【つの版】日本建国09・神産みと黄泉
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
高天原から地上に降臨したイザナギ・イザナミの両神の交合により、大八島国(日本列島)が誕生しました。チャイナやコリアから独立した小世界を舞台として、神々による不思議な物語が繰り広げられます。
◆神◆
◆話◆
神産み
既生國竟、更生神。(古事記)
『古事記』によると、国産みを終えたイザナギ・イザナミの両神は、次に神々を産み出しました。最初に産まれたのは大事忍男(おおごと・おしお)神です。忍…イクォール、ニンジャ…というわけではないようです。「大仕事を成し終えた、さあこれからも忍耐して頑張るぞ!」とキアイを入れたら産まれた神であるとも、本居宣長曰く「禊祓の場面で出すべき神を先に出してしまった」ともいいます。キアイが入りすぎたのでしょうか。
続いて石土毘古神・石巣比売神、大戸日別神、天之吹上男神、大屋毘古神、風木津別之忍男神という神々が産まれます。これらは礎石・門戸・屋根・家屋などを表し、家屋の守護神「家宅六神」と神道上は呼ばれます。両神が柱の周りに建てた家を守るために生み出したのかも知れません。最後のはよくわかりませんが、屋根裏に潜んでいるニンジャでなければ屋根が風に耐えることをいうのでしょうか。このうち大屋毘古神だけが後で出てきます。
続いて海(ワダ)の神・大綿津見(オオワダツミ)神が産まれます。海そのものは既に存在するため、それを司る偉大な神霊(ミ)です。彼は子沢山であり、後に天孫の子孫へ娘を嫁がせ、神武天皇を産ませました。阿曇(アヅミ)氏を始めとするいくつかの重要氏族の祖神でもあります。さらに水戸(港)の神である速秋津日子神・妹速秋津比売神も産まれ、この夫婦神から四対八柱の水神が産まれています。『日本書紀』本文ではイザナギ・イザナミ両神がシンプルに「海、川、山、木祖、草祖を産んだ」とし、家宅六神らは省いています。
ギリシア神話でも天地両神の最初の子がオケアノス(海洋)であり、他の河川は彼と妹神テテュスから生じました。エジプト神話の神ヌン、アッカド神話のアプスーとティアマトのように、海神が全ての神々を産み出したとする神話もありますが、日本神話ではそうではありません。
さらに風(しな)の神である志那都比古(シナツヒコ)神が産まれました。『日本書紀』本文では省かれますが、一書によるとイザナギが大八島国を覆う朝霧を吹き払ったら風神シナトベ(シナツヒコ)が産まれたといい、奈良県の龍田大社に祀られています。その南の廣瀬大社では大忌神(水神)が祀られており、天武・持統朝で盛んに祀られた記録があります。
次に木の神である久久能智(ククノチ)神、山の神である大山津見(オオヤマツミ)神、野の神である鹿屋野比売(カヤノヒメ、草野姫)神が産まれました。カヤノヒメはノヅチ(野の精霊)ともいい、オオヤマツミとの間に四対八柱の野山の神々を儲けました。各々は土、霧、闇、惑など怪しげな名を持ち、野山に棲まう妖怪的存在を表すものと思われます。オオヤマツミは他にも多くの子を持ち、天孫に娘らを嫁がせています。
次生海、次生川、次生山、次生木祖句句廼馳、次生草祖草野姬、亦名野槌。(日本書紀・本文)
『古事記』では、これに続いて鳥之石楠船(とりのいわくすふね)神、別名を天鳥船(アメノトリフネ)という船の神が産まれ、さらに大宜都比賣(オオゲツヒメ)神という食物の女神が産まれたといいます。それぞれは後で出て来ますので、その時に解説しましょう。
『日本書紀』一書ではヒルコが産まれた後に三年立っても足が立たず、鳥磐櫲樟橡船(とりのいわくすふね)を生んでヒルコを載せ、これを海の彼方へ流したとしています。ただ日本書紀の本文・一書・古事記では神々の産まれた順序が各々だいぶ異なり、様々な異説があったようです。
