星野源/さらしもの(feat. PUNPEE)の歌詞考察
星野源はどんどん大物になっていく。新世代のメディア王と言っても過言ではないかもしれない。俳優、歌手、ラジオパーソナリティ、タレント、エッセイスト、すべての分野で結果を残しているという点で、ネオとんねるずとでも言えようか。
今回のEP『Same Thing』では、Superorganism、PUNPEEを客演に迎え、トム・ミッシュプロデュース曲も収録し、三者のコアからマスへのフックアップも図っている。
「Same Thing」、どっかで聞き覚えのある曲だと思ったら『バナナマンのバナナムーンGOLD』毎年恒例の日村さん誕生日の歌がベースになってたんだね。今年で10曲目だし誕生日ソングアルバム聴きたい。
本題から逸れてしまった。
「さらしもの」は、STUTSの「夜を使いはたして feat. PUNPEE」という曲がきっかけになっている。
星野源バンドとPUNPEEが、星野源の東京ドーム公演で流すために、この曲のリマスタリングを行ったのだ。そのあたりはここに詳しい。
前置きはこれくらいにして、歌詞を見ていこう。
生まれて独りステージに立って
フィナーレまでは残り何公演
人差し指の隣の指はまだ仕舞っておいて
また後世
アーティストは孤独だ。本来の自分とは違うステージ用の人格に生まれ変わって偶像を演じる。
客は呑気なもんで、アーティストの公演を覗いては勝手にああだこうだ講釈を垂れる。
「人差し指の隣の指」とは親指と中指の双方を指すと考える。つまり、時にサムズアップしていいねボタンを押し、時に中指を立ててFuckと叫ぶ客を皮肉りつつ、まだ自身のキャリアは途中なんだから、すべてがフィナーレを迎えてから評価をしてくれと暗に伝えている。
アーティスト人生のフィナーレは誰にもわからない。公演の途中をつまみ食いして評価するのは不本意なものだ。
韻について。
音程が一音ごとに細かく上下して、その中に韻を潜ませている。
〔生まれて独りステージに立って〕と拍ごとに[t]で踏みながら、「生まれ」「立って」「フィナーレ」「まで」と[ae]で踏んでいる。
また、「公演」「しまっておいて」「また後世」と[mat-oe]で脚韻している。
この輝きは僕のじゃなくて
世の光映してるだけで
身の丈じゃないプライドは君にあげる受け取って
捨てといて
アーティストは輝いている。
主に女性の若者言葉で「アイドルがかっこいい様」を「尊い」という。大袈裟を承知で言えば、一般人にとって好きなアイドルやアーティストはもはや信仰の対象なのだ。
しかし、星野源はそれを否定する。アーティストは輝いているのではなく、誰かの小さな希望を集めて乱反射しているから、一見輝いているように見えるのだと。
いわば「月」だ。恒星は自ら光を放つ。しかし、衛星は他者(太陽など)の光を照らしている。自分を太陽と見紛うような錯覚は僕にはいらないから君(=まだ星野源と出会う前のPUNPEE)にあげるから煮るなり焼くなりしてくれ、と言う。
皇族を月、自分を太陽に例えて叩かれまくった小室圭イズムとはまるで違う謙虚さ。この慎ましさも星野源が親しまれる要素のひとつだろう。
また、「君」の解釈はもう一通りある。
前者はこの歌の共作相手であるPUNPEEに対してだったが、もう一つは「歌/音楽」という概念に対しての「君」という考え方だ。
そう捉えると、
「身の丈じゃないプライドは君にあげる受け取って/捨てといて」
という部分は、
世間から褒めそやされるのは僕(=星野源)には荷が重いから、その賛美は曲たちだけに向けてくれ、という意味に受け取れる。
どちらにせよ星野源は謙虚だ。
さらに、
夢の外へ連れてって
ただ笑う顔を見させて
この世は光 映してるだけ
(中略)
この世は光 映す鏡だ
(中略)
この世が光 映すだけ
(星野源/夢の外へ(2011))
と、既存曲に似たようなフレーズが出てくる。セルフサンプリングと考えていいと思う。
星野源は8年の時を超えて、圧倒的なポップスターに成り上がった。それでいて、再度「この世はそれ自体が美しい。自分はその光の媒材でしかない」と宣言しているのだ。感慨深い。
韻について。
「じゃない」「プライド」と[ai]で踏む。
また、「受け取って」「捨てといて」も[ueo-e]と踏んでいる。
ここまでの8小節は、全てのケツを[e]で踏んでいる。
[PUNPEE]
滑稽(をかし)なさらしものの歌
あたりみりゃ 一面のエキストラ Ha
