再会のツアーで“見っけ”たものは? 〜スピッツ ツアー2021 名古屋公演を観て〜
2021年6月30日(水) 名古屋にて
私にとって、1年半ぶりのスピッツのライブの日がやってきた。
楽しみにしていた、、、という言葉じゃ生ぬるいくらいに、この日は朝からテンションが高かった。移動の時間も確認しながら、食べることも着替えることも儘ならないほど、その日が楽しみだった。
この日に至るまでのこと... はショートカットして、観た感想を、簡単な感じだけど、まとめていきたいな、と思う。
⚠️このツアーは、9月中旬の大阪城ホール公演まで続くため、セットリストや演出についての記載は控えて、まとめていきます⚠️
曇り模様の日本ガイシホール
私にとって、日本ガイシホールに行くことが相当久々だった。4年ぶりくらいだったと思う。
その時は、星野源の全国ツアーで、スタンドの上のほうから観ていたような気がする。スタンド席から見える景色が少し高くて、なんか急な斜面を見下ろしているような景色だったのを覚えている。
そういえば、この会場は昨年の夏まで改修工事が行われていたそうで。この会場での有観客のライブは、昨年末から少しづつ行われているそう。
私も本当なら、4月に一度ここを訪れている予定だった。そのコンサートが、早いうちに中止になってしまったために、それが叶うことはなかった。
話をスピッツに戻そう。
高速、電車を乗り継いで、15時半過ぎに会場入りした。
少し暗い雲がかかりつつも、少しだけ晴れ間が見える景色が、なんだか6月らしいなと思うのは、どこかこのバンドらしいひとことだったりして。
欲しいグッズの8割型は通販で済ましていたけど、ビッグTシャツとキーホルダーを買い逃してしまっていたので、それを無事買えて(衝動買いのスマホバンドも買っちゃって)、一旦会場時刻まで時間つぶしに励むことに。
名古屋と言えども、郊外というか、少し静かな位置にあるのが、なんか不思議な気持ちにさせるこの頃。楕円形の会場が、そこに鎮座している。それが、なんだかこの会場の空気感を作っているような気がしていて。
会場時刻を過ぎた17時40分、チケットと健康状態を書いたメールを見せ、無事に入場。FC先行で取れた席は、アリーナの33列目。思えば、今まで行ったMIKKEツアーの2公演は、両方ともスタンド席だったので、MIKKEシリーズで初めてのアリーナ席なのか、と嬉しくなって空を観ちゃう展開。
33列目と言えども、有難いことに通路側だったので、ゆっくり観ることに。感染対策により、一席ずつ空けて座れるシステムだったので、通路側だった空き席には、私のバッグとモニャさまとミノムシさん、そしてパルコアラズが座ることができました。
再会の一音目
開演 18:31 終演 20:55
ほぼ定刻通りに始まったライブは、約2時間半・計26曲を披露して、無事終演した。
ツアーのセトリには触れないで、このライブの感想をまとめるのなら、ステージの上には、いつものスピッツが立っていた。某音楽番組で、リーダーの田村明浩(Ba)が「スピッツはみんなが思っている以上にライブバンドなんだ」と話していたように、彼らのライブは躍動的で、瑞々しくて、カッコよかった。1年半前に見た姿と、何ひとつ変わっていなかった。
草野マサムネ(Vo/Gt)は、相変わらず歳取らないんだろうなってくらいに綺麗で、声も透き通っているし、三輪テツヤ(Gt)の繊細なアルペジオはより研ぎ済まされたように感じるし、田村明浩(Ba)の暴れながらプレイする姿か序盤から始まったし(ついには某曲で演奏放棄してるし 笑)、崎山龍男(Dr)のドラム裁きは今日も最高だった。
スピッツは、やっぱりスピッツでしかない。そんな音楽の単純な方程式を再確認するような、そんなことを感じていました。
このツアーの1曲目は、正直なことを言ってしまっていいのなら、大方の予想はついていた。事実、2019年のアルバム『見っけ』を引っ提げていること、それのツアーのリベンジマッチのようなものと鑑みれば、1曲目の1音目もある程度は予想ができた。その音と同時に、ステージ上のメンバーにスポットライトが当たる。その瞬間だけで、私はご飯10杯食べれる自信を得るくらいに、心は嬉しさで満ち溢れていた。
ライブのこと... 特にMCに関することをまとめれば、アンコールでのメンバー紹介を除けば、ライブ中のMCは少なめな印象もあった。というか、MCがどんな感覚だったかを掴み直しているような印象も覚えた。
中盤のMCで草野さんが「俺、MC中でも歌ってること多かったな」と話すように、この日は最近のヒット曲はキーが高いものが多いという話で、優里「ドライフラワー」やOfficial髭男dism「I LOVE...」をワンフレーズ歌ったり、過去の曲の低いキーが出しにくいということで寺尾聰「ルビーの指環」を歌ってみたりと、口ずさんでいることが、多かったように思えた。
高い声が出にくいとか、低い声を出しにくいとか話してはいたけれど、草野さんのボーカルはいつもと変わらずにのびやかで透き通っていて、その高音も唯一無二のものだった。このMCの後も、草野さんの高音が光る1曲が続いていった。だから、さっきの話も「ひょっとして「ドライフラワー」とか普通に歌えるんじゃないか?」とか勘ぐってしまうけど、こういうところの緩さにスピッツのライブや空気感を感じるのでした。
