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【2024年オヒガン企画】オヒガンについて

 ドーモ、三宅つのです。これまでつのはニンジャスレイヤー世界におけるニンジャ伝承などについて考察して来ましたが、今回は謎めいた領域「オヒガン」について、我々の現実世界における「お彼岸」とかこつけて考察してみました。あまり整理されていませんが、ネタバレやNRSにご注意下さい。


オヒガンとは

"オヒガンとは、サンズ・リヴァーの先にある死後の世界や非物質的世界を表す日本語であり、アノヨとも呼ばれる。神聖なるオーボンの夜にはモータルの世界とオヒガンが繋がるとも言われる。"

トビゲリ・ヴァーサス・アムニジア】より

 ニンジャスレイヤー世界においては、オヒガンとはアノヨともいい、物理世界(現世)とは異なる位相に存在する非物質的世界の総称です。少なくとも数千年以上前から存在が知られ、一般には「死者の魂が往く場所」と考えられています。物理世界との間にはサンズ・リバー(三途の川)があるとされ、その彼方にあるので「彼岸ひがん」というのです。また現世とオヒガンの間には「7つの門」ないし「9つの門」があるともされ、死者の霊魂は小さな舟に乗ってサンズ・リバーを越えると信じられています。

 物理世界とオヒガンは、レイヤー状に一部が重なり合う形でリンクしており、時々現世からオヒガンへ迷い込む者もいます。深い夢や薬物酩酊状態の中でオヒガンにアクセスすることも可能で、シャーマンや預言者、芸術家などはこれによってインスピレーションを得、過去や未来を垣間見るのです。伝統的な「地獄」に酷似したネザーオヒガンと呼ばれる領域もあり、これは地獄に関する人類の集合的イメージが作り出したと考えられています。

 そしてニンジャとは、オヒガンとアクセスしてエテル(霊的な力)を現世に呼び込み、超常的なカラテやジツを振るう存在です。ニンジャの父祖である「ヌンジャ」ことカツ・ワンソーは、古代のニンジャ大戦でそのソウルをオヒガンの彼方に浮かぶ謎めいた黄金立方体「キンカク・テンプル」へ逃がし、以後死んだニンジャのソウルもそこへ赴くようになりました。残されたニンジャたちはカツ・ワンソーの復活を恐れ、あるいは期待しています。

 オヒガンと現世の繋がりの強さは、時代と場所により大きく異なります。平安時代以前、カツ・ワンソーが現世にいた時代は、オヒガンと現世の繋がりは非常に強く、ニンジャたちは濃密なエテルを用いて神話的なカラテやジツを振るいました。しかし時代を降るにつれてオヒガンと現世の繋がりは弱くなり、エテルは希薄化して、ニンジャたちはかつての神話的なパワーを失い、長い「立ち枯れの時代」を迎えることになります。

 ニンジャスレイヤー世界における「インターネット」とは、オヒガンの霊的ネットワークを利用したものであり、20世紀にUNIXが発明されるよりも前から魔術的なシステムとして存在しました。そしてY2K(2000年問題)で世界中のUNIXが爆発し、現世とオヒガンの繋がりは再び強くなり始めました。インターネットを利用するハッカーも極稀にオヒガンと接続し、超常の地平を垣間見ることがあります。これを「コトダマ空間」と呼びますが、これはオヒガンそのものではなく、Y2Kによって偶然生じた「IRCネットワークとオヒガンがオーバーラップした空間」のことです。かつては極稀にしか起きなかった、キンカク・テンプルから漏れ出たニンジャソウルが非ニンジャ(モータル)に憑依する現象も、Y2Kを境として加速度的に増加しています。

 我々の世界においても、死後の世界や仏教の悟りの境地のことを「彼岸」と呼びます。仏教ではブッダになるために行う修行を波羅蜜/波羅密多(パーリ語parami[最高の]、サンスクリット語paramita[最高/完全であること]の音写)といいますが、チャイナや日本に伝来した北伝仏教ではこれを「彼方(param)に行った(i-ta)」と解釈して「到彼岸」「度(渡)」と漢訳し、迷いの世界である此岸(現世)から悟りの世界である彼岸(涅槃/ニルヴァーナ)に到る修行法、あるいはそのような境地であるとしました。この場合、渡るべき川とは三途の川ではなく、煩悩を意味する暴流という川です。

 また現実世界の日本においては、「彼岸」は春分と秋分を中日とし、前後3日間を合わせた7日間を指す暦上の雑節でもあります。古くから仏教と結び付けられ、先祖供養の儀式「彼岸会」を行う時期とされますが、実はインドやチャイナなど諸外国では行われていない、日本独自の行事です。