イザナミの死
順調に国と神を産み出して来た両神でしたが、次に重大インシデントが生じます。火の神であるカグツチ(輝く精霊)を産んだ時、イザナミの陰部(ほと)が焼かれて大ダメージを受けたのです。
次生火之夜藝速男神、亦名謂火之炫毘古神、亦名謂火之迦具土神。因生此子、美蕃登見炙而病臥在。(古事記)
神なので即死はしませんでしたが、重傷を負ったイザナミは病気になりました。苦しむ彼女の吐瀉物(たぐり)から金属の神であるカナヤマヒコ・カナヤマヒメが、屎(くそ)から埴土(はにつち)の神であるハニヤスヒコ・ハニヤスヒメが、尿(ゆまり)から水の神ミヅハノメらが生じました。伊勢外宮の祭神トヨウケヒメの親ワクムスビもこの時に生じています。
海・川・山・木・草と自然物が生じた後に火が発生したのですから、これは火山噴火の様子を表すというのが有力な説です。吐瀉物から金属が生じたというのは熔けた金属が流れ出る様、糞尿は溶岩や土石流や温泉というわけです。産まれた順番を見れば草木の次に火ですから、五行でいうと木生火になりますが、火の次は金で火剋金、続いて土、水となっていて五行相生になりません。『日本書紀』本文ではカグツチの話は省かれ、一書に異説として並べられています。ワクムスビはカグツチと埴山姫の子ともいい、蚕や五穀がその体から生じたといいますから、焼畑農法を表すのでしょうか。
こうして懊悩煩悶した末に、イザナミは「神避る」、すなわち死んでしまいました。原初の母神が火を産み、それが死をもたらしたのです。古来日本語では死を意味する単語がなく(禁忌とされ)、「去る」「旅立つ」といった婉曲的な表現が用いられました(死は漢字・漢音です)。
嘆き悲しんだイザナギは「愛しい我が妻を、子の一木(ひとつぎ、一匹)に替えてしまった」といい、遺体の枕元や足元にはらばって哭泣しました。するとその涙からナキサワメの神が生じました。これは天香久山の麓に鎮座するとあり、橿原市の畝尾都多本神社に祀られています。喪儀の時に哭泣する役目の女性「泣き女」を神格化したものでしょう。
イザナミの遺体は「出雲国と伯耆国の境である比婆山(ひばやま)に葬られた」と古事記に書かれています。現在広島県庄原市北部に比婆山がありますが、出雲国(島根県東部)と伯耆国(鳥取県西部)の県境に近いものの、境ではありません。それで江戸時代には島根県安来市伯太町の比婆山久米神社が埋葬地とみなされましたが、定かではありません。イザナミが出雲に埋葬されたのは、後にスサノオが出雲へ降る伏線と思われます。
『日本書紀』一書では「紀伊国の熊野の有馬村に葬られた」とし、人々が花を供えて祀ったことから「花の窟」と呼ばれたとあります。実際この地には海に面した立派な磐座(いわくら)があり、洞窟があります。なお『日本書紀』本文には、イザナミの死の話自体がありません。
埋葬を済ませた後、イザナギは十拳剣(拳を横に十個並べた長さの剣)を抜き払うと、我が子カグツチの首を刎ねました。いかに我が子とはいえ、自分の妻を殺したことは許せなかったのです。その血液が剣の先端から神聖な岩石(ユツノイワムラ)に滴り落ちると、イワサク・ネサク・イワツツノヲの三神が生じ、剣の根本より岩に滴った血からはミカハヤヒ・ヒハヤビ・タケミカヅチの三神が、イザナギの手より滴った血からはクラオカミ・クラミヅハという水の女神たちが生じました。さらにカグツチの死体からは八柱のヤマツミ(山の神)が生じたといいます。
カグツチが火山とすると、血液は溶岩です。噴火に伴って火山雷が生じ、温泉が湧き出したり火山灰を含んだ雨が降ったりしたでしょう。『日本書紀』一書では「カグツチの血が石や草木についたので、これらから火が発生するようになった」としています。