"最高"を更新し続けること
話は、アンコールでのメンバー紹介に進んでいく。
メンバー紹介の1発目は、ステージを観て左側のリーダー・田村さんから。ちょうど前日にテレビに出ていた名古屋出身でスピッツとの関係も深いバンド・フラワーカンパニーズの話題から始まり、スピッツがこの2日間のライブの前に名古屋でライブをしたのは、2019年10月にフラカンが名古屋国際会議場センチュリーホールで開催したライブにゲスト出演した時だったという話題になった。彼が心配したのが、名古屋でのライブの最後の記憶が、アンコールでフラカンのベーシスト・グレートマエカワの衣装にちなみ、裸にオーバーオールを着て、CHAGE and ASKA「YAH YAH YAH」を演奏したことになってしまうということだった(詳細は下のURLより)。
「センチュリーが中止になって、このままだと最後に名古屋でやった曲が「YAH YAH YAH」になっちゃう... それはそれで楽しかったけどさ、今日スピッツの曲ができて良かったです。昨日よりも名古屋での最高を更新できた気がするけど、どうかな?」と話し、拍手が起こる。
それに続き、「いつも名古屋でライブすると『田村!飲みに行こうぜ!!』と叫ぶ男の人がいて。そうやって言われると、結構嬉しいんだよね」と田村さんが話し、草野さんが「今回は声が出せないけど、またそうやって言ってもらえるようにスピッツは続いていきます!」と話したのも、バンドと名古屋のつながりを感じさせる一幕だった。
思えば、スピッツって観客との距離をものすごく意識してるバンドなんじゃないかと思える。事実、ホールツアーをコンスタントに行うのは、そういうことが理由の一つだと聞いたことがあった。
この日、ツアーで行くはずだった三重や岐阜の話題も上がっていた。某楽曲での「○○の日の出」というフレーズで津市を扱う場合、休符を入れるか伸ばすかのどちらがかっこいいかという話も、スピッツらしさを感じる瞬間でもあって。(実際に試したところ、「津ッの日の出」と休符パターンがしっくりきたそうです 笑)
各地でのライブや距離を大切にしていることは、彼らのライブというものに対する意識やポリシーを思わせる瞬間だった。メンバー紹介の時でも、サポートキーボードのクジヒロコ(クージー)は「久々に新幹線乗って移動した」とか話したし、崎山さんも三輪さんも名古屋でライブできて良かったという話をしていた。
スピッツが今"見っけ"たもの
そして、最後の草野さんの話に、このようなことを話していた。
「こんな素敵な空間、皆さんがいたから作れたことで。これは1人でも欠けていたら成り立たなかったです」
実を言えば、この言葉はMIKKEツアーの中の最後のMCで、草野さんが必ず言っていた言葉だった。2019年の時に聞いたその言葉は「今日のライブができて良かった」という意味なのだろうと思っていた。
しかし、今このご時世の中で、その言葉を聞いたときに、その意味が違うものに聞こえてきた。今の時期にライブができる喜びという意味やまたファンに会えたこと、そしてライブはバンドとファン、そしてスタッフたちとす繰り上げるものなんだということを、確かに示していたように思えたからだ。
思えば、スピッツは昨年の緊急事態宣言が出ていた中で、過去のライブ映像の配信を行っていたが、多くのバンドがやっていたような無観客ライブを一度も開催しなかった。その理由として、当時まだ延期だったMIKKEツアーのホール公演があったというのもあるだろうが、昨年11月に東京ガーデンシアターで「猫ちぐらの夕べ」を開催するまでは、スピッツは人前で音を鳴らすことは一度もなかったのだ。きっと、ライブに関する思いやこだわりがあったから、そういう決断をしたのだと、私は考える。
そんな中で、今あるNEW MIKKEツアーを思うと、バンドがツアーで示しているのは、「バンドにとってライヴは命に等しいものです」という思いを掲げていると同時に、ライブというものが何よりもスピッツにとって大事なものなんだということを再認識しているような、再び"見っけ"ているような。そんなことを、ライブの約2時間半を観ていたら、思うのです。
終演後、ガイシホールの外は小雨が降っていた。
折り畳み傘を開き、少し混雑気味の笠寺駅に入り、帰路の電車に乗った。普段なら、さっそくライブのセットリストをWALKMANの中で並び替えて、イヤホンで聴いて余韻に浸る、みたいなことをしているのだが、この日はそれをしないで、ただ頭の中でその瞬間を噛み締めながら窓の外を眺めていた。
この紫の夜を越えた先に、何が待っているのだろうか。思えば、スピッツって曲の歌詞の中に「越える」とか「連れ去る」みたいなフレーズを使っている印象を覚える。有名どころだけかもしれないが、常々ファンとどこかに行くような、ロックやライブの大陸の先で会いに行くような。それを体現し続けて、バンドは今を生きている。
このご時世が過ぎ去った先に、どんな景色があるのかを、私は知りたくなった。だから、また再会できるまで生きていなくちゃ。
久々の再開の夜は、私の中でまた新しい何かを"見っけ"たような、そんな一夜だったのでした。
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