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【つの版】度量衡比較:貨幣編・インデックス03
ドーモ、三宅つのです。あまりにも増えてきたのでさらにインデックスを作りました。もはや貨幣史からはみ出していますが気にしないでください。
つのの記事はつのに属しますが、ミームが広がるのは歓迎しますので、紹介したり感想を書いたりする程度はご自由にして下さい。You Tubeとか書籍とかでつのの記事に基づく仮説を披露しても構いませんが、その場合は出典を明記して下さい。
◆北米植民編
95.新発見地
スペインが中南米の探検と征服を行っていた頃、英国やフランスは北米北東部に探索隊を派遣し、入植を試み始めました。
96.毛皮交易
ヨーロッパ人は北米先住民との間でビーバーの毛皮の交易を開始します。
97.北東航路
英国は北極海を抜けてアジアを目指す航路も探っており、その副産物としてモスクワ大公国との通商が開始されました。
98.植民難航
北米大陸東岸へのヨーロッパ人の入植は、先住民の抵抗や厳しい気候もあって遅々として進みませんでした。
99.米先住民
北米大陸の先住民は長い歴史と独自の文化を持ち、部族連合を形成してヨーロッパ人に対抗しました。
100.波哈坦人
バージニア植民地は先住民から食糧や土地を掠奪し、少しずつ拡大していきます。
101.新阿蘭陀
オランダ(ネーデルラント)はバージニア植民地の北、ハドソン川流域を「ニューネーデルラント」と名付け、入植地を作りました。
102.巡礼始祖
1620年、英国出身の清教徒らがメイフラワー号で北米東岸の「ニューイングランド」に到達し、プリマス植民地を建設しました。
◆三十年戦争編
103.軍事経営
1618年、神聖ローマ帝国でカトリックを奉じる皇帝側とプロテスタント諸侯の対立が火を噴き、周辺諸国も介入して三十年戦争が勃発しました。
104.北方獅子
1630年、スウェーデン王グスタフ2世は劣勢にあるプロテスタント諸侯を支援するため神聖ローマ帝国に侵攻し、皇帝軍を打ち破って南下します。
105.皇軍反撃
皇帝軍とスウェーデン・プロテスタント連合軍はドイツ各地で激戦を繰り広げ、グスタフ2世は戦死しますが戦争は続行されます。
106.仏蘭宰相
フランスは宰相リシュリューのもと、カトリック国ながらプロテスタント諸国と手を結び、対ハプスブルク包囲網を結成します。
107.勢力均衡
フランスは東西のハプスブルク家を敵に回して苦戦しますが、カタルーニャとポルトガルでの反乱を契機に攻勢に転じ、1648年に戦勝国として神聖ローマ帝国とウェストファリア条約を締結、三十年戦争は終結しました。
◆英国革命編
108.主教戦争
英国では王権神授説を唱え絶対王政を目指す国王派と、法の支配を唱える議会派の対立が臨界点に達し、1642年に内戦が勃発しました。
109.英国内戦
議会派のクロムウェルは軍制改革を行って寄せ集めの議会軍を強化し、国王軍を撃破して内戦に勝利したのち、国王を処刑して共和国を樹立します。
110.英蘭戦争
オランダとの貿易摩擦に苦しめられた英国は、オランダ船の締め出しを行い、両国の間に戦争が勃発します。
111.黄金時代
オランダは17世紀に黄金時代を迎え、チューリップ・バブルが起きるなど経済が過熱していました。
112.国際結婚
1661年、フランス王ルイ14世はスペイン王女マリー・テレーズと結婚し、同年に宰相のマザラン枢機卿が逝去すると親政を開始しました。
113.重商主義
ルイ14世はコルベールを財務総監に任命して富国強兵政策をとり、カネで外交を有利に進め、南ネーデルラントやオランダへ侵攻しました。
114.名誉革命
オランダ総督ウィレム3世は、ハプスブルク家やドイツ諸侯と手を結んでフランスの侵略を撃退し、英国議会に招かれて英国王位を兼ねました。
◆海賊横行編
115.海賊横行
フランス・英国・オランダはスペインの貿易中心地であるカリブ海に進出し、海賊を支援して莫大な財宝を掠奪させました。
116.奴隷貿易
オランダはスペイン・ポルトガルを抑えて海上貿易を支配し、大西洋では奴隷貿易、インド洋と南シナ海では香辛料貿易を行って栄えました。
◆海禁鎖国編
117.島原之乱
江戸幕府はマカオのポルトガル商人との貿易は維持していましたが、島原の乱を契機に禁止し、オランダは欧州諸国で唯一日本と国交を維持します。
118.日清貿易
清朝がチャイナを征服すると、日本は引き続き生糸や絹などをチャイナから輸入し、金・銀・銅などを輸出しています。