十拳剣がどこから出現したか記されていませんが(創造神だから瞬時に産んだのでしょうか)、カグツチを斬ったこの剣は「アメノオハバリ」と名付けられ、意志を持つ神として後に現れます。タケミカヅチは彼の子とされ、高天原に昇り、後に天降って地上の神々を平定することになります。
黄泉国
さて、イザナギは愛する妻を現世に呼び戻すため、黄泉国(よみのくに、よもつくに)へ赴きます。そこがいつ出来たのかはさっぱりわかりません。「ヨミ」「ヨモ」という倭語は「夜見」とも当て字し、おそらくは「闇(やみ)」と同じ語源です。死者が赴く地底世界、暗闇の世界です。
黄泉(こうせん)とは漢語で冥土、地の底の死者の世界を指します。黄河流域ですから地下深く掘れば黄色く濁った水が湧くので、地中(五行で黄は土です)に埋葬される死者の世界は黄泉の下にあると考えられました。『春秋左氏伝』等によると紀元前722年、春秋時代初期の鄭国の君主・荘公に対して弟の段が反乱を起こしました。これは段を溺愛する母の武姜の仕業だったため、荘公は母を恨み「黄泉の下でなければ再会しませぬ」と言いました。しかし後で悔いたため、ある賢者の入れ知恵で地下水が湧くまで深い穴を掘り、その穴の中で母に再会したといいます。
イザナギが大地を掘ったのか、イザナミの墓所(横穴式墳墓)に足を踏み入れたのか知りませんが(『日本書紀』一書では「殯斂之處」、遺体を安置していた場所とします)、ともかく彼はそこへ行き、黄泉国の宮殿の閉ざされた戸の前までやってきました。そして「愛しい我が妹(妻)よ、私とお前の国造りはまだ終わっていない。帰ろう」と呼ばわります。
するとイザナミは戸の向こうから答えて言います。「惜しいこと。もう少し早く来ておられたら。私は黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)してしまいました。けれど、貴方が来てくださったのは畏れ多いことです。私は現世へ帰還するため、黄泉の神と相談してみましょう。どうか私を見ないで下さいね」と。
戸喫は竈食とも書き、同じ竈(かまど)で焚いた飯を食う(喫)ことです。古今東西で「同じ釜の飯を食う」「その土地の食物を口にする」のは、その共同体に所属する儀式であり、あの世の食物を食べてしまえば現世に戻ることはできません。ギリシア神話によると、冥府の神ハデスは大地母神デメテルの娘ペルセポネを誘拐し、妃としました。怒ったデメテルは姿を隠したので、地上は大飢饉に見舞われ、ゼウスはやむなくヘルメスを冥府へ遣わしてペルセポネを戻すよう伝えました。この時ハデスは彼女にザクロの粒を少し食べさせていたので、デメテルとの交渉の末に一年の三分の一だけ冥府へとどまることを赦してもらいました。これが冬であり、娘がいない期間は地上に作物が実らなくなったのだといいます。イシュタルやオルペウスなど、類似の冥界降りの話は世界中にあります。
イザナギは戸の前でじっと待っていましたが、ついに待ちきれなくなり、戸を開けて中に入ります。そして左の角髪に挿していた櫛の歯を一本折って火を灯し、中を照らして見たところ、「宇士多加禮許呂呂岐弖(うじたかれ・ころろぎて)」…イザナミの遺体に蛆が湧いて、ゴロゴロと音を立てていました。蛆が音を立てるわけもありませんが、その体中には八柱の雷神がわだかまっており、それが雷のような音を立てていたのです。
雄略天皇が三輪山の神を見たいと言って捕まえてこさせると、それは目を稲妻のように輝かせた大蛇でした。この雷神たちも大蛇かと思われます。また『日本書紀』一書では「脹滿太高」、死体が腐敗して大きく膨張していたと記されています。コワイ!
