不思議なオーラを放つ魔法の一冊[書評]久喜ようた著『豚の慟哭』 坂田俊子(脚本家)『暇』2023年9月号
杉本健太郎氏が発行を手がける本は、どの一冊をとっても余人を持って代え難い作者固有の魅力に溢れ、読者を稀有の世界へと誘う。この、久喜ようたさんのエッセイ『豚の慟哭』もまた然りである。
本書には、著者が愛してやまない結まーる精神溢れる石垣島で、自然体の住人たちと繰り広げる愉快で不可思議な食に纏わるエピソードが綴られている。十四編にわたって登場する食の特異性は、土地柄ならではのものと言えよう。ヤギ汁然り、最たるものが豚カレーである。このクライマックスの味の恐ろしさを想像するにつけいたたまれなくなるが、それらは是非本書を読んで体感してもらいたい。
だが、何故本書の舞台がこの島でなければならなかったのか。
著者の久喜ようたさんはノンバイナリージェンダーである。いわゆる自分の性認識に男性か女性かという枠組みが無い。戸籍上は男性となった現在も、ようたさんの中に時折愛くるしい少女が垣間見える。それもまた自然の姿なのである。生を受け、今日までどれだけの壮絶な孤独と辛く苦しい葛藤の日々を積み重ねてきたのか。ありのままの自分でいる事を求め、もがき苦しみながらもなお、葛藤に継ぐ葛藤の日々。『6 誰かん家のご飯の匂い』にも著者の個たる根が吐露されている。本書は、明るく無邪気にふるまうようたさんの、まだ迷いの途上にいるもう一つの姿を映し出す。
幼い頃から唯一の味方だった絵は今もようたさんの拠り所だ。「私の思い出にはあまり色がない」(P68)、「無くしたくない絶対にこの手で持っていたい自分だけの信念ってなんだ。生きるってなんだ。絵を描くこと」(P177)と自分に問い、決意しながら歩んできた道。今のようたさんには色が似合う。鮮やかにペンを走らせボディーペイントを描くようたさんならではの魅惑の色が。
そのエネルギーの源がこの土地の人たちなのである。きっと究極の淋しがり屋であろうと推測するようたさんがラスト(P255)で語る。「当たり前ではないことが当たり前に存在するこの島で、ささやかに、忘れていた大切なことが起こるのだ」と。石垣島の空のように、澄んだ心にだけ見える色と人がそこにある。
自分のスタイルで生きていいんだ、と背中を押される人も多いと思う、不思議なオーラを放つ魔法の一冊である。
(『暇』2023年9月号掲載)
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