空を行くもの
荒涼とした土地。乾燥して寒く、足元は石ころだらけ。彼方の山々には万年雪。あまりにも長い距離を進んで来たため、みな疲れて無口だ。
「あの山は、世界の果てだそうですが」誰かがぼつりと言った。
「そうか。その向こうには、何があると思う?」馬上の男が嬉しげに問う。
「……何もないと思います」男はぶっきらぼうに答えた。「何も」
「そうではあるまい。あの彼方にも鳥獣は棲み、人が暮らしている。そのように聞いているぞ。このあたりには、この青い宝石が産し、交易路は延々とエジプトまで続いているそうだ。遠い遠い昔からな」
馬上の男は懐から宝石を取り出し、上機嫌で弄ぶ。人差し指と親指で挟み、空へ向けて、見上げる。空の青を写し取ったような青さ。まるで、天の欠片を手にしているようだ。
遊牧民は天を崇め、王を天の子と呼ぶ。あの山々は地上で最も天に近いのだろう。そこに、その向こうに、何者が棲んでいるか。思い巡らすだけで胸がわくわくする。神々がおわしますかも知れない。
「……だ、大王、ご覧下されい。あれでございまする」
案内人が、震えながら山の上を指差した。王は目を向け、遠目を凝らす。……いた。馬上の男、大王は、満面に驚きと笑みを浮かべる。
裸の男が、空中を舞っている。幻覚ではない。案内人は声を潜めた。
「あれが、空を行くもの。こちらから近づかねば、危害は加えて来ませぬ」
案内人が言う。王はいつものように快活に笑い、馬上で右手を上げた。
「おもしろいな。我が軍に加えてみようではないか! おおーい!」
「お、おやめ下さい! あれは魔物でございます!」
「魔物でも構わぬ。空を行く戦士など、そうそういるものでもないぞ!」
―――その時だった。
ウォーーーーーッ……! 狼の遠吠えのような声が、山々に響き渡った。
不意に、空が黒く染まった。バクトリアの山に棲まう魔物の群れが一斉に飛び立ったのだ。アレクサンドロス大王の軍勢は、一斉に槍を構え、弓を空へ向けた。
【続かない/800字】
アフガン航空相撲の歴史は極めて古く、四千年前のオクサス文明の遺物や、アヴェスター、ヴェーダ、仏典にもその存在が示唆されている。火薬やジェットパックが発明される遥かな以前、ヨーガを極めた人類は超能力によって自在に空を飛び、情報や物資を運んだ。サカ、クシャーン、エフタルといった遊牧民は彼らと同盟し、恐るべき戦力とした。だが彼らは部族同士で抗争を起こし、中世までに姿を消した。阿修羅、夜叉、羅刹、飛天、天狗、仙人、グリュプス、ガルダ、シームルグなどは、みな古代航空力士(Ancient Aviation Sumotori)を訛伝したものであり、ヒマラヤのイェティ、カナダのウェンディゴは彼らの末裔であろう。11世紀に始まるアフガン航空相撲の隆盛は、いわばルネッサンス(古代復興)とでもいうべきものであった。(太公望書林刊『風の谷の相撲取り -古代アフガン航空相撲の研究-』より)