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【つの版】日本刀備忘録25:酒天童子
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
南北朝時代から室町時代にかけて、有名な大江山の鬼「酒呑童子」退治の物語が成立し、絵巻物が作成され、謡曲が作られて演じられました。歴史を追うのはさておき、今回からは刀剣と鬼退治の関連について見ていきます。
◆鬼◆
◆丸◆
絵詞伝来
いわゆる「酒呑童子」の物語には複数のバリエーションがあり、最も古い稿本とされるのが『大江山絵詞』です。『大江山酒天童子絵巻』ともいい、下総国香取郡(千葉県香取市)の香取神宮の大宮司家が所蔵していたため「香取本」と呼ばれます。明治20年(1887年)に松浦伯爵家に売却され、昭和13年(1938年)に実業家の小林一三(阪急電鉄等の創業者、雅号は逸翁)が購入し、現在は大阪府池田市の逸翁美術館に所蔵されているため「逸翁本」とも呼ばれます(旧国宝、現重要文化財)。
現在は絵巻上下巻、詞書(文章)1巻に編纂されており、何箇所かは欠落していて順序の取り違えも見られ、祖本とされる陽明文庫所蔵の『酒天童子物語絵詞』によって(これも欠損がありますが)ある程度補うことができます。成立年代は定かでありませんが、南北朝時代から室町時代初期、足利義満の時代までに徐々に作成されたと推定され、『徒然草』で有名な兼好法師(1286頃-1352以後)の作であるとも伝わります。
いずれも鬼の名は「酒天童子」で、まだ「酒呑童子」ではありません。伝本によって朱天・酒伝・酒顛・酒典など表記揺れがありますが、「しゅてんどうじ」と読むことでは一致しています。実は酒呑童子で統一されたのは後の世のことなのです。ここでは「酒天童子」としておき、ざっくりと内容を見ていきましょう。香取本の絵巻上巻は10、下巻は9つ、詞書は4つの段(シーン)に分かれており、陽明文庫版と比較整理すると次のようになります。
大江鬼王
第66代の天子・一条天皇(在位986-1011年)の正暦年間(990-995年)、都の内外で貴賤男女を問わず大勢が姿を消す事件が相次ぎました。人々は驚いて嘆き悲しみ、「天魔(仏法を妨げる魔物)のしわざだ」と噂したので、朝廷は諸々の寺社に命じて祈祷を行わせましたが効果はありませんでした。
そこで陰陽師の安倍晴明が召されて占うと、「帝都の西北に大江山という山があり、そこに棲む鬼王のしわざです」とのことです。公卿たちは集まって対応策を協議した末、「国家には文武両道あり、政務を行うのは文の道、諸国の乱逆を討ち鎮めるのは武の道である。速やかに平致頼・源頼信・平維衡・藤原保昌ら4人の武士に討伐を命じるべし」と決まりました。いずれも当時の有力な武者で、藤原道長の四天王と呼ばれた者たちです。
しかし彼らは「弓箭の道は朝敵を平らげんがためで辞退はしませんが、相手は姿の見えぬ天魔、声の聴こえぬ鬼神ゆえ、人力で合戦することは難しいことです」と答えます。しかし中納言である閑院の左大将実躬卿(藤原公季か)は「妖怪変化の者といえど、王土(国内)にいるなら天気(天子の御意向)に従うべきだ」といい、摂津守の源頼光、丹後守の藤原保昌の2名を大江山の鬼王の討伐隊長に指名しました。頼光は頼信の兄で、同じく藤原道長に仕えた武者であり、摂津源氏の祖にあたります。