黄泉醜女
恐怖したイザナギはとっさに逃げ出しますが、イザナミの遺体は動き出し、「私に恥をかかせたな!(令見辱吾)」と叫びます。そしてヨモツシコメ(黄泉醜女、あの世の醜い/強い女)たちを遣わしてイザナギを追わせました。おそらくイザナミと同じようにアンデッドめいた鬼女です。ギリシア神話のオルペウスは「見るなのタブー」を破ったため妻が復活できなくなっただけで済みましたが、日本では鬼女が直接ブッ殺しにやってきます(オルペウスも狂った女たちに八つ裂きにされましたが)。
イザナギは必死で逃げながら、角髪を結んでいた黒い植物の蔓(くろみかずら)を取って背後へ投げつけると、蒲子(えびかずら)が生えました。これは山葡萄です。古語で「えび」と呼ばれました(海老とは無関係)。
ヤマブドウは日本列島に古来自生しており、その樹皮は鞣して編み籠などに利用されてきました。アイヌは儀礼用の冠や靴をヤマブドウの樹皮で造ったといいます。イザナギはその蔓を髪に巻いていたのでしょう。ヨモツシコメたちはヤマブドウに飛びつき、イザナギは距離を稼ぎます。しかしたちまちヤマブドウを食い尽くしたヨモツシコメたちは、さらに追ってきます。
イザナギはさっきの櫛の歯をボキボキと折り、背後へ投げつけます。するとたちまち笋(たかむな)、すなわちタケノコが生えました。
日本に孟宗竹が伝わったのは平安初期とも鎌倉時代ともいいますから、古事記や日本書紀の編纂された時代にはありませんが、竹自体は魏志倭人伝にも存在が明記されており、古くからタケノコが食用にされてきたはずです。ヨモツシコメたちは学習せずにタケノコの群れに飛びつき、引っこ抜いて生でバリバリかじり始めました。イザナギはこの間に距離を稼ぎます。
黄泉比良坂
イザナミはこれを神通力で察知したのか、八柱の雷神たちに千五百(ちいほ、多数)のヨモツイクサ(黄泉軍)を添えて追撃させます。捕まれば命はありません。イザナギは十拳剣を抜いて後ろ手に振り回し、現世と黄泉の境である黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)へたどり着きます。平坂とも書きますが平坦なわけではなく、崖を古語でピラと言い、険しい崖のような坂です。
イザナギが坂の麓を見ると、桃の木が生えており、実がなっています。そこで桃の実を三つ採り、雷神たちや黄泉軍に投げつけると、恐れて全て逃げ去りました。イザナギは桃の実に感謝して「お前は私を助けてくれた。葦原中国の現世の青人草(人民)が苦しみ患っている時にも助けてやってくれ」と告げ、オオカムヅミ(大いなる神の実/霊威)と名付けました。
桃は原産地であるチャイナにおいても神聖な樹木・果実とされ、邪気や鬼(悪霊)を祓うとされました。後漢の『論衡』に引く『山海経』にはこうあります。
滄海之中、有度朔之山。上有大桃木、其屈蟠三千里、其枝間東北曰鬼門、萬鬼所出入也。上有二神人、一曰神荼、一曰郁壘、主閱領萬鬼。惡害之鬼、執以葦索而以食虎。於是黃帝乃作禮以時驅之、立大桃人、門戶畫神荼、郁壘與虎、懸葦索以御凶魅。(論衡・訂鬼篇)
大海原の中に山があり、巨大な桃の木があって、根や枝は三千里の広さを覆っています。その枝は東北に隙間があって鬼門といい、あらゆる鬼が出入りするところですが、そこに2人の神人があって鬼を見張っています。鬼が悪事をなせば捕縛し、虎に食わせるのです。黄帝は彼らを模して桃の木で像を造り、門戸に神人たちと虎を描き、縄をぶら下げて鬼が入るのを防いだといいます。これを「門神」といいます。唐代以後は仏教の護法神や伝説的な武将に代わり、桃の木の像は仁王像や武神像になりました。
桃が鬼を祓う、というのはこのことから来ています。イザナギが桃を祝福して人民を苦患から助けよ、と言ったのもこれに由来するのでしょう。道教でも桃の木で剣や弓を造り邪気を祓う呪物としますが、節分の豆ではあるまいし、桃の実を直接投げつけて鬼を祓ったりはしません。
日本列島では縄文時代前期の長崎県で桃の種が出土しており、弥生時代後期にチャイナから栽培種が伝わって普及しました。3世紀前半の纒向遺跡では大量の桃の種が出土しており、なんらかの儀式に用いられていたようです。銅鏡にも神仙の像があるのですから、桃に関する文化もチャイナから伝来していて不思議はありません。
千引石