だけど君のその世界じゃ
僕も雇われたエキストラだっけ
PUNPEE歌唱部分は[PUNPEE]と表記する。
アーティストは孤独だ。
ファンやアンチからの視線に晒され、一般人にはわかり得ない責任を負っている。その身分をPUNPEEは「さらしもの」と卑下する。
アーティストは周りの大量のエキストラがいることで、よりその存在が引き立てられる。PUNPEEはHIPHOPの世界ではオーバーグラウンド、アンダーグラウンド共に認められ、大きな存在感がある。誰から見てもいちエキストラとは思われない。
しかし、星野源という新世代のメディア王の視点からPUNPEEを見たら、ただのいちエキストラでしかないのかもしれないとPUNPEEは歌う。それは被害妄想に近いのだが、浮かれてはおらず地に足が着いているとも言える。
また、先程の「君」イコール「曲/音楽」論から考えてみる。
音楽は数多存在する。
バンドならサザンオールスターズ、Mr.Children、B'z、ポルノグラフィティ…
シンガーソングライターなら松任谷由実、さだまさし、福山雅治、米津玄師、あいみょん…
海外ならThe Beatles、QUEEN、エド・シーラン、ビリー・アイリッシュ…
音楽をリスナーに聞いてもらうには、これまで作られた様々な音楽に勝たなければいけない。そんな才能や名曲がゴロゴロ転がっている中では、PUNPEEも確かにエキストラと呼ばれても仕方ないのかもしれない。
韻について。
「滑稽(をかし)」「さらし」「あたり」「みりゃいちめん」で[ai]で踏む。
「うた」「エキストラ」「~じゃ」と[a]で脚韻。4小節目は歌モノにフェードインしたため踏んでいない。
[PUNPEE]
イヤモニで閉じこもって
また自分のせい(・・)って気づいてる
でもそこにすら君はいた
もしかすると孤独は一人ではないって…
いえる!
大きな会場でライブをするときは、音をとるためにイヤモニを使う。インイヤーモニターと呼ばれるその代物は、楽器やDJ機材から奏でられた音を他所に反響させずに彼らの耳に届かせる。
イヤモニをはめると、PUNPEEはひとりの世界に入る。そして、自分と向き合い、音楽と向き合い、己の力量や現状に絶望するのだ。音楽は誤魔化しが効かない。
そのとき頭をよぎるのが、星野源をはじめとするスターたちだ。彼らはイヤモニを使うような広い会場でも、パンパンの観客を感動させている。あんな姿を思い浮かべると、自分の力量との差異に絶望する。でもそれと同時に、似たような世界で戦っている仲間がいて、いま抱えている孤独もアーティスト誰しもが抱えている悩みなんだと気づくこともできる。
だから、「孤独は一人ではないっていえる!」のだ。
「君」イコール「音楽」と捉えると、
イヤモニをはめて自分と向き合っているとき、PUNPEEは音楽と対峙する。
いつだって自分の支えになっていたのは音楽だし、よき仲間でありよきライバルだ。そんな音楽を擬人化して考えれば、禅僧のように孤独な作業だと思っていた音楽制作もライブパフォーマンスも、自分と音楽との二人三脚の共同作業だと思える。
韻について。
「イヤモニ」「閉じこもって」と[oi]で返し韻、「じぶんのせい」「きづいてる」と[iu]で、
「そこにすら」「もしかすると」「ひとり」とリズムを変えて[oi]で踏んでいる。
PUNPEEは硬い韻でグルーヴ感を生み出すタイプのラッパーではないので、二文字の韻を取り出してああだこうだ言うのは野暮かもしれない。
カラオケで歌う際は、キック(ドン、という重低音)に合わせて歌詞をはめ込んで歌うと上手く歌えると思う。
Starting off with you and I
さらしものだけの 愛があるだろう
まだ変わらない 怠けた朝が
歩みを照らしだすまま
サビ部分。
はじめの″start off with~″は「〜から始める」という成句。つまり、「PUNPEE(音楽)、お前と俺でとりあえず始めてみようぜ」という意味になる。
「君」と「you」が指す対象は同じとも違うともとれるが、この文脈ではほとんど同じ意味になるのでカッコ書きに留めることにする。
「さらしもの」として出会った同志として、表現への愛は互いの共通項だ。
評価されない時期もあった。自分に光は射さないのではないかと悩んだ。そんな「夜」の時期も経験した。
世間に評価されだすことは、一筋の光が射したように感じられたのだろう。星野源自身は変わらずとも、「地獄でなぜ悪い」「SUN」あたりで間違いなく世間の風向きは変わった。