2人はやむなく承諾し、頼光は八幡三所・日吉山王、保昌は熊野三所・住吉明神と各地の寺社に参詣し、幣帛を捧げて加護を祈ります。朝廷は彼らを将軍として近国の武士数万騎を率いさせようとしますが、頼光は「朝敵を討伐するには必ずしも大勢である必要はなく、死ねば彼らの妻子が悲しむ」と言って軍を留め置き、渡辺綱・坂田公時・碓井貞通(貞光)・卜部季武ら4人の郎党のみを従えます。保昌も大宰少監のみを伴いました。
鬼城探索
長徳元年(995年)11月1日、わずか7人の鬼王討伐隊は甲冑を纏い馬に乗って帝都を出発し、大江山に向かいます。一行は鬼王の根城を求めて山や谷を何日も探し回りますが、それらしき姿も見えません。諦めずに探し続けていると、ある山の祠で怪しいものを発見します。白髪の翁、年老いた山伏、老僧、若い僧らが1人ずつおり、酒や肴を並べ、柴を屋根とし唐櫃などを担いで人を待っている様子です。怪しんだ頼光らが気色ばむと、翁が進み出て肌脱ぎになり、「我らは鬼王に家族や仲間を取られ、鬼の城を探している者たちです。貴方がたをお待ちしておりました」と告げます。
頼光らはひとまず信じることとし、用意された酒や肴を口にします。翁は「その姿ではいけません。これに着替えなされ」と言って唐櫃から柿色の衣や袈裟、頭巾などを取り出し、山伏に変装させます。乗ってきた馬は馬丁に命じて連れ帰らせ、一行は笈(背負い箱)に甲冑や武器を仕舞って背負い、檜の杖を突いて山中に入ることになりました。
しばらく進むと、川で白髪の老婆が血のついた布を洗濯し、木の枝や岩の角に掛けて干しているところに出会います。一行は「化け物だ」と恐れますが、老婆は合掌して挨拶し、こう答えます。「私は鬼や化け物ではありません。生田の里の賤しい女で、鬼王に捕らわれて連れてこられたのです。不器量なので洗濯係に命じられ、はや200年余りが経過しました。どこからここへ来られたか知りませんが、ここは人間の里を離れた場所。道中に通られた岩穴から先は『鬼隠しの里』と申します。速やかにお帰りなさいませ」。
保昌が彼女に詳しく質問すると、老婆はこう教えます。「鬼王の城はこの上にあり、八足の門を立て、額に『酒天童子』と書かれています。鬼王は仮に童子の姿に変じ、酒を愛しております。城の中には国中から集めてきた女がおり、料理して食ってしまいます。ただ都の晴明という方が泰山府君を祭られるので、式神や護法が隙なく国土を守護し、人を攫うことができなくなりました。鬼王は怒って歯ぎしりし、笛を吹いて心を慰めております。
また不思議なことに、天台座主の慈恵大師(良源)さまの御弟子で、御堂の入道殿(藤原道長、ただし長徳元年にはまだ出家せず)の御子の幼児が鬼王に攫われて鉄石の籠に閉じ込められておりますが、その子が法華経を読誦しておられるため護法善神に守護され、鬼王も手出しができません。その読経の声は私のところにまで届き、かたじけなく思っております」。
酒天童子
彼女の言葉に従ってそこから少し歩いて登ると、確かに八足の大門があります。門や周囲は美しく立派で輝くばかり、四方の山は瑠璃の如く、地面は水晶の砂を撒いたよう。頼光が渡辺綱に命じて門の内に入らせ、声高らかに挨拶させると、「何者か」と答えて背丈が1丈(3メートル余)もある大男が御簾を掲げて現れます。姿は童子のごとく、練絹の小袖を纏い、手には笛を持ち、目つきも言葉も姿形も気高くゆゆしく、ただ者ではありません。
綱は少しも騒がず、「諸国修行の山伏一行、道に迷って辿り着きました。宿をお借りしたい」と申し出ます。童子は疑いもせず、女房をつけて奥へ案内させます。案内役はさめざめと泣き、綱に「私は土御門の内府宗成卿の三女で、あの鬼に攫われて来たのです。彼は少しでも気に食わぬことがあれば果物のように人を食ってしまいます」と告げますが、綱は平然とし、主君や仲間を門の中へ導き入れます。童子は美しい女房たちを侍らせ、大きな銀瓶に酒を入れ、金の鉢に何かの肉を盛り付け、山伏たちを歓迎します。そしてしばしの問答の後、童子は身の上を語りだしました。
