
四時ごろに刺青マッチョとふたりして神妙そうな表情を浮かべていたのはこの件について話していたからなのか。合点がいった僕は、即席の墓前を離れながら、虚しい気持ちになった。悩みなんぞなさそうに見えるユウヤも、笑顔の奥ではいろいろと考えることもあるのだろう。
いま、ユウヤは三児の父親だ。聞けば高校を中退した彼は、半年間のオーストラリアへの留学を経て、結婚したのだという。ラーメン屋には彼より年下の店員が何人もいて、休みの日には一緒に釣りに行ったりもしているという。僕が想像し得ない様々な経験を経て、いまの彼がある。
また、ユウヤの周りでは、平均して年にひとりくらいのペースで自殺者が現れるらしい。安穏と生きてきた僕には考えられない世界だが、現にあるのだから受け入れるより仕方がない。
「うめえな」
「おう〜、ラーメン屋の俺のお墨付きだからな〜!」
味噌バターラーメンは美味い。「お前まだ学生だからな〜! 俺が奢ってやるよ!」と言って、ユウヤは僕に食券を渡してきた。さすがに悪いと思い断ろうとしたが、ニコニコしながら「就職祝い!」と言う彼を見て(まだ内定ねぇけどな)と思いつつ、ありがたく受け取った。
酔ってぐちゃぐちゃになった頭を整理するのは、背徳的なまでの旨味の暴力に限る。厚切りのバターがスープの熱に溶けていくように、僕はいろいろと巡らせた思考を身体の中に溶かしていく。

「あ」
ラーメン屋を離れたユウヤが何かを思い出したように立ち止まる。
「きのう飛び降りたあの子にも、俺一回しゃぶってもらったことあるわ〜」
感慨に浸っていたさっきの気持ちを返せと思った。

始発の時刻はとっくに過ぎ、JR八王子駅は混みあっていた。
「じゃあ俺、こっちだから」「じゃあな〜、また飲もうな〜」「じゃあな!」
ユウヤリョウと別れ、東京方面の電車に乗り込む。通勤客に混じって座席に座ると、昨日からの出来事が一から思い出される。

八王子に着いたときの空気の冷たさ。
おしぼりちんこ。
ユウヤが轢かれたこと。
親子丼(未遂)のこと。
オサダの肩幅。
KREVAを歌ったこと。
見送ったタクシー。
お線香代わりのタバコ。
味噌バターラーメン。

ひと通り思い出して瞼が重くなってきたとき、僕のスマホが大きな音を上げた。
いつの間にかマナーモードが解除されていたらしい。
スマホのホーム画面を見ると、一枚の写真がLINEに貼られていた。昏倒から目覚めたらしいナナからだった。
目を瞑りながらロックを解除するのに手こずっていると、再度スマホに通知がきた。マナーモードをONに切り替えたので、音が鳴ることはない。ホーム画面には、ナナが送った「ね?」という一言だけが映っていた。
「ね?」とは何か。気になってすぐにロックを解除すると、先ほど送られた一枚の写真が目に飛び込んできた。
それは、シャワーを浴びているナナの息子が全裸で映っている写真だった。柔らかそうな二歳児の身体には、小さなぞうさんがちょこんとくっついている。
「合ってたでしょ?」
矢継ぎ早にそう送られてきたのを確認して、僕は朝の通勤ラッシュにそぐわないほど口角が上がるのを感じた。
電車は豊田駅に着き、通勤客がまたワラワラと乗ってきた。
「たしかに」と返送した僕はすぐにスマホと瞼を閉じた。とうに体力は限界だった。ヤンキーの体力には遠く及ばない。この先、働くまでにもう一度身体を作り直さないといけない。

今年の春、僕は就職する。社会経験に限って言えば、高校を卒業してすぐ働いている連中と比べたら五年、ユウヤと比べたら下手したら八年くらい差がついていることになる。
初任給をもらうころには、自粛期間も明けているだろうか。そうしたら、僕はいの一番に八王子に帰省したい。そして、アイツらと朝一番に味噌バターラーメンを食らうのだ。
この文章を打ちながら、無性に僕はそう思った。

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