この春やりたいこと
優しい言葉を自分にかけたい、自分の価値を研鑽していきたい、新しい人に連絡を取り考えを取り入れたい、断捨離をして掃除したい、全てのことに感謝し空を見上げたい…
どこへ行きたい、何が欲しい、とかではないのか?と拍子抜けすると思う。きれいごとのようで呆れられるかもしれない。
実は、これら「この春やりたいこと」に共通することは
”コロナに全面的に屈服し、「新しい生活様式」「自粛」を受け入れる”ということだ。
昨年のコロナの時期は、どこまで自粛をしたらいいのか、少しぐらい良いのか、周りが出かける中で、自分だけが我慢している虚しさ、出遅れた感じをどう消化すればいいのか、など、
これまでと違う日常に面してまず一番に悩んだのは「他者比較」だったと思う。
色々なことが分かってきた今、そしてコロナ禍2年目の今、わかってきたことは、
「本当に必要な新しい生活様式は、そもそもの心のもちようであり、それは他者や外側に動かされる自分を手放し、自分軸に切り替えていくことだ」
ということだ。
例えば、誰かが彼氏と街に行ったとする。
それでも、自宅のベランダの日当たりは変わらないし、干した布団には同じおひさまの匂いがつく。
それでもありがたいことに、当たり前のように息が吸えて、こうやって文字を書けて、当たり前のように水道からは水が出て、その水を当たり前のようにケトルで沸かすことができて、そのお湯で入れたコーヒーはいつものように一口目が甘く、のどに送り舌から離れるときの香りが良い。
コロナ禍に他人が人と会っていること、人込みの中で娯楽に興じる1日を過ごしたことと、今自分が感謝すべき幸せは全くの無関係であり、自分の幸せは誰かが街に行こうが飲み会をしようが、それによって直接的に台無しにされてしまうことはないはずなのだ。
ただ、そこに比較を持ち込み、嫉妬の感情が生まれて、自分の足元を見つめる目が濁ってしまうと、その幸せをキャッチするセンサーはうまく働かなくなってしまう。
新しい生活様式は、少し自分軸すぎるほうがうまくいくと思う。変えられないことをあれこれ言っても仕方なく、変えられるものにフォーカスして、そこに気持ちを注ぐことが、精神を削らずに頑張るコツだが、この変えられるものこそが自分の軸をどこに置くかである。
実際、家にいてできることはほぼ無限だ。サーフィンしたいとか、いちご狩りしたいとかでない限り。
それにきっと、用意された面白さよりも、この制限の中で工夫して自分で編み出した面白さのほうが、生き生きしている。
去年の夏は、ホットプレートで焼きそばと焼きとうもろこし、それに家庭用のたこ焼き機、かき氷機も使って、ビールと冷やしきゅうりを添えた晩ご飯を考え付いた。夕方ベランダでビールを開けながら、家で夏祭りをやってのけた自分に我ながら感動した。ゴールデンウィークも間近だが、この春もまた何か面白いことを閃けるのではないかと、ひそかに自分に期待している。
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