見出し画像

相席(後でかっこいいタイトルに変えます)

「相席、いいですよね」
日曜昼下がりのカフェテラスは当然のように満席で、ガヤガヤとうるさかった。相席を頼むのは適当な女性とでも別によかったが、知っている顔を見つけたので声をかけた。
沈黙。俺が声を掛けたことに気付いて、ゆっくり目が合う。このうるさい場所でも、この人の周りはなんとなく冷えて静かだ。
ユーク・アルヴェーンはつまりそういう類の人間だ、という事は過去、いくつかの経験で把握している。
「……どうぞ」
手元には雑誌と筆記用具、それとまだ中身がたっぷりはいったティーカップがあった。
「しまわなくていいものか?それは」
仕事上、機密書類が多い事はお互い知っていた。こんな場所で出してるんだからそりゃあ見えても構わないものだろうが、最低限のマナーというやつだ。
「あー……構わない。見ても……わからないだろうし」
「へぇ、ちなみに中身は聞いても?」
「……ただのクロスワードパズル」
「それわからないって、俺の事舐めてるのか?なぁ」
揶揄うつもりでそう言うと、彼は大真面目な顔で答える。
「専門用語バージョンだよ。これ……君に医学の心得があるのは知らなかったけど」
「アンタもそういうパズルとかやるんだな、もっと高尚な遊びでもしてるもんだと思ってた」
「そう思いたいなら、そう思っていればいいけど」
「……いーや、認識は改める。続き、解かなくていいのか?」
「解いてもいいなら続きをやるけど……何か、話でもあるのかと思った」
「ないな、今はなんにも」
そう、とだけ返事が返ってくる。覗き見ると、あらかた解かれているパズルの盤面には確かに見覚えのない単語が並んでいた。この島は英語が一応基本にはなっているが、多分色々と混ざって淘汰されて、そういう言語になっている。外のことは知らないが。
「ドイツ語?」
「いや……色々」
淡々とマスを埋めている。最後の答えに該当するマスを抜き出しても、それらしい単語の並びには見えなかった。
「なんか間違ってるところ、探した方がいいんじゃないか?」
「……?合ってるよ。本番、ここからだから」
そう言うと、彼はパラパラと雑誌を捲る。巻末に近いページには、文字と数字や記号の対応表らしきものがある。
「これね、もう一度遊べるから。クロスワードパズルを解いたら数式も解けてお得」
レポート用紙にサラサラと数式が書き出される。
「……ウチの後輩が見たら卒倒しそうだなぁ」
「覚えれば誰にでも解ける。数学ってそういうものだから」
「聞かせてやりてぇな」
レポート用紙の上には、たくさんの記号と数字が整然と並んでいる。さっきまでのクロスワードに書き込まれていたのは言ってしまえば雑な字でもあったが、対照的に数字は綺麗だった。
「アンタ、字は結構雑なくせに数字は丁寧に書くんだな。流派かなんか?」
「……数字は正しく、丁寧に扱わないといけないものだから……拗ねてしまうでしょ。彼らはいつも自分の仕事を全うしてる。敬意を払わないと」
「敬意ねぇ、そんなん残ってたのか。アンタの考え方はよくわかんねぇなあ……全く」
ペンが止まることはほぼない。時々邪魔そうな髪を耳にかける為に止まるくらいだ。レポート用紙の上に綴られていく文字列を追っていると、ごくごく単純な計算ミスを見つけた。

