ゲロ Webkusoというラッパー(?)を知った。俺の大親友、YouTubeの推薦で。リンク貼らんですまん、調べてくれ、自力で。 「俺はハリーポッターだぞ、殺すぞ」とかいうキャッチーで物騒なタイトルから既にくらった。 営業車の中でしこたま聞いた。合コン行ってもなんも出来んからせめて財布をパクってカレー食いたいだとか、3人以上で話せないとかいちいち俺に刺さる。いや俺じゃなくても刺さるんだろうが。でも敢えていうと俺にはぶっ刺さり。 そしてアルバムの最後の方でゲロをお裾分け
1回書くと連続で投稿しがちだよね。そんな"しがち"は無いか。はは 昔の方が野放図に言いたいこと言っとるやん、俺。 ただつくづく鼻高ぇっすね、俺。 もうボキボキに折れてるので。ボキちゃんはボキボキに心折れましたよ まあ不適合なことを棚上げして正当化してるだけやん、昔の俺、っていうオチです。
レペゼン教室の隅ってなんだよ、、、。 そんな名前だけど意外と学生時代は隅に居なかった。気がする。と言うだけの記事です 何も自己紹介してなかったですよね、初カキコ、ども。 俺はただの一般日本人です。文才、コミュ力、人と違う特技、特になし。敢えて特技を挙げるなら何事も続かない逆継続力の高さです。あと口笛で3オクターブ出せる。これはガチ こんなゴミカスもこのnoteに記事を書いては消し書いては消し、イキって小難しい言い回しをいくつも捏ねて貼り付けてはSimejiのキーボード
メンヘラって無理やり定義付けるとすると ここに詳しいのだが、特に「この一連の振る舞いの根底には強烈な自己愛があると指摘できる」って部分が大切なのである。 こういった自己愛って「自己の抱える理想の高さと現実の乖離」が原因という認識を、私はしている。 ある程度諦めがついた、つまり自分の能力値の限界を知っている人ならば多少の失敗とか、「何かについて負けた、劣った」という部分を「まあこんなもんか」で受け流せることができる。ところが自分の限界値を分かっていない人々はひとつの失敗、
昔、私は根拠のない自信で人を馬鹿にしていた アイツみたいにはなりたくない、あんな奴ダメだと 勉強はそれなりに出来た、嫌味ではなく 社会に出ればこれ以上の悩みや不安は取り除かれるものだと思っていた 大抵の壁は超えられると思っていた 全てが立ち塞がってしまったのは何故 今彼らは私が望んでいる次元で生活しているというのに 私は何も満足に出来やしないではないか! 仕事も碌にこなせない私、趣味の音楽もドロップアウトし、友達も少なく、彼女には皆去っていくだろうと言われ
最近気付きました。自分にとって苦手な人とは? そう、語気が強い人達である(自分調べ)。僕は結構言葉を選び、挙句飲み込むタイプなのでそういう人が羨ましくあり、嫌でもある。なんていうか、友達の友達くらいならウェルカム🤝でも友達になるのはNO🙅♀️って感じ… なんて言いつつ価値観や固定概念をぶち壊してくるのは常にこういう人であったりする。『なんなんこいつズケズケと物を言いやがって…』→『今思うとあいつに言われたこと当たってんな…?』の繰り返し。こんな生き方してみたいぜ!のよい