 仏教行事としての彼岸会は、平安時代初期の延暦25年(806年)に始まります。平安京に遷都した桓武天皇は同母弟・早良親王怨霊の祟りを恐れ、全国の国分寺の僧侶に対して「毎年春分と秋分を中日とする7日間、『金剛般若波羅蜜多経(般若心経)』を転読して彼の怨念を鎮めよ」と命じました。なぜこの時期に行うかは定かでありませんが、「現世とあの世(彼岸)がこの頃に接近する」という古来の俗信が念頭にあったためではないかと推察はできます。

 ニンジャスレイヤーの作中では、しばしばオヒガンに関するイベントに際してまさに『般若心経』の末尾の真言の一部がペケロッパ・カルトらによって唱えられます。これは『行った、行った、皆行った、彼岸へ行った、悟りよ、幸あれ』と訳され得るもので、作中ではサンスクリットのgate(行った)と英語のgate(門)をかけています。

 しかしニンジャスレイヤー世界において、この暦上の「お彼岸」の行事が行われている描写は、今のところ見られません。あの世を指すオヒガンと紛らわしいため、オーボン(お盆)などと習合して忘れられたのでしょうか。エイプリルフールには作品外で毎年変な次元が生えてきたりはしますが。

 伝統的な和菓子「オハギ」はしばしば登場しますが、萩の花が咲く頃である秋のお彼岸に食べられるものとされ、春のお彼岸には同じものをボタモチ(牡丹餅)と呼びます(諸説ありますが)。作中ではオハギを依存性のある薬物として扱う描写もあり(依存性のないオハギもあるようですが)、オハギではありませんが薬物をオーバードーズしてオヒガンに接続することもありますから、ある意味「オヒガン」と関わりがあるとは言えますね。

 なおオハギは「搗いたことがわからない」ことから「つきしらず」の異名があり、転じて「夜舟」「北窓」とも呼ばれます。「夜のに着いたことを知られない」「北の窓にはが見えない」という隠語ですが、オヒガンに浮かぶ魂の舟や黄金立方体のことを想起すると意味深な呼び名です。古代のニンジャはオハギを食べてオヒガンに接続していたのかも知れません。

世界各地の春分に関する祭

 春分と秋分は昼と夜の長さがほぼ等しくなる頃ですから、古代から世界中で観測され、暦や宗教上でも重要視されてきました。古代チャイナでは春分と秋分に土地神()を祀り、豊作の祈願と収穫の感謝をそれぞれに行いました。これを「春祈秋報」「春社秋社」といい、日本ではその日を春分からずらして「社日」といいます。日本のお彼岸の起源はこれかも知れません。

 南アジア・東南アジアなどインド文化圏の暦は、伝統的に春分を新年元日とします。近代に西洋から太陽暦が導入された後も、この頃は旧正月として盛大に祝われます(チャイナ文化圏は立春正月でした)。

 ブッダが入滅した日(涅槃会)は、東アジアでは陰暦2月15日、すなわち立春を含む月の新月を元日として1ヶ月半後ですから、ほぼ春分の頃です。また偶然か意図的かは不明ですが、暦注の六曜ではこの日が必ず仏滅(物滅・空亡・虚亡)になります。南伝仏教ではインド暦の第2月であるヴァイシャーカ月の満月の日としますが、インドでは春分を元日とするため、その2ヶ月後の満月となると太陽暦で5月か6月(陰暦4月)です。インド暦をチャイナの暦に合わせる時に誤訳したのでしょう。また南伝仏教ではブッダの誕生・成道(悟りを開いてブッダに成った時)・入滅を同じ日に祝いますが、北伝仏教では誕生(灌仏会)を陰暦4月8日、成道会を陰暦2月8日(日本では陰暦12月8日)としています。いろいろな伝承があったのでしょう。

 西のイランでは、古来春分を新年元日(ノウルーズ/新しい日)として祝っています。これは中央アジアからトルコに到る広大なイラン文化圏で祝われており、イスラム教以前にペルシア帝国の国教であったゾロアスター教、あるいはそれ以前の土着宗教に由来すると考えられています。秋分の日は契約神ミスラ(ミフル)を祀る祝日「ミフラガーン」とされます。

