見出し画像

アイラヴユーが歌いたい 〜セトリ記載なし!SUPER BEAVER ツアー2021@Zepp Nagoya ライブレポ〜

2021年も2月に突入した。
この日は全国的に暖かい日になった、なんて聞いている。マスクが外せない日々が続いているけど、季節的な冬はまもなく過ぎ去るのかもな、なんてことを思っていた。

今月も、私はライブに参戦する。
もちろん、体調管理や感染対策は万全を尽くしてこの日を迎えてます。このことを前提で、これから書いていこうと思います。

2021年2月10日(水)
私はライブ参戦として、19年12月以来・約1年2ヶ月ぶりに名古屋にやって来た。バレンタインデー間近、翌日は祝日ということもあって、街は少し静かであるが、すれ違う人の片手にはおしゃれな紙袋が目立つような、そんな景色が名古屋駅付近にはありました。

そんな景色を横目に向かったのは、名古屋駅から徒歩10分の場所にあるライブハウス・Zepp Nagoya。ここに行くのは、19年11月のsumika以来。そこそこ久々なスパンが空いたのですが、個人的に慣れた会場のひとつです。

この日のライブは、SUPER BEAVER。
昨年結成15周年を迎え、メジャー再契約を果たした彼らは、現在約1年ぶりとなる全国ツアーを開催している。

先週・2月2日に、SUPER BEAVERは約3年ぶりとなるオリジナルアルバム『アイラヴユー』をリリースした。この作品は、Billboardやオリコンチャートで上位を記録するなど、話題を呼ぶ1枚となっている。

そんなアルバムを引っ提げて開催されているツアーが、今行われているツアー「SUPER BEAVER『アイラヴユー』Release Tour ~愛とラクダ、15周年ふりかけ~」だ。7会場11公演行われるこのツアーは、全国のZepp規模のライブハウスを巡るツアーとなっている。

私は、ツアー2公演目となる名古屋公演初日となるライブを観に行った。ライブは、座席指定となっており、席と席の間には距離がとられるといったガイドラインに従った形でライブは開催された。

では、早速この日のライブのことを
振り返っていこう。

((もちろん、ネタバレはありません))

SUPER BEAVER
『アイラヴユー』Release Tour 2021
~愛とラクダ、15周年ふりかけ~
2021.02.10 Zepp Nagoya

開演 18:30 終演 20:12

定刻通りに始まったライブは、ビーバーのライブ定番曲はもちろんのこと、ツアータイトルにあるように、最新アルバム『アイラヴユー』の収録曲も多く披露されるセットリストが構成されていた。ギターの柳沢亮太はTwitterにて「セトリは秘密でね」と話していたので、曲目についてはほとんど触れない形でレポを展開していきたい。

この日のビーバーのライブは、私にとって初のビーバーワンマンとなった。今まで、イベントやフェスで彼らを観ていて、そこで激烈な衝撃を覚えていたので、私にとっては満を持してワンマンを迎えたのでした。

そんな中で迎えたこの日のライブ。MCの中で印象的な言葉があった。フロントマン・渋谷龍太(Vo.)は、リリースされたアルバムに対して、このようなことを話していた。

「このアルバム、リスナーとして何度も聴いています。こんなこと、初めてなんだけど。で、アルバムがリリースされたということで"曲が完成した"と思っていないです。僕たちが曲を皆さんの前で歌って、そこで皆さんが何かを受け取って考えて、それで完成だと思っているのです。僕たちが曲で100%出しているものを、皆さんが120%にでもできるのです」
(2021.02.10 Zepp Nagoya公演より)

この言葉を聴いて、決めたことがある。
今回のレポはライブに対する感想も織り込みつつ、私が感じたアルバム『アイラヴユー』で感じたことを自分なりに考えて思ったことをまとめていく形で展開していきたいと思う。

私は、ライブレポを展開する「 #Shiba的ライブレポ 」と、CDやDVDの間奏をまとめる「 #Shiba的音楽レコメンド 」の2つをこのnoteでは行っていますが、今回は初の合同特集としてこのレポを行います。