「私は酒を深く愛する者ゆえ、眷属らには『酒天童子』の異名で呼ばれております。むかしは平野山(比良の山、比叡山)を重代の私領としておりましたが、伝教大師(最澄)という不思議な僧がこの山を取り、峰には(延暦寺の)根本中堂を建て、麓には七社の霊神を祀ろうとしました(延暦7年/西暦788年)。私は年来の住所を追い出されてはならじと楠木に化けて妨害し、切り倒されてもさらに大きな楠木に化けましたが、伝教大師が結界で封じて仏たちに祈念したので抗い難く、「住処を与え給え」と申し出ました。
そこで近江国かが山(滋賀県野洲市の鏡山か)の大師房の領を授かり移り住みましたが、桓武天皇の勅命により追い払われました。しばらくは風雲に乗じて浮遊し、怨念・悪心により国土に大風・旱魃をもたらして心を慰めておりましたが、仁明天皇の嘉祥2年(849年)の頃よりここ(大江山)に住み始めました。賢王の御代には仏神の加護があって国土が栄え、愚王の時には国土が衰えますが、今は賢王の御代ゆえ我らが通力も強くなるのです」。
そう言って童子は酒を勧めますが、頼光は「貴方は童子ゆえ、お先にどうぞ」と答えます。童子は笑って盃をとり、三盃を飲んでから頼光に酒を注ぎます。酒は生臭く異様でしたが、頼光は平然と飲み干し、保昌は飲む振りをして捨ててしまいます。すると翁は笈の中から筒を取り出し、「これは『山伏の死筒』と申す」と言って盃に中身を注ぎ、童子に強いて勧めました。
鬼王討伐
しばらくすると、眷属の鬼どもが容貌美麗な女房たちに変化し、山伏たちを誘惑しようとします。しかし保昌は言葉で、頼光は眼光で威圧し、鬼どもを退散させました。続いて鬼どもは風雲雷電を起こし、田楽を奏で百鬼夜行となって山伏たちを驚かせようとしますが、頼光は眼底より五色の光を放って鬼どもを逆に恐れさせ、退散させます。やがて日も没し、酒天童子は酔っ払い、奥に下がって寝室に入りました。今こそ討伐するチャンスです。
一行が邸宅の奥へ進むと、攫われてきた人々が部屋や籠の中に閉じ込められていますが、前に老婆が告げた通り一人の少年が法華経を読誦し、十羅刹女や十二神将、比叡山早尾権現(本地は不動明王)の化身の猿に守られています。翁から説明を受けた頼光らは「この翁も霊神の化現であろう」と喜びました。また南の方を見れば橘や姫百合などが咲いていましたが、大きな桶が多数設置され、血塗れの人間たちが鮨(なれずし)にされています。西には蘭や菊が咲き、震旦(チャイナ)の人や天竺人が多数幽閉されています。北には雪や松・菊があり、鬼どもが10余人おります。
酒天童子は奥の間の鉄石の室に入って寝転び、女房たちに体をマッサージさせながら寝ていましたが、扉はかたく閉じられ、開くことができません。そこで2人の僧が袈裟の下で印契を結び祈念すると、閉じた鉄石が朝露のようにかき消え、中に入ることができました。鬼王は昼は童子の形でしたが、夜は正体を顕し、身長は5丈(15m)、頭と胴体は赤、左足は黒、右手は黄色、右足は白、左手は青、目が15個で角が5本という恐ろしい姿となっています。しかし酔っ払って寝ているため殺すのは容易と見えました。武者たちは笈から太刀を取り出し、鬼王の首を刎ねようとします。