 古代バビロニアでは、バビロンの主神マルドゥクを祀る新年祭アキトゥが春分の頃に祝われました。元来は大麦の収穫と芒種(麦秋)を祝う祭りで、のちにマルドゥク神が混沌の母神ティアマトを退治し、秩序ある世界を創造した神話と結び付けられました。中東の少数民族アッシリア人は20世紀中頃にこれを復活させ、民族アイデンティティの一つとして祝っています。

 ユダヤ教においては、ユダヤ暦の宗教的正月であるニサン(アビブ)の月の14日から1週間を「過越(ペサハ)/除酵(マッツォート)祭」として祝います。これは「春分の日の次の満月」にあたり、モーセが民を率いてエジプトから脱出した有名な伝説に由来するとされますが、もとは遊牧民が冬の宿営地から移動を開始する時期の祭りであったようです。

 聖書『ヨシュア記』によると、モーセの死後にイスラエル民族の指導者となったエフライム族のヨシュアは、神の命令を受けて祭司らに「契約の箱」を担がせ、エリコの街の近くでヨルダン川を東から西へ渡りました。時は「(麦の)刈り入れ時」「(ユダヤ暦の)正月の10日」にあたり、春の雪解け水でヨルダン川は増水して岸に溢れていましたが、神の力によって遥か上流でせき止められ、民はモーセに率いられて葦の海を渡った時と同じく、濡れることなく川底を歩いて渡りました。それからヨシュアたちはヨルダン川の対岸で12個の石を立てて契約の証とし、正月14日に過越祭を行いました。まさに「春のお彼岸」に川の彼岸へ渡り、約束の地へ入ったのです。この世とあの世の間に「川」が流れているという伝承も世界中にありますね。

 過越から7ヶ月後、秋分の日の次の満月には、秋の収穫祭である「仮庵の祭(スコット)」が催されます。その5日前には民の罪を清める「大贖罪日(ヨム・キプール)」が、15日前(新月)には秋の新年祭(ロシュ・ハシャナ)が催されます。神は天地創造の時にこの日を第1日と定めたとされ、ユダヤ暦では春と秋の2回新年を祝うことになるわけです。とはいえ、こうした神話や暦がユダヤ人の間で確立したのはバビロン捕囚以後のことらしく、バビロンの宗教儀式や暦を再解釈して取り入れたと考えられています。

 キリスト教では、ユダヤ教の過越祭の期間中にイエスが十字架につけられ、3日後に復活したとします。福音書にもそう書かれていますが、のち「イエスが復活したのは日曜日だ」と主張されたため、イエスは(ユダヤ暦ニサン月)13日の金曜日に十字架につけられて死に、14日の土曜日は安息日として墓の中で眠り、15日の日曜日に復活して墓から消え失せたとされました。それで復活祭(イースター/パスハ)はユダヤ教の過越祭が行われる「春分の日の次の満月」の次の日曜日と定められました。

 また、イエスは肉体を墓の中に残して死んでいる間、霊魂は地獄(黄泉/陰府/ハデス)に降って、そこに囚われていた義人(善男善女)を呼び起こし、彼らを天国へ昇らせたと信じられています。キリスト教ではキリストの教えを信じなかった者は地獄へ行くため、イエス・キリストが生まれる前に死んだ者はどれだけ善良でも地獄へ送られてしまうのですが、キリストはまさに「オヒガン」へ赴いて人々の霊魂を救済したわけです。

 この神話は、シュメル神話の女神イナンナの冥界降りと似ています。彼女は冥府を征服しようと企み、7つの門を潜って進みますが、冥府の女神エレシュキガルの玉座に座ったため罰を受けて死んでしまいます。イナンナの従者は神々に助けを求め、エンキという神が使者を派遣してイナンナに食物と水を与えて復活させます。しかし身代わりとして冥府に誰かが残る必要があったため、イナンナは監視役の死神を連れて現世に戻ります。すると彼女の愛人のドゥムジ(タンムズ)がイナンナの玉座に居座っており、怒ったイナンナは彼を身代わりに指名しました。

 のちに後悔したイナンナは、ドゥムジの姉ゲシュティンアンナが半年の間弟の身代わりになることを許します。このためドゥムジが冥界へ降っている間は暑く不毛なとなり、現世に戻るとがやってくると伝えられます。砂漠が広がる中東では夏こそ乾燥した死の季節で、冬には雨が降って涼しく過ごしやすくなるのです。そうでない地域では春と冬とされたのでしょう。

 バビロニアの暦では、夏至を含む新月から次の新月までを「タンムズの月」と呼び、タンムズの死を嘆く祭が行われました。ユダヤ暦でも春分正月から数えて第4月目を「タンムズ」といいます。