アイラヴユー"が"歌いたい

今作は、2018年にリリースされたアルバム『歓声前夜』以降に発表されたシングル曲が収められている。ドラマ主題歌となった「予感」やメジャー再契約後1発目のシングルとなった「ハイライト」、映画主題歌となった「ひとりで生きていたならば」など、計11曲が収録されている。

このアルバム、どの曲もSUPER BEAVERの濃度が100%出ているのだが、今回特筆したい曲が1曲ある。それは、アルバムのタイトル曲である「アイラヴユー」だ。彼らなりの思いや愛を伝えるストレートな歌詞とキャッチ―なメロディが印象的な1曲だが、この曲を聴いていた時に、すごく不思議な感覚を覚えた。それは、曲のとあるフレーズのことだ。

アイラヴユーが歌いたい 愛してる 愛してる
(SUPER BEAVER「アイラブユー」より)

曲のサビのフレーズなのだが、この詩がすごく気になる要素であって。なんで「アイラヴユー"が"歌いたい」なのだろう?

普通なら、「アイラヴユー"と"歌いたい」と表記するんじゃないかと思う。それは、曲の最後には「アイラヴユーを贈りたい」と歌っていることから、何故"アイラヴユー"という言葉を擬人法として扱い、言葉にしたのだろう?という疑問を覚えたのだった。この言葉を擬人化させる必要ってあったのかな、って。

その疑問は、アルバム全体を聴いていると、全てが分かった。このアルバムって、ひっくり返すと本当のタイトルは「SUPER BEAVER Ⅱ」ってなるんじゃないか、ということだ。

今伝えたいこと

アルバム全体を聴いていて、強く感じたのは、どの曲も自らのことを歌っている、ということだった。というか、彼らが紡ぎ歌うことでしか意味が成り立たない曲があまりにも多いということが、このアルバムの要であり核心的な側面だと感じていて。

今この瞬間を刻んでいく「ハイライト」や挑み続ける覚悟を歌った「突破口」と、序盤はシングル曲が多い展開なのだが、この曲はもし他のバンドが歌うとそれなりの意味合いにしかならずに、力強さに欠ける曲になってしまうような気がしている。それは、歌詞に肉体性が帯びていないということが関係している。

このブログを読んでる人は、きっとSUPER BEAVERについて少しはご存知の人も多いかと思うので、その理屈は軽くまとめることにとどめるのだが、彼らは一度メジャーデビューを果たしているのだが、インディーズに戻って長い間活動していたバンドだった。メジャーを辞めてしまうという大きな挫折を経験したから、彼らはライブや曲の中に自らの生き方や理念を落とし込めて、歌い続けてきた。

そんな前途多難な道を歩まなければ、得ることのできなかった景色や考え方がそこには間違いなくある。だからこそ、彼らの歌には力強さや自らがその歌のような生き方を体現しているという立証を常に果たしている。それだから、SUPER BEAVERの曲には独特の空気感や力強さを帯びているんだと感じるわけだ。

面白いことに気付いたのだが、彼らは2010年に『SUPER BEAVER』と題したミニアルバムをリリースしている。そのときの曲を今回改めて聴き直したのだが、言いたいことの投げ方は違うものの、歌いたい本質的な思いは最新アルバム『アイラブユー』と全く同じであることがわかる。11年という時間が、バンドにとって大きな変化を生んだ、というわけじゃない。11年という時間、変わらずに挑み続けたから、今の景色を巻き込んで、バンドは曲の立証者としての確かさを帯びたのだった。

精一杯が 惨めに思えたって
格好つけた逃走よりも 何百倍もいい
証明するよ もう前例になるよ
やめなかったから 笑っている僕らが
(SUPER BEAVER「突破口」より)

そんなビーバーは、ライブの際常に話していることがある。それは「あなたに向かって歌っている」ということだ。今までに行ったフェスでも、この日のライブでも、渋谷龍太は「あなたに向かって歌っています」と話し、ライブを展開していた。

