「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021」開催中止の一報を聞いて
書かずにはいられないと思って、いまパソコンのキーを押し続けている。故に、支離滅裂な散文になっているかもしれない。お見苦しいことがあるかもしれない。だが、いまの気持ちを示さずにはいられない。
そんな気持ちで、今はいます。
2021年7月7日(水) 12:00
茨城県・国立ひたち海浜公園で開催を予定していた音楽イベント「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021」の開催の中止が発表された。細かい詳細は、以下のオフィシャルサイトを読んでほしい。
私は、このフェスに初めて行く予定だった。
8月8日(日)、ロッキン2日目となる予定の日だった。
この日は予定なら、YOASOBIが有観客として初めてのライブをする日であった。しかも、この日のメイン・ヘッドライナーとして。それ以外にも、初めてASIAN KUNG-FU GENERATIONやBiSHを観たり、大好きなsumikaやマカロニえんぴつを観たり、他にもMy Hair is Bad、KANA-BOON、[Alexandros]を楽しむはずだった。
事実、こういう素敵なメンツがいるから観に行こうと思った理由があるのだが、それ以前の問題として、このフェスはきっと安全で無事に成功しきれるはずだという確信が私の中にあったから、というのが大きい。
それは、今年のGWに行った2つの春フェスで証明されていたことだった。屋内フェスのVIVA LA ROCK、野外フェスのJAPAN JAM、特性は違えど、2年ぶりに開催した2つのフェスは、両社とも感染者やクラスターを出さずに、無事成功を収めていた。
私は、この2つのフェスに足を運んだ。
特に、JAPAN JAMに関して言えば、ロッキンと同じ主催会社であることや野外フェスであるという特性上、JAMの成功はロッキンの開催並びに全国の熱フェスの開催に向けた、大きな光になったと感じていた。
しかし、今年のロッキンは中止になってしまった。
事実、この発表に関するオフィシャルのコメント(イベントの主催者・渋谷さんと事務局)を読んだときに、理解しきれないというのが、現実だった。
確かに、感染拡大が危惧される中で、中止を求めるというのは、理解できる。一方で、エンターテイメントの日を止めないために、1年以上の時間をこの日の成功のために尽力してきたスタッフの方々や、出演を決めたアーティスト、そして参加を楽しみにしていた方々を想像すると、悔しさしか味がしないのも、確かだ。
ただ、、、この中止に関して初めに「理解しきれない」と書いたのは、またフェスというものが、知識のない人たちによって吊るし上げられ、ボコボコに叩きのめされている状況になってしまっているように感じてしまうからだ。
この発表に関するSNSやトレンドに上がったものを観ていると、「茨城県医師会のやり方がむかつく」とか「オリンピックはできるのにロッキンができないのはなぜ?」とか「音楽よりもスポーツのほうが大事なのか」とか... 憤りの声を多く目にする。
私も、その意見に同感だ。
事実、この発表に関する声というものは、憤りの声もあれば、妥当だろという声もある。後者の意見を先に書くのなら、「イベント開催後の参加者の体調とかをしっかり把握できていたのか」とか「移動に関する密を避けることができたのか」といった声はある。事実、医師会が懸念したのは恐らくその辺なのだろうかと思える。
憤りの声の中には、やりきれなさとか利権の問題だとか、捨てる経済と選ばれる経済があっていいのかとか、そういう怒りもあった。
私は、どちらの意見も正解だと思う。
事実、未曽有の中で「間違いのない正解」なんて、ひとつもないのだから。
それでも、何かをプラスに転じたくて、動こうとする。
それが、春のフェス開催であったり、今回の夏フェスの開催なのだと思う。
ただ、何かをプラスに転じさせるためには、それなりの知識というものが必要だ。例えば、フェス運営に関する最低限度とか「こうすれば密集を防げる」といった試行錯誤、医療的な視点からみた感染しないための安全のラインは何なのか。双方に、それがしっかりあってこそのこの判断なら、今日の報道に今の気持ちを覚えなかっただろう。
春フェスの成功というものは、その時の状況もあったかもしれないが、「ひとつの安全の基準値」というものを出せたのではないかと感じている。少なくとも、それがあったから、いま全国で多くのイベントが企画されているのだと思うし。
相手側は、その辺の知識を有していたのだろうか?その答えはわからないが、恐らく何か一方的なものに流されて、俯瞰的かつ総合的な判断がなされていないように思える。春フェスにあった一方的な過激な報道に流されてしまったのか、はたまた成功したというものを細かく判断しきれていなかったのか。
私が「理解しきれない」と思った根本には、そのバランスが取れていない一方的な要請が、納得いかないのだと思っていて。
「危機感」とか「懸念」という言葉を使うのなら、確かな証明の先にその言葉を使ってほしいし、今の事態の中で「コロナ渦だから仕方ない」というのは片づけられないように思えていて。その「仕方ない」を「安全」にするために、勤しんできた人たちや彼らが成し遂げたその証明を、知識のない「NO」で殺さないでほしい。
きっと、同じことをこの先のオリンピックに思うのでしょう。
これと同じくらいの「安全」を作れているのか?
それの照明の果てに、開催をするのなら、きっと多くの人たちは理解するはずでしょうに。
なぜ、本当の事の理解は進まずに、偏見だけで全てが片付いてしまうのでしょうか。恐らく、I〇Cのことだとか、政治的なこともきっとそう。フェスの成功は報道しないで、都合のいいことばかりを報道するメディアのように。
唐突だが、私が好きな言葉で「愛は思慮の先にしかない」というものがある。思いめぐらせた先にあるものに本質がある、と私は捉えている。その「思慮」を確かなものにするには、それなりの知識や確信が必要だ。何も、偏見的なもので成り立つとは言っていない。
今回の要請の中に「医療を守る」という愛はあったにせよ、その「守る」がどうやって成り立つのかという理解はあったのだろうか?その「守る」を、少なくとも春のフェスにはできていたように思える。なぜ、そこを理解しきれなかったのか。
、、、これ以上書くと、なんか方向性が分からなくなりそうですし、ここまででも十分に支離滅裂な話になっていると思います。お見苦しい文章を読ませてしまい、すみません。
結論として私が思うのは、プラスに転じるための希望を捨てたくないということです。ロッキンの中止が決まった中で、今年は全国で多くのフェスが開催されます。FUJI ROCK FESTIVAL、NUMBER SHOT、MONSTER baSH、JOIN ALIVE、SWEET LOVE SHOWER... 様々なものが企画されていると耳にしています。それらが、確かな知識と思慮の先に、無事成功してほしいと願うばかりです。
そして、反対の意見を提示するのなら、最後まで堂々としてくれ。中途半端に抜かさないでくれ。そして、曖昧なものじゃなくて、確かな事実と理由を表記したうえで、声を上げてくれ。それができないなら、意見に意味なんてないと思うから。
これは… オリンピックの開催有無に関わらず、どの話題になっても言えるような気がする。曖昧なことに片付けないで、確かな思慮深さと知識の中で、成すべき判断をして欲しいという話なのです。
そんなことを、、、
いち音楽ファンとして思うのです。
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