 同種の話は、フェニキアでは女神アナトと夫バアル、女神アフロディーテと愛人アドニス、フリュギアでは女神キュベレーと愛人アッティス、ギリシアでは地母神デメテルと娘ペルセポネー、詩人オルフェウスと妻エウリュディケーによるものが知られ、日本神話におけるイザナギとイザナミの話も有名です。根の国に降って妃を連れて現世に戻った大国主神といった例外もありますが、冥府降りは目的を果たせず、むなしく現世に戻ってくるという形になりがちです。しかしイエスはこれに成功し、復活したとされます。

 古代ローマの暦では、春分を含む月を軍神マルスに捧げてマルティリウスと呼び、正月(第1月)と定めていました。しかし紀元前153年に改暦され、マルティリウスの2つ前の月、ヤヌアリウス(門神ヤヌスの月)が正月とされます。従ってマルティリウスは第3月(英語March)となりました。これ以後の月名も2ヶ月ずれ、7月(September)が9月、8月(October)が10月、9月(November)が11月、10月(December)が12月になっています。

 ローマ暦はユダヤ暦と同じく太陰太陽暦でしたが、政治的理由で閏月を挿入したりしなかったりしたため混乱し、末期には1月が秋に来るなど奇妙な状態に陥りました。ユリウス・カエサルは紀元前49年1月10日にルビコン川を渡ってローマへ進軍し、反対派を打倒して独裁者になったのち、紀元前46年(ローマ建国紀元708年)に改暦を行います。彼はこの年に閏月を3回挿入して暦と季節を合わせ、翌年からエジプトの太陽暦に基づくユリウス暦に改めたのです。なお彼は紀元前44年の3月15日に暗殺されていますが、この日に彼が元老院議員を招いて会議を開き、3日後に東方へ遠征する予定だったため、反対派はこの日を決行日としたのです。過越祭とは少々ズレるかもですが、偶然にもおおよそ「春のお彼岸」の頃ですね。

古代エジプトとオヒガン

 古代エジプトの暦では、毎年農地に水と肥沃な栄養をもたらすナイル川の増水が新年の始まりとされていました。これは7月下旬(古くは夏至の頃)に始まり、日の出の直前にシリウス星(ソプデト)が地平線に出現する頃と一致したといいます。とすると春分正月ではありませんが、太陽神を崇めていた古代エジプト文明では天文学が発達しており、ピラミッドや神殿も春分や冬至に日光が差すよう建築されているともいいます。

 また、太陽が東から昇って西へ沈むことから、古代エジプトでは西が死後の世界とみなされ、ピラミッドや墓所はみなナイル川の西に築かれました。まさしくナイル川の「オヒガン」です。

 ナイル川、あるいはその増水は神格化され、ハピと呼ばれました。この神は原初の水の神ヌンと同一視されることもあります。そしてヌンは、ニンジャスレイヤー世界においては、ニンジャの父祖である「ヌンジャ」カツ・ワンソーと同一視されます。カツ・ワンソーは「デウカリオンの大洪水」と同時期に生まれたともいいますから、の要素と関係が深いのでしょうか。

 バビロニアの主神マルドゥクは原初の混沌の女神ティアマトを倒し、その死体を解体して世界を創造しましたが、ヌンは滅ぼされていません。ティアマトの夫にはアプスーという地底の淡水/深淵(Abyss)の神がおり、ヌンはこれにあたるのかも知れません。アプスーと同神ともされる前述の神エンキは、深淵の中に住み、魔術と生命を司り、大洪水から人類を救ったと伝えられます。彼はヌンジャ、あるいはそのアバターにあたりそうです。

「インタビュー・ウィズ・ニンジャ(68)」には、古代エジプト神話に隠されたニンジャ真実(あるいはボンド=サンの妄想)が記されています。それによると、アクエンアテン王の時代(紀元前14世紀)にアテン・ニンジャセト・ニンジャの争いが起こり、セトが敗北して一時失脚したといいます。アテンの陣営にはホルスやアヌビスが加わっており、セトはオシリスを暗殺した後とされ、時期的にはモーセの出エジプトより少し前、ニンジャ大戦の末期にあたります。史実においてアクエンアテンが争った相手はアメン神官団ですが、そうするとアメン神はセト・ニンジャに相当するのでしょうか。