こうして黄泉の軍勢を撃退したイザナギでしたが、最後にイザナミが自ら追いかけてきました。もちろんイザナギと共に地上へ還るためではなく、イザナギを捕まえて黄泉国へ永遠に繋ぎ止めるためでしょう。恐るべきアンデッド・クイーンは神通力によってか凄まじい速度で追いつきますが、既にイザナギは黄泉比良坂の外へ出ています。
イザナギは彼女が現世へ出てこないよう、千人が引いて動かすほどの巨大な岩(千引石/ちびきのいわ)を引いてきて、黄泉比良坂を塞ぎました。両神はこの岩を間に置いて立ち、「事戸を渡す」すなわち離縁をしました。互いの間に戸を立て渡し、事・言を分けることをそういいます。
怒り狂ったイザナミは「愛しき我が兄(夫)よ!このようになさるのなら、あなたの国の人草(人民)を、一日に千頭くびり殺しましょうぞ!」と恐ろしい誓いを立てますが、イザナギはこれに対して「愛しき我が妹(妻)よ。お前がそうするなら、私は一日に千五百の産屋を立ててやろう」と言い返します。こうして地上では一日に千人が必ず死に、千五百人が必ず生まれるようになって、人口が増え続けることになったといいます。あいにく現代日本は人口減少に転じましたが、世界人口は相変わらず増え続けています。
こうして、イザナミは黄泉国を支配する「黄泉津(よもつ)大神」と呼ばれるようになり、またイザナギを追いかけて来たことから「道敷(ちしきの)大神」と呼ばれ、(あの世への)道路を司る神となりました。また黄泉比良坂を塞いだ岩は「道反(ちがえしの)大神」「塞坐黄泉戸(さやります・よみどの)大神」と呼ばれ、いわゆる「塞の神」となりました。
このことがあった黄泉比良坂は、出雲国の伊賦夜(いふや)坂であると書かれています。今の島根県松江市東出雲町の揖夜(いや)神社には、まさに黄泉比良坂であるという場所が存在しています。
またしても出雲です。「いや」とは「いふや」のつづまった語で、熊野(くまの)も音読みすれば「ゆう・や」、すなわち「いふや」です(「いや」と書いて変換すると「熊野」も予測変換に出てきます)。これは「言ふや」の意で、両神が岩を挟んで言い合ったことを表すとも解釈できます。
呪的逃走
ところで、『日本書紀』本文にはイザナミの死の話がなく、従ってこの黄泉国下りの話もありません。しかしあまりに面白いため、一書に異説として収録されています。特に第六の一書は古事記そっくりです。
ただしところどころ変わっており、ヨモツシコメが八人だとか(「多い」という意味でしょう)、最後の桃の実の部分や雷神・黄泉軍の部分が省かれていたり、桃の実を投げる代わりに「大樹の下に放尿したら巨大な川となり、ヨモツシコメが渡る間に逃げた」としたりしています。このような「後ろに3つの物を投げて追跡をかわす」話を「呪的逃走」といい、青森県等の民話「三枚のお札」やグリム童話「水の魔女」など世界中に見られます。
分布範囲は欧州・コーカサス・北アジア(シベリア)・カムチャツカ・北米と北半球北部に多いようで、そのようなルートを通って古い時代に伝来したのかも知れません。特に「石・櫛・水」が多くの類話に共通しており、イザナギも蔓や桃はさておき、櫛と尿(川)と石(千引石)を用いています。順序や物品は入れ替わることもあり、異説が多かったのでしょう。
蔓は髪の毛につけていますから、櫛の類と言えなくもありません。桃の実はチャイナの影響で最後に付け加わり、投擲武器になったものと思われます。また蔓と櫛(と尿)はヨモツシコメの足止め、桃は雷神や黄泉軍の撃退、石はイザナミとの間を隔てるために用いられ、大きく3つのパートに分けられています。……まあ、これぐらいにしておきましょう。とにかくイザナギは黄泉国から帰還し、現世とオヒガンの間に境を置いたのです。
ところで『日本書紀』一書によると、両神が離縁してイザナギが悲しんでいる時、泉守道者(よもつ・みちもりひと)という謎の存在が出現し、イザナミからの伝言を告げました。いわく「私は既に国を産み終えました。なぜこれ以上産むことを求めるのですか。私はこの国に留まります。貴方と共に行くことは出来ません」。またこの時、菊理媛(くくりひめ)神が何事かを申し上げると、イザナギはこれを聞いて褒めた、といいます。何者でしょう。
◆呪◆
◆術◆
【続く】
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