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犯罪被害者と宗教

その夜の侍 | あらすじ・内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー (natalie.mu)という映画がある。この映画は、町工場の主人が妻をひき逃げで殺され、復讐をしようとするという話である。
ネタバレにはなるけれど、加害者に「他愛のない話がしたい」という言葉が今でも、強く心に残っている。
私も、加害者と「何気ない話」がしたかったのかなと思ったことがあった。
いつまでも憎しみを持ち続けることが、いかに非生産性なことかと思ったとき、原始仏教を勉強したり、クリスチャンの時期があったので、聖書を読んだり、進藤龍也さん:クリスチャントゥデイ (christiantoday.co.jp)、元暴力団員で服役中に聖書に出会い、牧師になった進藤達也さんに質問をしたことがあった。YouTubeのコメント欄からだったけれども、丁寧に答えてくれた。「なぜ、犯罪被害者は藁をもすがる思いで宗教にまですがるが、進藤さんは前科のある人や死刑囚をそんなに救おうとするのですか」というような内容だった。進藤さんは「新しい犯罪被害者を産まないためにもこの活動は続けなければいけない」という言葉と、神の名のもとに祈ってくださった。私は、憶測ではなく現実的な答えがほしい人間だ。
中学生の時に、
「縄文時代とかさ、実際に写真とかないわけじゃん、卑弥呼も聖徳太子もいないかもしれないわけじゃん。エビデンスないことを勉強する意味っていったい何なんだろう、入試のためか」としか思っていなかった。
事件後に、不条理を条理に変えるには仏教でも特定の宗派ではなく・・・
という感じで中村元(宗教哲学者)の方の本を読んだり、スッタニパータやダンマパダを読んだ。
しかし、聖書も人通り勉強して改めてさらったとき、「これって、一体何なの」、「罪人を許す」馬鹿言うな。という感じで聖書には触れなくなった。
そもそも、神様や仏様がいるならば、事前に悪行を働こうとしている人を止めるくらいのことはできるだろうし、起きちゃってから残された人間に「罪を許せ」というのはいくらなんんでも無茶なんじゃないと思ったりもしている。宗教って、ある程度の心のゆとりがないと入っちゃいけないって、今回の安倍元首相の事件でも思ったし、私の性格上、もしもうまいこと言われて
「サタンが取りついてる」とか言われた日には、意味不明なほどに傾倒しちゃってもおかしくない、一種の新興宗教は人の立ち直るに直れない弱みに付け込んだ弱者ビジネスのような気がしてきてしまった。
という歪んだ視点から、宗教を見ている限り答えなんて絶対に出ないんだなと認識した。私の実家の寺の宗派は浄土宗で「南無阿弥陀仏と唱えれば」という、鎌倉仏教のものだけれど、開祖の法然は親鸞と同じように悪人こそ他力によって救われるべきだというようなことを残していたけれど、その「悪」の定義というものは「自分は悪いことを働いてしまった人生かもしれない」という人や「何かしらの法に触れる罪をしてしまった人」の種類があるかもしれないが、なんで「悪いことした人が救われるの」とずっと思っている。阿弥陀如来像は少し前のめりである。この理由は、座っていてはすぐに助けに行けないから、すぐにでも行けるようにということらしい。
今、私は無宗教で日本の寺はビジネスのように人の死であるとか、法要に意味不明な根拠もない金額を求めてくる。祖母の葬儀の時も、戒名をつけてもらうのに信女ならいくらくらい、大姉ならこれくらいと言ってきた。あの世での名前になるわけだから、なんの宗教も信じていない私でも「あの世でいい暮らしできるなら、長い目で見たら払った方がいいのかな」とか「その魂のステージが」というけれど、おそらくそのつけられた戒名を祖母は絶対に知らないと思うのだ、絶対というと語弊はあるけれど知る可能性はあるのだろうかと。
一度、寺の相談で「なんで犯罪の被害に遭って苦しむんですか、その意味って何ですか。分かるように教義の中から根拠を出して説明してください。」と相当狂ったことをいったことがある。「しばらく黙り込んで、生きるということ自体が修行です」という、千日回峰行を2回ほど遂げた酒井雄哉さんの言葉じゃないかよと思った上に、生きていること自体が修行ならば、この犯罪被害は修行どころの騒ぎじゃなくて人生に苦労の加算がされているって考えるのが普通じゃないかと、その言葉の後ろにはもっと深い意味があったのかもしれないけれど、結局、僧侶でもあっても答えが出ないなら、宗教にすがる意味ってないんだなと。
私は生まれてきてから、なんでこうなってこうなるのかということにかく知りたかったから、「そんなの感覚の問題でしょ」とよく言われても、いや感覚じゃなくて絶対に法則ってあるでしょと思っていた。

だから、犯罪被害に遭うという不幸なものにも実際は数式や統計学のように方式のようなものが存在していたりして、答えがでちゃったりするんじゃないかと意味不明なことを考えたりする。

答えが知りたい、
真実を知らないで生きていくということは非常に、私にとって苦しいものがある。私自身、ちょっとおかしい部分が生まれ持った器質であるのは間違いないとおもっているので「なめらかな真実」を今でも追い求めてしまう。

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