二番で人生を道に例えているが、ここでも「歩み」という表現を使っている。
世間から評価されはじめ、「夜」は「朝」に変わり、太陽(=「SUN」)は星野源を照らした。そして、夜の間は分からなかったけれど、地面を踏みしめた足跡も太陽に照らされて、「夜」の間の自分の努力も肯定されたように感じた。
韻については省略。
二番へ。
さらしものだよばかのうた
語りき埼玉のツァラトゥストラ
ぼっちの足元の先は
ほぼほぼ 道すらなかった
ふと振り返ると ぞろぞろと
後ろつけ楽そう有象無象
はてな別の方 道のない進む小僧
凡人の黒ぶち 偉大な暇人
『ばかのうた』とは、2010年にリリースされた星野源の1stアルバムとその表題曲のタイトル。SAKEROCKのギタリストとして活動していた星野源がひとりの「さらしもの」としてはじめてリリースしたアルバムだ。
「さらしものだよ」と吐き捨てるように埼玉出身のツァラトゥストラは語る。
『ツァラトゥストラはかく語りき』はニーチェの有名な著作。リヒャルト・シュトラウスがニーチェにインスパイアされた同名の交響詩を制作しており、イントロ部分は超有名。
同作を説明するととんでもなく長くなるので、概要はこちらを参照されたい。合ってるのか分からないけど。
簡単に言えば、誰にも自分の音楽を理解されなかった星野源は孤独だった。
星野源が歩く道は、道と言える代物ではなかった。道無き道を行くしかない。ブラックミュージックと大衆に理解されるJ-POPの融合。はじめは誰にも理解されなかった。
しかし、後ろを振り返ってみると、ぞろぞろと後進が歩いてくる。星野源が苦労して作った道を。彼らは別段特徴もない玉石混交の有象無象だ。星野源は、産みの苦しみを知らない彼らに失望した。
ふと別の道を見てみると、黒ぶち眼鏡を掛けた小僧が星野源と同じように道を開拓しながら進んでいるのが見えた。
彼の名前はPUNPEEと言う。一般人(=パンピー)と自らに名付けた彼は、確かにどこにでもいそうな容貌をしている。しかし、その実はアングラとセルアウトの双方からプロップスを獲得したヒップホッパーであり、まさに「偉大な」人なのだ。
ちなみに、「偉大な暇人」というラインは
我ら偉大で滑稽な暇人
余計なことをすぐ考え出す
あの有名なエジソンもアインシュタインも暇人
レノンも暇すぎてImagine
(PUNPEE/Renaissance(2017))
からのサンプリングと見て間違いない。
韻について。
「さらしもの」「語りき」と[aai]で頭韻。
「だよばかのうた」「埼玉のツァラトゥストラ」[aoaaoua]で7文字の脚韻。
「ぼっち」「ほぼほぼ」と「ぼ」にアクセントを置いている。
次の二行は細かく分解してみよう。ここが個人的にいちばん好き。
ふ・と・ふりかえると・ぞろぞろと・
後ろつけ楽そううぞうむぞう
「ふ」の頭韻と[o]の脚韻が折り重なっている。特に最初の「ふと」で両方とも重なっているので分かりづらいが、[u]と[o]でそれぞれアクセントを置いてリズムを作っている。
また、続く「別の方」「小僧」まで[o]の韻律は続く。
ラストは「凡じんの黒ぶち偉大な暇じん」と[i]で細かく踏んでいる。
あらお悩みですか
君だってそうじゃん
同じムジナ
交わりだした
星野源とPUNPEEの邂逅が描かれる。
互いに似た悩みを抱えるふたりは「同じ穴のムジナ」だ。
ここに来て、「君」イコールPUNPEE(反対に、PUNPEEにとっての星野源)ということが明示される。
「あらお悩みですか/音楽だってそうじゃん」だと意味が少し不可解になる。
ここの部分だけ星野源が1オクターブ上でユニゾンした音を重ねている。
ふたつの旋律が重なることで、ふたりが出会ったことを示唆していると考えられる。
ちなみに、サビ部分も一部だけボーカルを重ねているが、「Starting off」は1オクターブ上のユニゾン、「with you and I」は下のハモり、「怠けた朝が」「照らしだすまま」は上のハモり。
韻について。
「お悩み」「おなじ」と[o]で頭韻。
「ですか」「そうじゃん」「ムジナ」「だした」と[(i)a]で脚韻。
細かいところでは「交わり」「だした」も踏んでいる。
[PUNPEE]
「なんてことない」なんてことない!…けど
形のない何かで交われる
君の体をWi-Fiが通り抜け 道草で腹を満たす
またその場所に君はいた
もしかすると孤独は一人ではないって…
みえる!
