息子がここまですくすく育ってきたことに心から感謝 この2年間自分自身はどうだっただろうか? 失ったもの、 自信 気づいたこと、 己の弱さ
綺麗事だけじゃ済まないのが育児 楽しんで育児してるつもりなのに 見えないちっちゃなストレスが 実は溜まってたりする それがパートナーに対して冷たい態度として表れてしまったり その結果自分を責めてしまったり 一人自由奔放に生きていた頃を懐かしんじゃったり でも一日一日は容赦なく過ぎていく 当たり前のように自分の腕に包まれている息子は 明らかに成長している こうして腕の中に包める当たり前 あとどれだけ続くのだろう わかっていることは 必ず終わりがくるということ だから も
惰性で生きている状態から抜け出すというのは、なにげに難しい。 だから大半の人は惰性で生き続けている。 でも、そうじゃない人がい。その人は本当に魅力的で美しい。 現状とは異なる未来を描いた時、現状を守ろうとする機能が脳の中にある。 その描いた未来に対して、恐怖を感じる。 恐怖を感じると、恐怖を助長するイメージが加速する。 そのイメージにどっぷり浸かっている限り現状は維持される。 そこから立ち去り、未来を描く。 それをやり続ける。 未来を描け、もっと具体的に、もっと鮮明
マイナスは幻想であり、マイナスは存在しないという事を知る。 マイナスという認識が、不足感、欠乏感、焦りを産み出す。 マイナスという幻想の元になるのが、比較。 常に比較に晒されているから、常に不足を感じる。 比較に晒されている限りは、不安から完全に抜け出す事は不可能。 比較を突き詰める。 比較の結果である害を知る。 比較を手放した時、不安は自然と消える。
毎日繰り返す感情、 これに翻弄され、人生がうまくいっていないという感覚。 捉え方をまずは変えてみる。 例えば恐れという感情なら、恐れという感情そのものを無くすのではなく、恐れという感情が恐るに足らぬものになればいい。 その感情が起こったら、 始まったことを認識する。 その感情と意識を切り離す。 切り離されたと思ったら自分の肉体に戻ってみて、その感情の引っ張られないことを確認する。 一回やっただけじゃなくならないから、一連の流れにかかる時間をどんどん短くしていく事を目標
現代は消費社会、消費が人間の行動のメインである。 創造はごく一部の人間だけが行うもの。 消費と創造の違いは前頭前野を使っているかどうか、消費ばかりの人間は前頭前野が退化していく。 消費行為は考えなくていい、ただ反応すればいい。 現代人は消費中毒にさせられてきた、物を買わせるために。 仕事が創造行為かというとそうでもない、しっかりマニュアル化されているものほど創造からかけ離れている。 流れを変えるには、 まずは消費中毒状態の把握、 消費行動を減らす、 消費を減らすと体が刺
新しい一日の始まり。 この1ヶ月主に感情について綴ってきた。 感情的になると、思考が正常に働かなくなる。 思考の暴走は感情に流された結果。 視野を拡げる、達観する。 これで感情は維持できなくなる。 視野を拡げ、達観することを繰り返す。
今日はTOEIC試験本番。 目標は800点。 特技の中の一つに勉強がある。 勉強というより、何をどう勉強するかの戦略を立てるのが得意。 もっぱら戦略を立てることが好きなんだと思う。 TOEIC終わったら次は何をターゲットにしようかな? 興味があるのは、 生理学、医学 量子物理学 行動経済学 脳にとって新しいことを学ぶというのはストレスである。 エネルギーを必要とするから、 新しいことを学ばなければ、エネルギーも最小限ですむ。 最近気づいたこと、 脳には負荷をかけれる
何かに悩めば消耗する。 消耗したら新しい事を始めようとする気力は生まれない。 何に消耗しているかを明らかにする。 それが大きなブレーキになっていたりする。 具体的な解決策を模索することで無駄な消耗が減っていく。
もし根底に流れているものが、 全ては自分、感謝、愛おしさ というものだったら今の世界をどう受け止めるだろうか? これが自然、 今までどれだけ不自然なフィルターにしがみついていただろうか? そのフィルターが無くなるだけで変わる。 ポジティブシンキングとかではなく、ただ仕組みを知ればいい。 知ることに情熱を注いでいき、自分が知ったことだけを伝えていく。
活動モードに入った時のパフォーマンスをより良くするためには、 オフの時に何もせずにひたすらマインドを構築する事が大事。 無理に何かをしようというのは、目先しか見えていない。 より広い視野が、様々な感情から解放させる。
忙しいと悩み事って沸いてこない。 暇な時ほど沸いてくる。 じゃあ忙しくしてればいいかというとそうでもない、 その間潜在的に拡大し続ける。 それが病気に繋がる。 むしろ沸き上がってきた時はチャンスと思う。 沸き上がらせる、ひたすら観察する。 まずは何もしないことに対する恐れから取り組んでみる。
未来から振り返った時、 退屈と感じていた日々はものすごく価値があったと気づく。 退屈さは変化の第一ステップ。何か新しい事を創造そたいという衝動が存在している。 その衝動に身を委ねてみるというのもありかもしれない。
善人にならなきゃという思いが強い人ほど、悪人に触れる。 何かしなきゃと思うほど、何もしたくなくなる。 こうあらねばという価値判断が強ければ強いほど、その逆が強化されてしまうというジレンマ。 価値判断をどうやって手放すか。 達観する。
退屈さから刺激を求める。 退屈さに無気力がくっつくと、即刺激になるものだけを求める。 消費者の選択は、 自分が求めてる感情が得られるか?もしくは 逃げたいと思っている感情から逃げられるか? この推測によって決まる。 結局は感情を買ってるってこと。 消費行動でしか刺激を得られなくなってしまうと、 より退屈になり、より刺激を強く求めるようになる。 その打開策となるのが創造行為。 小さなものから創る事を始めよう。
社会に属していないと感じる時とてつもない不安に襲われる。 これが根強いから、社会に属していると認識する事で感じる安心感を得る為に行動する。 この安心感を得る為の行動とは、不安感をただ覆い隠してるだけ。 逆に社会への帰属意識を強化させる。 それが潜在的なストレスを増加させていく。 そんな潜在的なストレスでパンパンな人種が他者を批判、攻撃するようになる。 社会への帰属意識の強さは、他人からのコントロールされやすさともイコールである。 社会に属していないことで感じる不安は