「……そこ、違くないか?」
指摘してみる。多分こういうのが心底嫌いなタイプだろうが、二者択一なら面白くなりそうなほうを選びたい。多少心証は悪くなるだろうが、別に死ぬわけでもないし今後の仕事に持ち込むような人でもないとわかっているから。
沈黙。フリーズ。スリープモード?
急に話しかけられた事に動揺したのか、ユークさんのペン先がビタリと止まる。秒針が半周する間、たっぷりと沈黙してから、彼はなぜか少しぎこちない動作で雑誌を閉じた。動揺を隠しもしないそれはこういうプライベートだから見れたものだろう。仕事ならもう少し上手くやるだろうし、そもそもあんなくだらないミスを犯す事はしない。その辺はちゃんとわかっている。
「……ご指摘……ありがとう」
「続き、やらなくていいのか」
「君の前で、こういうものを解くのはやめることにした」
「残念。もう少し見てたかったけどな」
笑いそうになるのを堪え、残念だとか言ってみる。とうに冷めているであろうティーカップをゆっくりと傾けて平静を取り戻そうとしている姿は意外そのものだ。
「俺はいいと思うけどな。まるで人間みたいで」
「……それは、いや……いい、何も言わないで。俺はもう出るから」
「そんな事言うなよ。もうちょっと話そうぜ、どうせ時間はあるんだろ?それにまだ残ってるみたいだし……」
こんなところでクロスワードなんて解いてたんだから、と続ける。
「飲み終わるまで。ここの紅茶、好きだから……そのくらいは許してあげる」
僅かにだが眉間にシワが寄り、向けられる目線がきつくなる。上品に俺を睨むのは、この人なりの抗議だろう。言葉にしない理由を推測するのはやめて、茶化すことにした。
「おっと、これはこれはご無礼を……アンタと違って育ちが悪くて困ってんだ……そんなに睨むなよ。怖いでしょ」
「……思ってもいないことをポンポン言うのは君の悪癖だね。いつかその舌……抜かれてしまうかも」
「エンマサマってやつか?東洋思想には疎いけど、アンタはそこら辺も詳しそうだ」
「……いや、別にそんな事はないよ」
言葉のペースというか、話し方に独特の間がある。人に伝える事が不慣れとでも言えばいいのだろうか。一考して、慎重に言葉を選んでいるような感じ。その妙に居心地を悪くする一拍の空白で、これまで何人屠ってきたのだろう。
「へぇ、詳しそうなのに。何でも知ってるのかと思ってた」
「なぜ?」
「そう言われると困っちゃいますけどね。そういう雰囲気だ」
「……君だって、そうでしょう。なんでも知ってる人間なんていないよ」
「俺は別に頭がいい訳じゃないしな。悪巧みがちょっと得意なだけで」
すっかり忘れていたコーヒーを啜る。温くなったコーヒーの適度な苦味が喉を通っていく。値段の割にここのコーヒーはそれなりに美味くて、この賑わいも頷ける味をしていた。
「……悪巧み、ね。君は……どうして、キュービック・ジルコニアを選んだの」
この距離感が、多分人を不安にさせる。
「そりゃ、決まってるでしょ。弄りがいがあって、飽きない。それなりに居心地もいい」
「……ふぅん、それはよかった」
「アンタはどうなんだ、なんでマフィアなんかやってる?怪我もした事なさそうなのに」
「んー……内緒」
「それはねぇよなぁ、俺に言わせておいて」
「……ジェイドはね。唯一本物なんだ。実体を持っているんだよ。俺の、つまらない人生の中ではね」
後半2つの質問を華麗に無視し、彼はそう言った。
「実体ね、アンタにとっては何もかも本の1ページにしかならないか」
「1ページ分になれば、いいんじゃないかな……話題の選択を間違ちゃったね。君に聞くべきことじゃありませんでした。ごめんね」
「いいや、その件については別に構わねぇ。今は機嫌がいいんだ」
「……そう、俺の幸運を喜ぶことにします。今はね」
「そうしてくれ」
く、と小さく喉を鳴らしユークさんがティーカップに残っていた紅茶を飲み干す。上品に事を運ぶ事を信条としていそうなわりには雑な動作。
「改めて、もう出ます。君はゆっくりどうぞ」
「あー……そうか。邪魔して悪かったよ、またな」
脇に避けられていた薄いコートを羽織った後ろ姿を見送った。後ろ姿だとさして特徴がある訳では無い。すぐに雑踏に紛れて、キューさんや向こうのボスのようには見つからなくなってしまう。わざとかどうかは知らないが、机に残されていたレポート用紙を手繰り寄せる。几帳面に並んだ数字と雑なアルファベット。これが手に入っただけでも、今日は面白い収穫があった。途中で打ち切られた数式が哀れに思える。帰ったらウルズに見せてやろうか。ここから解けと言って渡したら、物凄い勢いで拒否してきそうな代物だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?