私の視野を広げた「脱税王」
高校1年のとき「納税の義務と権利」という作文を書いて、賞を貰った。賞状だけでなく電子辞書も貰ったので、かなり誇らしく思ったことを覚えている。
しかしこの考えは翌年、今は亡き「脱税王」の話を聞いて変わる。
彼に作文で賞を貰ったことを話すと
「すごいな!脱税王のわしにとっては耳の痛い話やけどな」
ときつい関西弁訛りで話しながら、豪快に笑っていた。
「国はみんなの税金で運営されているひとつの組織、権利の主張をしたいのならば、納税の責務も果たすべきなのでは?」
教科書から得た知識をもとに、そんな疑問をぶつけてみた。
「んー…そうなんやけどな。わしの会社で稼いだ金は、わし1人でがめると、ぎょーさん税金払わなあかんねん。
せやけど、それを少しずつ従業員に分配すると、こりゃ不思議!わしの納税額は減って結果的に手取りは増えるし、従業員は高級取りのステータスを得るわけや。
今は子供やでわからんかもしれんけど、大人になって脳みそつこて納税したらわかるようになるわ。」
と言われ、私は自分の視野の狭さに愕然とした。
そして教科書の知識を一生懸命溜め込み、社会をわかったような気で書いた作文を恥じた。
なんてくだらないものを書いてしまったのか。
自分の無知を曝け出しただけじゃないか。
じっと私の顔を見ながら、脱税王は続けた。
「教科書で勉強することは大事やけど、それが全てやない。自分で経験して、その立場になってみんとわからんこともある。
従業員で給料増やすことを考える奴はおっても、税金のことまで考えとる奴は、少なくともうちにはおらんわ。でもわしの周りの社長連中は、みな考えてる。
そういうもんなんや。」
このおっさん、すごいな。
当時の正直な感想がこれ。
これ以上に、彼を形容する表現が見つからなかった。
それからというのも
・自分が経験していないことを批判する。
・経験していないことを、本から得た知識でわかったような気になる。
・「こうあるべき」という常識に囚われる。
この全てをやめようと、心に誓った。
絶対にしていないとは言い切れないが、少なくとも常識に囚われていないのは確かだ。
視野を広く持ち、多くの考え・価値観を受け止め、自身の中で吟味する。正論なんてものは場合によっては、視野を狭める足枷でしかない。私はそう考えるようになった。
尊敬の的であった脱税王は、時折寂しい表情を浮かべ口癖のように
「わしはこの世の必要悪なんや」
と言っていた。
彼にとってこの世は、なんでもありルール無用の格闘技だったらしい。だからこそいろいろな側面から物事を見て、お金を稼ぐスキルを磨けたのだと思う。
その反面、孤独も人一倍感じてきたのだ。彼のような天才の感覚は、凡人には共有できない。
しかし彼は気づいていなかったようだが、私の他にも彼を尊敬している人間はいる。彼を思い、未だに涙する人も。彼は悪ではなく、ただずば抜けた才能を理解されなかっただけなのだ。
それを悪と呼ぶなら、私も喜んで悪になる。
ちなみに件の作文を、一瞬は無知を晒した価値のないものに思ったが、彼の考えを知り視野を広げるきっかけになった記念すべきものだと思っている。
そして「失敗」という経験値を積ませてくれたことに、感謝もしている。
残念ながら脱税王は短命だったが、私の中では越えられない壁として未だに生きている。
もうすぐ彼の命日だ。
二度と会えないのかもしれない。
それでも私の人生を豊かにしてくれた彼のことを、生涯忘れることはない。
脱税王へ
追悼の意を込めて、この文を送る。
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