観に来る観客="あなた"一人ひとりと向き合って歌って来たから、向き合えた感情があるのだと思える。それは、2020年という時間が生んだことも含まれている。ライブの中で、渋谷はこんなことを話していた。

「2020年という年は、言い方が違うと思うけど、いい方向に作用したこともあると思います。やりたいことできなくて散々だったけど、言いたいことや歌いたいことが定まった1年だったと思います」

その話を聞いた瞬間、全てが腑に落ちた。
このバンドは、「思いを伝え続けたい」のだと。

アイラヴユーを贈りたい

この作品は、後半に進むにつれ、思いを体現することや伝えたいという意思表示が強まっていく。

思いを伝えたいのにそれを恐れてしまう「パラドックス」や進みたい方向に進もうとする思いを歌った「予感」、出会いがあったからこそ今を生きていると歌う「ひとりで生きてきたならば」と、後半に連れその思いや意志は確固たるものになっていく。

そして、アルバムの最後の「さよなら絶望」で今に抗いながらも進んでいく覚悟を歌って、アルバムが締め括られる。

このアルバムで描かれていることは、そこそこ多いかなと思っている。悩んで苦しむこと、前に進みたいこと、抗って生きていくこと… どれも生きていれば感じる所業であり、間違いなく直面する景色ばかりだ。

でも、その歌いたいことに共通している話がある。それは「どんな形であれ今を愚直に愛し、確かに進んでいく」ということだ。どんな形であれ、望まないことであれど、今は進んでいく。どの曲も、マイナスな展開で終わらないことに、彼らの歌いたい言葉が「進みたい」ということを描いているのかなと思うわけだ。

そうすることが、彼らにとっての歌いたいことで、真正面で伝えたいことだと思う。それを立証し続けたから、今を生きているということを、歌っているわけなのだ。

今を愛し、愚直に生きていく。
このことを体現し続けた先にあった答えが、"アイラブユー"という言葉なんだろう。だって、愛するということは、どんなことにだって共通して言える命題だからだ。例え、どんな逆境の中に立たされたとしても、好きや愛したいという思いがあるから、超えられることがある。ビーバーの場合なら、ステージに立って歌うということを好きでい続けたから、メジャーを辞めてインディーズになってもそれをやり続け、本質を得ることができた。曲を聴く人にとっても、似たようなことはあるのではなかろうか。どんな辛い中でも、それが好きだからこそ向き合えたことというものが。

それをまとめてしまえば、"アイラブユー"とは「それを受け止めて生きる」という証明であり、確かな力なのかもしれない。そして、それを体現し続けたからこそ、その言葉はイコールとしてSUPER BEAVERそのものと言えるのかもしれない。

アイラブユーを贈りたい 愛してる 愛してる
ただそれだけなのかもしれない
(SUPER BEAVER「アイラブユー」より)

「アイラブユー」の最後の歌詞が「アイラブユーを贈りたい」と記してあるのは、それを贈ること、歌うことが自らなのだという意味なのかもしれない… と私は思うのだった。

それを踏まえて、この日のライブのセットリストを振り返ると、「だから"アイラブユー"なのか」と思う瞬間が多くあることに気づく。序盤から最後の1曲まで、全てにおいてSUPER BEAVERが今届けたい思いそのものであって、2021年の現在形のバンドの今が映し出されたステージだったと感じることができた。

もしこのツアーを観に行く予定がある方は、それを感じて、SUPER BEAVERの熱を感じていって欲しい。そんなことを思いながら、このレポを締め括ろうと思います!

最後に…

このライブのことをまとめるにあたって、最後にどうしても書きたいことがある。もう少しだけ、最後は個人的な話になってしまうのだが、お付き合い願いたい。

この日のライブにあたって、一緒に行ってくれた友達がいた。その子は、ビーバーのことが好きで2,3年くらい好きだという人だ。イベントに出ていたのを観て、バンドにハマりこの日に至るということだった。今回のライブは、その子がとってくれて行けたものだった。

ただ、この時期のライブというのは少し覚悟がいるものだった。というのも、その友達は普段関東圏に住んでいて、地元が名古屋の方だった。この日も、数日前まで仕事で、少し連休をもらってライブに行くということだった。名古屋なら実家に帰ることができるし、というのが今回このチケットを取った理由でもあった。