 アメンは「隠れた者」を意味する謎めいた神で、不可視の存在である大気を意味するとされますが、「忍び隠れる者」とすればまさにニンジャです。後世にはギリシアの主神ゼウスと習合しました。彼はエジプト南部(上エジプト)のテーベで崇拝された地方神でしたが、テーベに勃興した王朝が北(下エジプト)に攻め寄せて征服し、上下エジプトを再統一したため、国家神として崇められました。セトは下エジプトの地方神で、アメンよりは格下ですが、兄オシリスとともに重要視されています。

 アクエンアテンの改革が失敗に終わったのち、アメン神は復権を果たし、ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)など王名にもアメンの名が再び現れます。彼が若死にした後、王位についたのは宰相でアメン大神官のアイ、将軍のホルエムヘブ、その宰相ラムセス1世、次いでラムセスの子セティでした。セティとは「セト神の君」を意味し、セトは軍神・国家神として復権したのです。このセティの子が有名なラムセス2世で、モーセの出エジプトはその次のメルエンプタハの時代に起きたと考えられています。

 とすると、モーセたちヘブル人はセトなどエジプトの神々を後ろ盾とするファラオに逆らい、エジプトを離脱したことになります。アテン一神教を奉じた神官団の残党だったのでしょうか。それとも「大いなる主」と呼ばれるカツ・ワンソーと何らかの関わりがあるのでしょうか。

???

 モーセの後継者としてヨルダン川を渡り「約束の地」に到達したヨシュアは、「ヌン(Nun)の子」と呼ばれています。ヘブライ語でヌン(nun)とは「」を意味しますが、ここまでくればエジプトの神ヌン、ひいてはヌンジャとの繋がりは明確でしょう。ヨシュアは「ヌンジャの子(弟子、あるいは化身/影)」であったのです。イエス(Jesus)はヘブライ名ヨシュア(ヤハウェは救い)をギリシア語化した名ですし、魚(ichtus)はキリスト教においてイエス・キリストの象徴とされています。

 また彼はヨシュアが渡ったとされるヨルダン川で洗礼を受けたのち、荒野で40日間断食し、悪魔の誘惑に打ち勝ったという伝説を持っています。この荒野こそは、出エジプト後にモーセやヨシュアたちが40年間彷徨った領域であり、神や悪魔が棲む超自然的な領域、オヒガンのことなのでしょう。

 従ってヌンはヌンジャであり、イエス/ヨシュアの父、つまりユダヤ・キリスト教の唯一神……ヤハウェのこととなります。キンカク・テンプルが『ヨハネの黙示録』にいう「新しいエルサレム」に相当することは以前学びました。前述のシュメル神話の神エンキはアッカド語ではエアと訳され、生命・泉・流れる水などを意味するといいますが、おそらくヤハウェと同じくカラテシャウトイヤーッ!」のことです。ヤハウェは古くはヤハ、ヤフ、ヤーと呼ばれていました。ヤハウェは「有りて在る者」の意味だと自称していますが、カラテとはエゴ(自我)ですから、カラテシャウト「イヤーッ!」とは「俺だ!」「俺はいるぞ!」と叫んでいるのに等しいわけです。イエスもヨハネ福音書で「エゴー・エイミ(俺だ)」と言っていますね。

西へ…

 ……しかし、疑問が残ります。前述のように、古代エジプトにおいてナイル川の東はこの世(此岸)であり、ナイル川の西があの世(彼岸)でした。モーセたちが脱出した方角は東です。ヨシュアがヨルダン川を渡った時は東から西へ渡りましたが、「約束の地」は彼らが征服して居住すべく神から与えられた土地で、現世に存在します。ならばナイル川の西には何があったのでしょうか。地図の上では砂漠が大西洋まで広がっており、何かありそうではありますが、神話上ではどうでしょうか。

 ギリシア神話によると、世界の西の果てには「ヘスペリデスの園」という楽園があり、ヘスペリデスという仙女たちが住んでいます。そしてこの園には「黄金の林檎」があり、大蛇ラードーンによって守られています。これこそ不和の女神エリスが投げ込んだトロイア戦争の火種であり、ニンジャスレイヤー世界においては「キンカク・テンプルを汚染して滅ぼす」ことができるという神話的レリックです。かつてヤマト・ニンジャはこれを探し求めてオヒガンに赴き、そして0101010101010101010101010101010101………

010101010◇010101010

 ……どうやら深入りしすぎたようです。歴史の闇に不用意に触れることは得策ではありませんから、今回はこのあたりにしておきましょう。

【以上です】

※この記事はフィクションです。実際のなんかとは関係ありません。

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三宅つの
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