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a7_nanago
アルファ版:食傷気味ながらもSNSで微アクティブを続ける、だいたい3つぐらいの理由
アルファ版とは
文字数に執着しない
清書にこだわらない
今思った、今感じたという時間軸を大切にする
可能な限りタイムリーな想いを遺すべく生まれた試験的コンテンツ。
持論に胸やけ、ただし頷くこともあり
主語が大きい。隙あらば自分語り。一生同じ文句言ってそう―見ていてしんどい主張の十中八九は「あなたがそう思うなら、それで良いんじゃないですか?」で終了。もちろんこれはお互い様、ある種の人間らしさである。
それだけに「あるある!」と感じるようなことがあったときは得をした気がする。
理由1:単純に耐性が付いた
イヤな言葉、イヤな話題、目が円マークになってそうな投稿を目にすると体感で15は心拍数が上がっていたピュアな自分から「まぁそんなもんでしょ、きっと自分も大差ないし…」と割り切れるようになった。
理由2:色んなシチュエーションで頭を使って文字を打つことは、たぶん何かしらの鍛錬になると思う
現在自分のオンラインでの投稿やら発言やらは、以下のシチュエーションに集約される。
業務連絡
プライベートの諸連絡
ウェブメディアへの投稿(仕事)
ウェブメディアへの投稿(趣味)
ゲームにおける他のプレイヤーとのコミュニケーション
いずれも微妙に立ち位置が異なるため伝えようとすることは同じでも、言い回しは違ってくる。「実はこういった使い分けって意外と大事なんじゃないだろうか?」とフワッと考えている。
理由3:記憶や思い込みで恥をかかないために記録を残す
これが大きい、と言うかこれに尽きる。
「鮮明に覚えているつもりが、実は違った!!」なんてことは20代ぐらいからチラホラある。生き恥だろうが黒歴史だろうが、記録を残すことは生きた証を残すことに匹敵するのではないだろうか。
故に思う。
どうして嬉しい出来事を書き留めないのだろう。
どうして優しい言葉を選ばないのだろう。
どうして自分の心のわだかまりを言語化しないのだろう。
各々好きにすれば良いのだけど、今際の際に人生を遡る手掛かりがあまりないのは心細い。