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母へ

腰をベットに下ろしパソコンを開く。私はパソコンを開きApple Musicへ。何気なくアルバムを開くとそこには「アンマー」。「ああ、なんかTikTokでいいなと思った曲」。「カチッ」

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…………….
;_;  ;_;  ;_;  ;_;  ;_;  「ボロボロボロボロ…….」

久々にとんでもない量の涙が出た。2日前彼女と別れたばかり。別れ間際も出なかった涙が、今どっさり出てきた。とても思い入れのある人だったので、別れは辛かった。別れ際に感謝を伝えたかったから、搾り出そうとしたが、事実を体が受け止めてきれないのか、全く涙が出ず、目が潤った。

2年前に、起業を決意。「絶対に成功してやる。見てろよ。」とコロナ期間中に家を飛び出し、大学の家へ。社会、学校、学友、採用担当、絶対にみんなに認めてほしかった。

だが、始めてすぐに、蚊の刺し傷ぐらいの爪痕を残し敗退。全やる気が消え、それから1年間放浪。バイト、、遊び、名目作りのインターン。失敗した自分を受け入れきれずに、挑戦者を俯瞰して笑っていた。

走りたての学生起業家に「なんで?なんで?なんで?」と説明を求める令和の虎の真似を繰り返す。困った顔を見て、気持ち良くなる。そうやってしか自分を癒せなかった。そうでしか、自分の存在価値を見出せなかった。

今は学生最後の冬。就活が迫る。大企業かベンチャーか。起業するモチベはない。友達のシェアハウスビジネスを手伝いながら、釣りと彼女とバイトの日々。

ある日彼女から私の不注意による関係の解消を求められた。一緒にいてとても居心地が良かったので、彼女には離れて欲しくなかったし、何より自分が預けていた愛が裏切られ心臓にペットボトルのキャップぐらいの大きさの穴が空いた。

それで同居を解消し、その友達がやっているシェアハウスに入居。失恋のせいかご飯も食べれない、寝ても数時間で目が覚める日が2日続いた。

そんな時そのシェアハウスの友達と話をした。彼のビジネスはうまく行ってるとは言えない。三輪車創業。そんな彼がかわいそうだった。たくさんのリソースがあるが使い方を知らない。俺も、同級生も皆4年卒業。彼にはもう手伝ってくれる仲間がいない。これがラストチャンス。と彼に説教し、自分の部屋へ上がった。

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「アンマーよ
アナタは私の全てを許し
全てを信じ全てを包み込んで
惜しみもせずに何もかもを
私の上に注ぎ続けてきたのに
アンマーよ
私はそれでも気付かずに
思いのままに過ごしてきたのでした」
♪〜〜

今まで、母親のことを恨んでた。いつも保育園生の私を置いて、母のシルバーのノアが石垣とマキの木の間を抜けてゆく。それをばあちゃんの部屋から行かないで欲しいと願う。

長男なので兄弟で喧嘩したら私がいつも悪い。よく怒られ、幼稚園の時から数字やひらがなの勉強をさせられた。小学校に入ればゲームは買ってくれない。先生や同級生から仲間はずれにされても言えない。

小2の時に自殺したいと伝えたが、軽くあしらわれた。それから、学業で賞をもらったり、大会で優勝してもあまり褒めてくれない。それよりも「下と比べてどうすると?上と比べんね。」。話を聞いてくれずに自分の言い分だけを伝え、なぜあなたはいつもそうなのか?と一刀両断。それが高校まで続いた。

数ヶ月前、企業の採用担当と話した。「ズバリ、君のストレス耐性の低さと周りへの不安は母親との関係にあると思う。」最初は違うと思った。いや、願った。

アンマーを聞いて、涙が溢れ出した。羨ましさが最初に押し寄せたが、次に申し訳なさの波に変わった。

自分はそんな愛情をもらってないと思っていたが、色々考えると母は愛を注いていたと思う。朝早くから仕事にも行かないといけないし、多忙の中母なりに親をしてくれていた。落ちこぼれの私は留学にも行かせてくれたし、大学受験でも、大学生活でも、起業でも、批判はされたが、否定はされなかった。「あんたがそれでいいならよかたい。」そんな母へ感謝しかなかった。

母の愛をどこか心の切れ端で感じていて、その期待に応えようといつも見栄を張っていた。でも、ほとんど中途半端だった。申し訳ない。

確かに母は俺ができないことを一回も責めたことはない。残念がるが、「しかたないやんね、過ぎてしまったこつはしょんなかたい」といつも母。期待にはこたえることができずに、悔しくて、逃げて、逃げて、逃げていた。

もういいだろ。もう、逃げるのはやめていいんじゃないか?さっさとケジメをつけて、決着をつけよう。

そう、俺はいつかビジネスを成功させ。母の前で胸を張りたい。それで母親を焼肉に連れていきたい。


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