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【つの版】日本刀備忘録39:大嶽討伐

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

 南北朝時代に成立した『太平記』、室町時代に成立した『鈴鹿の草子』や御伽草子『立烏帽子』などによれば、坂上田村丸/稲瀬五郎坂上俊宗は伊勢の鈴鹿山へ派遣され、立烏帽子/鈴鹿御前なる女盗賊と戦ったといいます。また彼は高丸大嶽丸とも戦うことになりますが、その経緯についてはいくつかのバリエーションがあります。それぞれを見ていきましょう。

◆Saahore◆

◆Baahubali◆


伐阿黒王

『太平記』には田村将軍が鈴鹿山で「鈴鹿の御前」と「剣合」をしたと書かれていますが、その詳細についてはわかりません。室町時代に成立した御伽草子『立烏帽子』では、朝廷より鈴鹿山の女盗賊・立烏帽子を討伐せよと命じられた「坂上田村五郎俊成」が兵を率いて攻め寄せますが、敵の御殿が湖の中の島々にあるため攻めあぐね、矢文を送って交渉を開始します。すると立烏帽子は矢文を返し、こう告げます。「私の夫は陸奥国のキリハタ山に住む悪鬼・阿黒王です。彼を討伐して下されば貴方と結婚いたしましょう」。

 そこで田村丸が陸奥へ向かうかと思いきや、立烏帽子は「仁対玉」なる通信機で夫と通話し、彼を御殿の近くに呼び出します。その姿は8つの頭と多くの眼を持つ異形で、体は酒天童子めいて五色に分けられていましたが、田村丸は首尾よくこれを射殺し、めでたく立烏帽子と結ばれたといいます。阿黒王は明らかに悪路王のことですが、『鈴鹿の草子』『田村の草子』では悪路王は田村丸(稲瀬五郎坂上俊宗)の父・俊仁が退治しているため、高丸や大嶽丸といった鬼神が別に現れることになります。

鈴鹿草子

『鈴鹿の草子』によると、稲瀬五郎坂上俊宗(田村丸/田村殿)が奈良坂の金礫法師を討伐し「天下の大将軍」となってからしばらくして、伊勢国の鈴鹿山に立烏帽子という盗賊が現れ貢物を奪うなどの狼藉を働いたので、田村丸は帝の宣旨を被って討伐に向かいます。ところがいくら探しても立烏帽子の姿はおろか手がかりさえも見つからず、田村丸は率いてきた兵を都へ戻し、単独で探索を継続します。

 彼が神仏に祈念し精進潔斎して探索すると、極楽浄土の如き仙郷へたどり着き、池の中の島にある見事な館には輝くばかりの美女が住んでいました。田村丸はこれぞ立烏帽子ならんと剣を投げつけると、美女は瞬時に凛々しく武装して立ち上がり、互いに剣を投げて「剣合」を開始しました。両者は秘術を尽くして戦いますが決着はつきません。やがて立烏帽子は「そなたには騒速の剣が1本あり、私には3本の剣がある。そなたを殺すのは容易いが、殺す気はない。そなたも私を殺すのを躊躇い手加減したな」と言って微笑み、互いに剣を収めて意気投合し、館に入って仲睦まじく過ごしました。

 やがて立烏帽子こと鈴鹿御前は懐妊し、姫君を生んで「小りん小龍とも)」と名付けます。あっという間に3年が経ち、田村丸はふと都が恋しくなり、これまでの事情をしたためた文を鳥にことづけて都へ送ります。鈴鹿御前はこれを知って恨み言を言いますが、神通の車に夫や娘と共に乗り、空を飛んで内裏に赴きました。そして帝に謁見すると、「あなたは帝王ですが人間に過ぎず、私は天人で位も勝っております。敵とみなして討つなら討たれよ」と涙を流して訴えます。帝は圧倒され、処罰を保留しました。

 鈴鹿御前は都にとどまろうとはせず、田村丸に娘を預け、彼女を常に尋ねることを約束します。また「21日後に『近江国蒲生山の悪事の高丸という魔王を討て』との宣旨が参りましょう」と予言して愛宕山へ飛び去りました。

高丸退治

 果たして帝は田村丸に悪事の高丸を退治せよと宣旨を下し、田村丸は10万余騎の大軍を率いて近江国へ出陣します。高丸の城は難攻不落でしたが、田村丸は印を結んで7日の間火の雨を降らせます。高丸は夜は木の人形を妖術で戦わせ、昼は自ら戦いますが勝てず、駿河国の富士山へ敗走しました。田村丸がこれを追うと、高丸は武蔵国の秩父の山、相模国の足柄山、白河の関や那須の山へ逃げ、ついには陸奥国外ヶ浜の海上の島に立てこもります。

 田村丸の軍勢は多くが討たれ300余騎に減少し、都へ戻って兵や船を準備しようと引き返します。途中で鈴鹿山を通りかかり、くたびれ果てて眠っていると、神通力で事情を知った鈴鹿御前が枕元に現れます。彼女は「私に娘を捨てさせたことは恨んでいますが、高丸は化生の者ゆえ、殿が戦えば敵いませぬ。私が手助けして高丸を討ち、ともに娘を育てましょう」と申し出ます。田村丸が承知すると、彼女は大通連・小通連・小明連(顕明連とも)という3本の宝剣を携え、神通の車に田村丸と同乗して外ヶ浜へ向かいます。