119.寛永通宝
寛永13年(1636年)、幕府は海外貿易を制限する「鎖国令」を発布するとともに、新たな国産の銅銭「寛永通宝」の発行を開始します。
120.物価上昇
江戸時代には物価や労賃が上昇し、貨幣価値は下落しました。
121.東西廻米
各地で生産された米は、沿岸航路を結ぶ廻船によって大消費地へ運ばれて換金・交換され、各地には商品がもたらされました。
122.蠣崎松前
現在の北海道である蝦夷地には、古来アイヌ民族が住んでいました。彼らは樺太や千島にも勢力を広げ、大陸や和人とも広く交易しています。
123.寛文蜂起
松前氏が蝦夷地と和人の交易を独占すると、アイヌ民族は和人への反発を強め、1669年にはシャクシャインによる大規模な武装蜂起が勃発します。
124.赤夷到来
17世紀のロシア、オスマン帝国、インドの貨幣を概観します。
◆英仏大戦編
125.英国銀行
英国・オランダ連合は、ハプスブルク家やドイツ諸侯と手を組んでフランスの膨張主義に立ち向かいます。この戦争の資金を調達するため、1695年にイングランド銀行が設立されました。
126.銀貨改鋳
17世紀末、英国では科学者アイザック・ニュートンらによって銀貨の大改鋳が行われます。
127.継承問題
ルイ14世はスペインの王位継承問題に干渉し、甥のフィリップを王位に擁立して広大な領土を手に入れようとします。周辺諸国は対仏同盟を締結し、スペイン継承戦争が始まりました。
128.王位交替
スペイン継承戦争は10年を超えて続き、フランスは劣勢に追い込まれますが、スペインにブルボン家の国王を立てることには成功します。関係各国が和平条約を締結した後、ルイ14世は72年の在位を終えて崩御しました。
129.南海泡沫
スペイン継承戦争の後、英仏両国は巨額の国債による財政難に苦しみ、これを解消すべく計画的なバブル経済が引き起こされますが破綻します。
130.海賊周航
スペイン継承戦争の後、カリブ海では私掠船員崩れの海賊の活動が激しくなり、英国は対策に乗り出します。
131.海賊経営
海賊たちは無法者ですが、厳格な掟によって共同体を経営していました。
132.大帝改幣
ロシアではピョートル大帝が西欧諸国に倣って国政改革を行い、古来のルーブリ銀貨は西欧のターレル銀貨と同じサイズに縮められました。
◆近世東洋編
133.東洋戦乱
この頃、オスマン帝国は欧州諸国に敗れて領土を失い、サファヴィー朝とムガル帝国は内乱と外敵の侵攻で崩壊していました。
134.大清制銭
チャイナを征服した清朝では、銅銭と銀が併用され、紙幣(宝鈔)は一時導入されたものの廃止されました。
135.常平通宝
この頃の朝鮮・琉球・ベトナムの貨幣について見ていきましょう。
136.元禄改鋳
17世紀末、江戸幕府は大規模な貨幣改鋳を行います。
137.宝永改鋳
18世紀初頭にも相次ぐ災害等への対応のため大規模な改鋳が行われます。一連の改鋳を主導したのは勘定奉行・荻原重秀でした。
138.正徳改鋳
荻原重秀を失脚させた新井白石は、悪貨を回収して良貨を流通させようとしますがうまく行かず、かえってデフレを招き市場を混乱させました。
139.徳川吉宗
紀州藩主から新たな将軍になった徳川吉宗は、地盤固めを行いつつ矢継ぎ早に改革を推進します。
140.質地騒動
吉宗は大規模な行財政改革や緊縮財政、新田開発、税制改革を行い、傾いていた幕府財政の立て直しを図ります。
141.米価統制
新田開発による米の増産は、米価≒貨幣価値の下落と物価の高騰を招き、吉宗は対策に頭を悩ませます。
142.元文改鋳
元文元年(1735年)、幕府は貨幣改鋳を行い、低品位の金属貨幣を大量に流通させて財政を再建し、景気を回復させました。
◆田沼時代編
143.郡上一揆
宝暦4年(1754年)、美濃国郡上藩で農民たちによる増税反対運動「郡上一揆」が勃発します。これは幕府中枢をも揺るがし、田沼意次が台頭する契機となりました。
144.真鍮四文
明和5年(1768年)、田沼意次の部下・川井久敬は真鍮四文銭を鋳造しました。
145.南鐐二朱
明和9年(1772年)、川井久敬は南鐐二朱銀を発行し、8枚で金1両にあたるとして流通させました。
146.天明飢饉
天明3年(1783年)に岩木山・浅間山が噴火します。さらに大飢饉や洪水が続き、貧民による大規模な打ちこわしが勃発しました。田沼意次は将軍の代替わりもあって失脚し、松平定信が政権の座につきます。
【続く】
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