加害者からの手紙
少しずつ、「いつどこで誰が」などの部分を捨象して、私の事件の概要の書類を差し支えない程度で公開し、実際にどのようなことが起きて、私が何を考え、感じたのかを自己満足ではあるが、表現していきたい。
冒頭にアップした画像は、加害者が逮捕拘留されている際に私の弁護士に届いたものだ、恐らくは加害者弁護士が謝罪を申し入れているという既成事実を作るために書かせたものだと思う。原本は私が受け取ってしまうと、謝罪を受け入れたと取られかねないので、弁護士に複写でもらったものだ。黒色に塗りつぶされているのは差出人の加害者の氏名である。死亡しているので公開しても問題はないだろうと思ったが、余計なトラブルや私自身の特定につながる可能性も否めないため隠すことにした。
この手紙を読まれてどう思うだろう。私は、この手紙を読んだ時にまず「知能の低さ」というもを言うまでもなく感じたのと、「手紙が涙でにじんでしまいました」と言う部分のあとの隣の行に滲みがある。これは意図的に水滴などを垂らさなければ滲むことはないのである。この時点で、加害者が真摯に反省をし刑を受け入れるというマインドでないことを強く認識した。
「手紙がめいわくなら書くのをいっさいやめます」と書いてがるが、末尾には「よければ返事ください」と書いている時点で論理崩壊しているのだ。
この手紙程度で「ぼくの気持ちをうけとめてください」とあるが受け止められる訳がない。この時点で、私は第二腰椎圧迫骨折で入院しているし、性被害による急性ストレス障害で入院先の総合病院で精神科医と心理士からのカウンセリングを受けている状態である。好きな人に告白をする程度(程度と言ってはいけないが)の相手に対する受け止めの依頼をするような犯行態様ではないのだ。
私の中で、やはり性犯罪を犯す人間、特に衝動性が高い人間は的境界域か知的障害に該当するような特性(この特性があるから犯罪を起こすとは言っていません)に加えて、生まれ持った衝動性の気質、脳の異常、認知の歪みによって犯罪は起きるのだろうと思った。よくまともに、結婚をして家庭を持っていたなと言う気持ちにすらなった。よく考えれば、結婚をして子どもがいる妻がいる状態であれば、自分の犯行によって失うものが多いことを考えることをしなかったのかと言う疑問すら浮かんだが、この手紙が私の中の常識と言うものにパラダイムシフトを起こしたことは間違いないと思う。
この加害者のいう「一秒でも早い回復」と言う言葉を私は皮肉と取ってしまった、事実10年と言う月日が経とうとしている今でさえ、私は被害当時の25歳のままの自分なのだ。現実の世界では時は流れ、子どもも大きくなっている。実年齢は35歳である。今でも私がこの事件に関して、10年の月日を経て声を上げていこうとしたのは、このような犯罪被害が日常に起きていて、当事者になり得ないと思っていた人が当事者になった時に確実に苦しむことが明らかであり、事実、日本の犯罪被害者の権利拡充の面に関しては欧米と比べたとき20年単位で遅れている。社会や文明は進むなかで反比例して残される不遇な人たちの早期回復に私は努めたいと思っている。
今日、なぜこの手紙を公開したかと言うと。唯一、加害者の肉筆で書かれた言葉の紙だからだ。私自身、加害者の不審死と言うものを通して、自分が加害者の死に関与していることは間違いないと確信しているからこそ、この10年間を振り返り、ただ無駄に時間を過ごしたのではなく意味のある時間を過ごしたのだとのこしたかったからだ。
手紙を見た方はどう思うだろう。中には、かわいそうな加害者と憐れむ人もいるかもしれない。私自身、一部分加害者の欠損している部分や本来得られたであろうものが得られなかったことは残念であろうと思うが、そこに同情と言うものは一切浮かばない。どのようなことがあっても人が持つ社会規範、道徳規範、法規範のもとでやってはいけないことがあり、人としての一分を保つべきだと思っている。
今までの10年の歳月の中で多くは語らなかったが、犯罪被害のよって失った金銭の部分を改めて計算したとき、いい車が余裕で買える額であるということ、もっと意味のある使い方ができただろうと私はうなだれてしまった。この金銭は、何の苦労もなく得た金銭ではない。必死に犯罪被害者と言う社会的マイノリティを隠しながら、頭を下げ社会の人波に流されながら得たものである。身体、精神にも障害を負い、それをクローズしながら、一矢報いるために使った金銭である。しかし、加害者は1円たりとも負担していない。ここに日本の社会保障(犯罪被害者の権利回復は社会保障に位置付けたとして)の大きな問題がある。私がこの手紙の次に1番頭にきたことが、刑事公判では私選弁護人を3人つけていたことだ。普通に考えたら、被害者のけがの治療費などを早急に支払うべきで、私の弁護人が言うところによれば着手金だけで100万以上を加害者の両親か誰かが払っているということ。公判で弁護士が個人的に「被害者には命を奪いかけた車を売却した20万のみを供託して、なぜ私選弁護人に100万以上使っているのですか。普通は、被害弁済が先ではないですか」と。至極真っ当な話だと思った。