 高丸はこれを察知して80人の鬼たちに矢を射掛けさせますが、田村丸と鈴鹿御前は車の上から剣を投擲し、80人の鬼の首を刎ねてしまいます。高丸は家族とともに海中の岩屋へ籠城しますが、鈴鹿御前は紅の扇を掲げて空から12の星を招きおろし、雲の上に舞台を組んで見事なを披露しました。高丸は娘に唆されて岩屋の戸を少し開き、舞を鑑賞して見惚れます。そこで鈴鹿御前は剣を投げ、高丸を家族もろとも首を刎ねて皆殺しにします(『諏方大明神画詞』『神道集』では諏訪明神がやっていた役回りですね)。

大嶽討伐

 高丸の首を得て田村丸は大いに喜びますが、鈴鹿御前はこう告げます。「陸奥国のきり山が岳に大嶽(大嶽丸)という鬼がおります。彼は私に3年の間言い寄っていましたが、明日は私を攫いに来るのです。殿は速く都へお上り下さい」。田村丸は「それならここで討伐しよう」と答えますが、鈴鹿御前は「この大嶽丸は高丸を千人集めたより強く、百年や二百年攻めても、千万の剣を持って攻めても敵いませぬ。そこで私はわざと彼のものとなり、3年の間に誑かして魂を抜き、殿が容易く彼を討てるようにいたします」と告げます。田村丸は泣く泣く彼女と別れ、都へ凱旋しました。

 それから3年が過ぎ、朝廷は田村丸に「陸奥国の魔王・大嶽丸を討て」と宣旨を下します。田村丸は龍馬に乗って空を飛び、魔王の居城「雲の釣殿」にたちまち到着しました。鈴鹿御前は田村丸と再会して城の中に引き入れ、内部の様子や宝物を案内して回ります。大嶽丸は唐土の姫君を攫いに行って留守でしたが、やがて眷属の鬼どもを率い風雲雷雨を伴って城に戻ります。その姿は身長40丈(120m)、眼の数は72、顔の数は60、口から五色の息を噴き出し、天地を揺り動かすほどの大魔王です。

 魔王は田村丸が城にいるのを察知して腹を立て、6人の鬼を率いて襲いかかりますが、田村丸はソハヤノツルギ、鈴鹿御前は三明の剣を投げつけて鬼どもを斬り捨て、大嶽丸もたちまち首を刎ねられます。魔王の首はなおも動き、(酒天童子のように)空から田村丸の頭へかじりつこうと急降下しますが、鈴鹿御前は兜を10倍に増やして防がせ、剣を振るってトドメを刺しました。兜に「鍬形」という装飾をつけるのはこれが始まりといいます。

借屍還魂

 かくてハッピーエンドかと思えば、今度は鈴鹿御前が「私の寿命は25年、今年の8月15日にはこの世を去ります」と告げます。田村丸は仰天しますがともに神通の車に乗って都へ帰り、大急ぎで大嶽丸の首を帝に献上すると、鈴鹿御前や娘とともに鈴鹿山へ去っていきます。鈴鹿御前は田村丸に娘と大通連・小通連を、娘に顕明連を譲り渡し、神通力の使い方を授けて亡くなりますが、田村丸も悲しみのあまりに冥途へ旅立ってしまいました。

 かくて閻魔大王の前にやってきた田村丸でしたが、生前の記録を調査した結果、まだ死ぬべき時ではない存在(非業の者)であると判明したので、閻魔大王は獄卒に命じて生き返らせようとします。田村丸は「私が娑婆に一人で戻るわけにはいかぬ、鈴鹿御前をもろともに返して下され」と懇願しますが、閻魔大王は「彼女は(かぐや姫のように)天人が一時的に地上に降りた存在で、死ぬべき時が来た者(成業の者)である」として取り合いません。

 腹を立てた田村丸は鈴鹿御前から受け取った宝剣を振りかざし、獄卒や閻魔大王を脅しつけます。これは文殊菩薩の智慧の利剣であるため閻魔大王も逆らえず、帝釈天(天帝)の堂宇も燃え上がりました。やむなく閻魔大王は鈴鹿御前を3年後(娑婆では6年後)に蘇生させることとします。しかし鈴鹿御前の肉体はすでに朽ちていたので、彼女と同じ年に生まれた女の肉体を借りて復活させる(借屍還魂)ことにしました。彼女は鈴鹿御前とは似ても似つかぬ姿で、田村丸は文句を言いましたが、閻魔大王は不死の薬を彼女に与えて元通りの姿にすると約束します。かくて田村丸は蘇生し、鈴鹿御前も現世に復活し、ようやくハッピーエンドとなりました。

 衆生済度の御方便なりければ、鈴鹿を信ぜん人は必ず、成就し給ふべし。もし鈴鹿御いり候わずは、日本は鬼の世界となるべし。この事、よくよく御聞き候て、鈴鹿へ御参り有べく候。あなかしこかしこ。

「鈴鹿の草子」

◆Etthara◆

◆Jenda◆

 以上が『鈴鹿の草子』の物語ですが、後世に成立した『田村の草子』などでは大筋が同じで細部や話の順序が異なります。それらも見てみましょう。

【続く】

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三宅つの
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