ただ、未だに緊急事態宣言が出ている中で、関東圏から名古屋までの移動は、躊躇することが多かったそうだ。その友達も、ライブの1週間前まで行くべきかどうか悩んだと話していた。チケットを払い戻しすべきなのか、それとも取れたなら取れたで存分に楽しんでいくのか。その葛藤はギリギリまで続いていた。

かく言う私も、その感覚は同じだった。
私はその友達と比べて、色んな地に足を運んでいるため、対策万全という形で行くというスタンスを取っているのだが、それはあくまでも「旅は個人行動」という前提があったから、それができたのだった。しかし、今回は一緒に行く人がいる。そんな中で、不安がある中でそれを押し倒してまで行くということは、できなかった。行くのなら、互いに同じ方向を見ているのが望ましいと思うからだ。

結論から言えば、その友達は「楽しみたい!」ということを選択し、実家には戻らずトンボ帰りで名古屋に向かうことを決めた。実際に、終演後は即駅に向かって、新幹線に乗ったそうだ。

このような話みたいに、今様々なライブが行われている中で、行くべきかどうか悩む人は多いと思う。それぞれが選ぶものが、確かな正解である中で、何が間違ってるのか何が正しいのなんて、わからない。

ただ、唯一言えるのは、それを正しいとか間違ってると言える基準は、その人の持つ物差しでしか決められないということだ。今回の話みたいに、互いに安全な策をとって行くという決断をしたみたいに、この日のライブに来た人にはちゃんと安全な形を取ろうと決めて行こうと決めた人は多かったはず。

他者評価の中の正解と自分の中の正解が異なったとき、どうするかは全て自らに掛かっている。それは、例えこういうご時世じゃなくても、どの時もそうだと言える話な気がする。ただ、この未曾有の事態になったときに、本質的なことが危うくなると、そういう確かなことって風に吹かれて危うくなってしまう。そうなったとき、どうすればいいのかなんて、全ては自らの舵で決まることなのに。

正解かどうかわからない中で、来てくれたその友達には、感謝しても仕切れない思いが強い。私はそれを言い過ぎて、「そんなこと言わなくていいのに」と何度も返されてしまったけど、どういう形であれ、行くという決断を互いにしてない限り、この日のことは成り立たなかったと思うわけで。だから、私は感謝しても仕切れない思いでいっぱいでした。

結果論、色んなことがあった日だった。
私はその友達に対して言ったその話とか、このレポには載せないのだが、ライブ前後の話とか、そういうのがあって、なんかうまくまとまらないことが多かったような気がしている。ライブが楽しくて、この上ない1日だったことだけは確かなんだけど。

私は、思いが溢れすぎていた。
文面ではそれなりに整理がついてまとめることができるのに、話すとなると不器用になるのがもどかしくなるくらい。なんか、普段の私のnoteを見てくださる方は、それが少しわかるかもしれないかな。結果として、その友達のことを振り回してしまったのだと思う。故に、この日は言葉にするのがわからないテンションに包まれたのでした。

…こう書いてると、その友達のことが変に見られそうなので、一応加筆するけど、私はその人に対して感謝とかプラスなことを常に思ってます。ライブでバンドが発したことみたいに、その人のことを尊敬していて、凄いなと思うことが多くて。私の捻くれ方がつまんないなと思うくらいに。

それなりに考えて、私は話をしようと思ってたのに、空回りしすぎたみたいです。不器用すぎる自分が悔しいくらいに。だから、もしまた会える機会があるのなら、次は少し笑いあえる瞬間が多くあればな、なんて思うのです。

…このnote、こんな締め方だっけか?!
まぁ、いいや。
そんな名古屋での1日でした!!

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

noteを最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!

もし読んでいて「面白いな」とか思ってもらえたら、TwitterやらInstagramやらなんかで記事の拡散なんかしてくれたら嬉しいな、なんて思います。よかったら、noteのいいね&フォローよろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?