
【暇社説】にぼしいわし優勝を受けて出版人は死に様を見せろ 『暇』2025年1月号
にぼしいわしが優勝してしまった。にぼしいわしは、ことによると「優勝」の二文字には縁がない人びとなのではないのかとうっすら感じてはいた。だがTHEW決勝進出が決定した11月22日、「今年こそ優勝するに決まっている、まちがいない」と私は確信を持ったが、その翌日には「と思わせておいてまた落ちるんじゃないか」と考え直した。選挙戦でいう序盤・中盤・終盤情勢になぞらえていえば、序盤「優勝まちがいない(大きくリード)」中盤「だがやっぱりどうだろう(拮抗)」と考えに考え続けた結果として、THEW決勝前日12月9日の夜、中野ZERO小ホール「NORA東京SP」をふらっと様子を見に行った終演後の中野ZEROから中野駅に向かう帰り道のまんなかあたりで「やはり優勝(独走態勢)に決まっている」と結論をだした。中野はちょっと見ない間に再開発で都市の様相が大きく変わっていた。南口駅前には高層ツインタワーみたいのがいつのまにかできていた。そしてやはりにぼしいわしは優勝した。
本誌のなりたちをふりかえる
いわしさんの初著作『そのうち孵化するって』をPDF書籍として刊行したのは2022年5月末であった。単独ライブ「超!ネックル危機一髪」東京公演の後の2週間ぐらいで一気に書きあげていた。当時は29歳だった。いうまでもなく今より若かったのだが、その夏、30歳の誕生日をすこし過ぎたあたりの頃に突如金髪になったのはなにごとが起きたのかと感じた。
時系列でいえば7月8日に阿佐谷・ネオ書房で、そして7月16日には大阪・BAR舞台袖でPDF版『そのうち孵化するって』の刊行イベントが開かれた。
そこまではまだ金髪ではなかった。
そしてその翌月、阿佐谷・ネオ書房での刊行イベントを歴史記録として保存するために刊行したのが本誌創刊準備号だったのである。

『奈良でうめる』のころ
女30歳、突如金髪になる。そして金髪で奈良に行く。それがいわしさんの2作目のエッセイ『奈良でうめる』であった。
秋になればいわゆる賞レースと言われるお笑いの大会が2個もすごい勢いで迫り来る。またあのプレッシャーと闘う時期である。考えただけでゾッとする。こっちは、毎日劇場と自宅と居酒屋の往復。自分自身に降り注ぐ特記したイベントがあるわけではない、プライベートの充実なんてほど遠い。
私は人間だったっけ?と思う時がある。お笑いをするために生まれてきたのか?いや、辻褄が合わないくらい才能がないし、何よりも売れていない。このまま死んだら、走馬灯の空きスペースが目立ってしまう。
これが『奈良でうめる』の冒頭である。本作を刊行したのは2022年THEW準決勝2日目の11月11日であった。そこにいわしさんのただならぬ精神史を見るのである。
その後2023年秋に東京進出、さらに2024年夏には突如名字がついて「伽説いわし」へ変容していった。
いま思えば、金髪を経て「いわし」から「伽説いわし」に至り、優勝を勝ち取るまでの過渡期だったのだろうと思う。
『奈良でうめる』と「冬の匂い」の死に様論
ところでここからは『奈良でうめる』を再読しながら最近ずっと考えていることだが、「冬の匂い」という歌がある。元・古井戸の加奈崎芳太郎さんが90年代半ばに「加奈崎ユニット」として発表していた加奈崎さんの40代半ばのころの作品だ。
ちょっとだけ歌詞を引用してみると、
あとどれくらい
あとどれくらい
あとどれくらい
あとどれくらい
505号のベッドで途切れ途切れの夢を見る
声にならない薬漬けの晩年
あれは俺 あれは俺
吹きっさらしの非常階段
背骨の折れたカモメが
海をめがけて真っ逆さまに飛んでく
あれは俺 あれは俺さ
というようなぐあいに40代半ばのころの加奈崎さんは「あとどれくらい」と自らの寿命をカウントし「死に様」の景色を描こうとしていたのだった。ここに私は30歳のころのいわしさんが「このまま死んだら、走馬灯の空きスペースが目立ってしまう」と書かざるを得なかったことと同様の強烈な精神の形を感じる。現代の表現者にとって重要なのは「生き様」ではなくもはや「死に様」なのである。このことは私も含めて出版人も同様である。出版界が今なお衰退を続ける状況をも鑑みながら「にぼしいわし優勝を受けて出版人は死に様を見せろ」と強調しておきたい。
TRASHBOOKS代表・杉本健太郎