若僧は「打ち損じて起き上がれば一大事」と告げ、翁・山伏・老僧・若僧が鬼王の手足を抑え、7人の武者が首に斬りかかることにします。しかし目が醒めた鬼王は「麒麟無極はおらぬか、邪見極大はおらぬか。こいつらに謀られてこうなったぞ、敵を討て!」と大声で叫び、手下の鬼たちを呼び寄せます。駆けつけた2人の鬼たちはすでに(絵詞の欠落部分で)首を刎ねられていましたが、首のないまま起き上がって走り踊ります。7人が力を合わせて鬼王の首を刎ねると、首は天に飛び登って叫び回り、頼光の頭に食らいつこうとします。頼光は渡辺綱と坂田公時の兜を借りて自分の兜に重ね、鬼の牙を危うく防ぎ、彼らに鬼の両目をえぐらせて仕留めます。
両将凱旋
酒天童子が死ぬと眷属の鬼どもも逃げ散り、鬼王の通力で維持されていた隠れ里も現実世界と繋がります。一行は囚われた人々を解放して外へ出ようとしたところ、あの老婆が都の方を向いて倒れ伏していました。攫われてから200年余りが経過していたため(酒天童子が大江山に来る前に攫われたのでしょうか)、肉体に歳月がのしかかって死んでしまったのです。
翁らは一行を大江山の元の道まで送り届けると、暇を告げてこう述べました。「当今の帝は慈尊(弥勒)の下生、晴明と申すは龍樹菩薩の化身。頼光殿は五大尊のうち大威徳明王の化生ゆえ、悪魔を降伏し盗賊を追討すること世人に勝っております。従う4人は四天王の化身で、天下を哀れみ禁裏を守護し給うのです」。人々はこれを聞いて驚き、合掌して仏に感謝しました。保昌は特に何の化身とも言われませんでしたが、翁から白い浄衣を、山伏から柿色の衣を賜り、返礼に矢と太刀を奉ります。頼光は老僧から水精の念珠を、若僧から金の錫杖を賜り、兜と刀を奉りました(太刀・刀の詳細については、この絵詞では特に触れられません)。
頼光が彼らの名と住所を尋ねると、翁は「我は住吉の辺りの旧仁(住吉明神)なり」、山伏は「熊野山那智の辺りに侍る也、名をば雲滝と申す(熊野那智清瀧権現)」、老僧は「八幡の辺りに侍るが、摂津守殿へ御祈祷の為に参りたり(石清水八幡大菩薩)」、若僧は「延暦寺の辺りに住する沙門なり(日吉山王権現)」と答えて消え去りました。すなわち頼光・保昌らが出発前に祈念した寺社の霊神たちが加護していたのです。
かくて一行は大江山の麓に降り、使者を都に派遣して迎えを要請します。やがて話を聞きつけた都人たちは老若男女を問わず駆けつけ、攫われた親族と再会し、あるいは再会できずに嘆き悲しみました。2人の将軍は山伏半分武者半分の姿で鬼王の首を携えて都に凱旋しました。鬼の首は大内裏には汚れるからと入れませんでしたが、天皇・上皇・摂政・関白から下々に至るまで大路に出て観覧し「魔王・鬼神を平らげるとは、坂上田村麻呂・藤原利仁以来だ」と将軍たちを褒めそやします。
鬼の首は宇治の宝蔵へ納められ、御堂入道大相国(藤原道長)の上奏により、保昌は西夷大将軍に任じられて筑前国を、頼光は東夷大将軍に任じられて陸奥国を賜りました。頼光は感謝のため八幡宮へ参詣し、自分が授かった念珠が御影(神像)の持ち物であったと知って感涙します。また鬼王に囚われていた震旦や天竺の人々も両将軍を称え、筑紫の博多、(肥前の)神埼の津へ下って祖国へ帰り、彼らの功績を異国へ伝えたということです。
◆
まことに不思議な話ですが、なぜ400年近くも前の英雄譚がこの時代になって作られたのでしょうか。比叡山は平安京の東北、鬼門ですから鬼がいるのはわかりますが、なぜ都の西北の大江山に遷っていたのでしょうか。そもそも酒天童子とは、鬼とは何なのでしょうか。この物語を入口として、さらに深く分け入って行くことにしましょう。
◆鬼◆
◆滅◆
【続く】
◆
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