私自身、その当時は離婚した直後でマンションの契約と家電一式などで100万円以上の出費を余儀なくされている。私が当時、離婚したことはこの事件がなければ起きていないことだと思っている。いくら深く愛し合った家族でさえ、犯罪被害のとらえ方が違うから「忘れてほしい主人」と「忘れられず情緒不安定な妻」であれば、溝と言うものは相当な速さで深まっていく。公判では離婚とこの犯罪被害の因果関係があるのかが一部争われたが、ごく普通の愛し合っている夫婦だった。日常があり、明日に希望が持てる。その時、被告が「家庭を壊してしまってすみません。でも、僕も家庭が壊れたのです。留置所で義母と妻が来て離婚届を渡されました。妻は泣いていました。僕は、出所したら妻とまた幸せな生活を築きます」と言い放った。私は、この人に倫理観や道徳心があるということは考えられなかった。あんな意味の分からない自己憐憫のような手紙を書く人間だからこそだ。
この加害者によって、犯罪被害に遭っていなかったらまず、心身の健康を損なうことはなかった、離婚することはなかった、転居を余儀なくされることもなかった、民事訴訟にあたって着手金などもかかることがなかった、治療費もかからなかった、今でも毎月通う、麻酔科の治療を受けることもなかった、週1回のカウンセリング、医師の診察も受ける必要がなかった。すべてがこの事件によって起こされた悲劇なのだ。
私は、ここ最近まで自分ばかりが辛いものだと思っていた部分が大きかったと思う。家族が被害者となったことも認識していたが、自身の身に起きてしまった不愉快な感覚やフラッシュバックばかりに目が行って、家族の気持ちを強く考えることがなかったのではないかと内省した。事件当時、主人は27歳だった。主人は技術者だった、この日本の工業産業を動かす立派な技術者だった。私は、主人が会社で作り上げた繊細な日本の工業産業に反映される作品を見ることが好きだった。その話を嬉しそうに話す主人の笑顔が何よりも好きだった。しかし、2年後主人は技術者を辞めた。「あなたたちが居なくなって、働く意味が俺にはわからなくなった」とぼさぼさの主人を見たとき、私は彼から大事なキャリアを奪ったと強く自己批判した。しかし、私はそれを深く考えることをしなかった。娘に与えたことだって、小学校に入学してすぐに転居に伴い転校を余儀なくさせ、抱っこをすることが後遺症からできなかったこと、本当は彼女の成長の細部をゆっくりな時間のなかで父母そろってみてあげたかった、彼女から一方的に父を取り上げたこと。自分自身だけが、一番悲惨な被害者だと思いあがっていたのだと思う。実際には、主人や娘の方が遥かに辛いかもしれないのに。
私が失ったもので一番悲しいものは、自己の尊厳、心身の健康ではなく、家族と言う私が愛でて愛でてそして日が増すに毎に深まる愛を「愛」と言う感情で受け入れることが出来なくなったことだと思った。私を傷つける発言をするかもしれないと思い、私は自室に数年引きこもった時期があった。朝から晩まで酒に酔い、自身の人生のこれからを考えることもなく、酔ったまま朝食を作るような母親だったのだ。その度に「酒で逃げられるのは刹那的なものでしかない」と分かっているのに、刹那的でもいいから逃げたいと私は逃げた。「感情がないよね」と主人に言われたとき、「ああ、とうとうそこまで私は堕ちたのだ」と無表情で「そうかな」と返したことがあった。私から加害者が奪い去ったものは、加害者が手紙に書いたような「一秒」で回復できるような物事ではない。10年目の今でも何一つとして私の心の中から奪われた「平常」と言うものは返ってきていない。
この加害者の手紙に加害者の属性や思想が凝縮されているように思えた。刑務所に行き更に反省を深めると言うが、きっとそこまで重い刑が言い渡されるなんてことは考えていなかったと思う。執行猶予が切れた直後の犯行で実刑にはならないんじゃないかと。被告弁護人は「自動車運転過失致傷と強制わいせつ罪」だと公判言っていたが、起訴状も「強制わいせつ致傷」である。被告弁護人は「逃走中にはわいせつの意思を失っていたのだから、強制わいせつ致傷は成立しない」と言い放った。しかし、私はわいせつ行為をされてから、一度も加害者を見失うことなく加害者にたどり着いたときに暴行を加えられたもので、時間的にも場所的にも接着しているから強制わいせつ致傷が成立したのだ。この公判自体、被害者参加制度や損害賠償命令制度で迅速に行われたことで被害者の負担は減ったかもしれない。しかし、私が犯罪被害によって失った人間らしさ、人が本来持つ古来の優しさ、未来への希望などを抱けない状態、公判で傍聴マニアの方が来ていたようで、ブログでおもしろおかしくエンタメとして公開されていたことなど、私の尊厳を奪う傷つける人は加害者だけでなく、警察、司法、当事者を回避するすべての人たちだったのだ。
この手紙を書かせた弁護士は一度、読んでいると思う。なぜこれをよしとして遅らせたのか。小学校の子どもでも書けるような漢字も書けていない、被害者感情を逆なでするような文章。私にしてみたら、この犯罪被害は加害者にとっては「偶発的な自分も被害者の位置にいるようなものだ」と言うように裏を見てしまったような気がする。漢字が分からないなら辞書を引け、被害者の感情が分からないなら考えろ、考えても分からないなら、分からないまま手紙を送るべきではない。私はこの手紙によっても被害を与えられたと思っている。そして、死亡した加害者の肉筆を今、私に対する事件によって、収監され死亡した結果を受け入れるために、更なる尽力が必要となることを改めて再認識したものである。