ふたりの出会いは「なんてことない」なんて謙遜してみるけど、本当はそんなことは思っちゃいない。
HIPHOPアーティストらしいセルフボースティングの一節だ。
星野源とPUNPEEは「夜を使いはたして(星野源東京ドーム公演ver.)」から始まって、音楽という無形の交流を続ける。
星野源は2019年8月30日にサブスクリプションサービスを解禁した。CDだけではなくインターネットを通した聴取形態にも本格的に参入した。
ブラックミュージックとポップスを掛け合わせてきた星野源は、それだけに飽き足らず今作では3アーティストとコラボした。
PUNPEEも今作や加山雄三『お嫁においで』に代表されるように、自身の分野とは違うアーティストと共作したりする。
両者は今まで歩いてきた「道」から少し外れて「道草」の果てに出会った。そう考えると、自身が新しい分野の開拓者で仲間がいないと感じても、他の分野の開拓者と共鳴することができる自分は「孤独」の仲間がたくさんいる、と少し安心できる。
「形のない何か」とは、音楽(サブスク)であり、開拓者たち同士の絆でもあるのだ。
韻について。
「何か」「交われる」「Wi-Fi」と[aia]で踏む。
「けど」「交われる」で[eu](語感踏み)、「満たす」「いた」で[a]でも脚韻。
最後はサビの二連発。
Starting off with you and I
さらしものだけの 夢があるだろう
まだ変わらない 怠けた朝が
歩みを照らしだす
(Same Thing yo)
Starting off with you and I
さらしものだけの 愛があるだろう
まだ変わらない 怠けた朝が
歩みを照らしだすまま
ラスサビの前にPUNPEEが掛け声を入れている。「Same Thing」とは、言うまでもなく今回のEPタイトルだ。
今作は前後曲が連なっている部分があるように感じる。『さらしもの』と共鳴する部分を探すと、
『Same Thing』は「You piss me off, I love you a lot/To me, they both mean the same(俺の中では「クソ喰らえ」も「愛してる」も同じ意味だ)」の一節に、
『Ain't Nobody Know』は「卑劣が肩を叩けば/笑顔が唾の代わりさ/誰も来られない場所に/僕ら居る」の一節に似たものを感じる。
この曲は、コラボという新たな道を解禁した星野源なりの、表現者としての決意の曲だ。
しかし、SNSで簡単に自分を発信できる現代では、誰もがたやすく「さらしもの」となり得る。『さらしもの』は、「何かを表現したい」そんな思いを抱える全員の背中を押す応援歌ともとれる。だから、リスナー全員の心に刺さるんじゃないだろうか。
最後に歌詞をまとめておく。
星野源
さらしもの(feat.PUNPEE)
生まれて独りステージに立って
フィナーレまでは残り何公演
人差し指の隣の指はまだ仕舞っておいて
また後世
この輝きは僕のじゃなくて
世の光映してるだけで
身の丈じゃないプライドは君にあげる受け取って
捨てといて
滑稽(をかし)なさらしものの歌
あたりみりゃ 一面のエキストラ Ha
だけど君のその世界じゃ
僕も雇われたエキストラだっけ
イヤモニで閉じこもって
また自分のせい(・・)って気づいてる
でもそこにすら君はいた
もしかすると孤独は一人ではないって…
いえる!
Starting off with you and I
さらしものだけの 愛があるだろう
まだ変わらない 怠けた朝が
歩みを照らしだすまま
さらしものだよばかのうた
語りき埼玉のツァラトゥストラ
ぼっちの足元の先は
ほぼほぼ 道すらなかった
ふと振り返ると ぞろぞろと
後ろつけ楽そう有象無象
はてな別の方 道のない進む小僧
凡人の黒ぶち 偉大な暇人
あらお悩みですか
君だってそうじゃん
同じムジナ
交わりだした
「なんてことない」なんてことない!…けど
形のない何かで交われる
君の体をWi-Fiが通り抜け 道草で腹を満たす
またその場所に君はいた
もしかすると孤独は一人ではないって…
みえる!
Starting off with you and I
さらしものだけの 夢があるだろう
まだ変わらない 怠けた朝が
歩みを照らしだす
(Same Thing yo)
Starting off with you and I
さらしものだけの 愛があるだろう
まだ変わらない 怠けた朝が
歩みを照らしだすまま
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