【AZアーカイブ】ゼロの蛮人(バルバロイ)第三話
体勢を低くしたトラクスが、右手に血刃を構え、疾風の如く衛兵たちに突進する!
下から肩へ逆袈裟。横を向いて低く真横に、腹。起き上がりながら旋回し、前後の敵の脇腹と胸。立ち上がって真っ直ぐ、喉を一突き。一呼吸の間に、たちまち五人が斃される。楯も鎧も筋骨も、皮膚のようにたやすく切り裂かれる。
「あっぐ……」
包囲網がすぐに遠巻きになった。誰も死神の手にはかかりたくない。背中にルイズを背負い、荷物を抱えて、この立ち回り。もとよりトラクスは達人だったが、今はそれ以上だ。
「いひゃひゃひゃひゃ、すげーぜ相棒! 流石は『使い手』だねぇ、いい殺しぶりだ! 久しぶりの血と脂の感触は、心地良いねえええ!」
デルフが嘲笑う。マジナイ(魔法)がかかった剣だけに、錆びているのに刃こぼれ一つない。それどころか、血と脂とマジナイを吸うほどに錆が落ち、切れ味を増すのだ。恐るべき魔剣である。トラクスはそのまま無造作に、また二人ほど切り倒す。
「くそ! 動くな!」
生き残りの弓兵がトラクスを狙うが、すばしこくて当てようがない。味方も邪魔だ。しかし、半分以下に衛兵が減ったところで、新手が来た。
「応援が来たぞ!」
今度はさっきの倍はいる。武装も本格的だしマジナイ師(メイジ)もいる。物見櫓からも矢が放たれ、トラクスを狙う。たまらずトラクスは舌打ちし、踝を返すと、学院の中へ再び駆け戻っていく。
「追え!! 逃がすな!! 生け捕らんでいい、殺せ!! 人質も巻き込まれるが、この際仕方ない!」
マジナイは避けたり剣で吸ったりできるが、集中攻撃を食らうとやはりまずい。殺すだけなら百人相手でも行けそうだが、目的は殺戮ではなく脱走だ。
どこか、手薄なところを探さなくては。しかしこの格好は、今更ながら目立ちすぎる。
「けっ、もうちっとだったのによ! 俺様の刃があの門に触れりゃあ、魔法が解けて外へ出られたっつうのに」
デルフが悪態をつく。なんとも、便利な剣だ。楯にも頭脳にも鍵にもなってくれる。
楯と言えば、この背中の『主人』ルイズだ。背後からの攻撃の時、一番よく体が動く。『主人』を守らせるための、この烙印の効果か。なんとも、皮肉な事だ。
「向こうは《ヴェストリの広場》だ!」
「まずいぞ、急げ!!」
◆
《ヴェストリの広場》には、生徒や使用人たちが雑然と集められていた。状況はまだよく伝わっていない。せいぜい大きな動物が逃げ出した程度の認識だろう。タバサやキュルケもいた。そこへ、トラクスが凄い速さで駆け込んでくる。
「まて!! まて蛮人(バルバロイ)!!」
「わっ」「何?」
槍を持った衛兵たちが、必死でトラクスの後を追う。
生徒たちは突然の闖入者に驚くが、危険は把握し切れなかった。
その中の太っちょの少年――マリコルヌ、とか言ったか――の襟首をトラクスが引き寄せ、ドンと追っ手の前に突き出した。
「お? わひっ」
「え?」
衛兵の突き出した槍の穂先が、誤ってマリコルヌの鳩尾を突いた。
「うごっ」
その背後でトラクスが、マリコルヌの肩を踏み台にして、4メイル近い宙空まで跳躍した。空中で反転し、剣を振りかぶると、そのまま追っ手の背後へ飛び降りながら切りつける。
「ぎゃっ」
ついでに、隣にいたもう一人の衛兵の頚動脈を横薙ぎにする。これで犠牲者は二桁に達した。
「おのれァ!!」
弓兵が激昂し、人が大勢いるにも関わらずトラクスに矢を放つ。するとトラクスは無造作に、その辺にいた使用人の娘のうなじを左手で鷲掴みにし、振り向きざまに楯にした。
「わああ!!」
彼女の胸と顔に、各々矢が突き立つ。何が起きたかも分からぬまま、娘は目を見開いて気絶した。トラクスは、矢の刺さった娘を持ち上げて楯にしたまま、ダダッと弓兵に駆け寄り距離を詰めた。
「あわっ」「ひっ」
ぽい、と弓兵たちの横へ娘を投げ捨てるや、動きの止まった彼らを三人、一息になで斬りにする。蛮人らしい、非人道的な戦い方だった。
◆
《『王宮日誌 シャルロット私書録』より》
この時―――広場にいた誰も、すぐには事態を呑み込めずにいたが、やがてクモの子を散らすように四方八方へ逃げまどった。そのうちに広場中央が戦いの場となり、それを遠巻きに見守る人々……。
これを戦と呼んでいいものかどうか……周りを囲む衛兵たちに対し、敵は蛮人奴隷たった一人なのだ。しかしそれでも、彼・トラクスは、多勢を相手に互角以上の戦いを展開していた。
そんな中で私はというと、立ち回りのわりと近くで、ほとんど動かずに立っていた。いきなりの惨劇に足がすくんで、動けずにいた―――というなら、まだ十五歳の少女らしいのだが、実際はそうではない。
私はただその場につっ立ったまま……トラクスのあまりに鮮やかな剣さばきに、すっかり見とれてしまったのだ。
衛兵の数が、見る間に減ってゆく。しなやかなその動きは、まるで別の生き物のようでもあり……なのになぜか……どこかなつかしく、そう……舞でも舞ってるように軽やかで……
考えてみれば、ひどい話だ。血しぶきを上げ、次々と斬り倒されているのは、この学院を守る兵士たちなのに。
「ええい! 見ちゃいられない、行け『ワルキューレ』!」
ギーシュという同級生の少年が、魔法で作った青銅の女戦士・ワルキューレを創造してトラクスを攻撃させた! だがトラクスは、面倒くさそうにそっちを見やると、あっさり唐竹割りにしてしまう。続けてワルキューレを、合計七体まで繰り出すが、トラクスには全く通用しない。野菜や果物を切るかのように、ザクザクと破壊していくのだった。刃こぼれさえしていない。
だがギーシュは、破壊された青銅を『錬金』で油に変え、トラクスの手を濡らして剣をすっぽ抜けさせる。剣は飛んでいって、近くの衛兵の遺体の一つに突き刺さった。
「やった! 今だ!」
武器を落とした殺人鬼に、勇んだ衛兵が切りかかる。
しかしトラクスの右腰から、もう一本の武器である鉈のような蛮刀が鞘走る。一人、二人、三人。瞬時に衛兵たちは、腹や喉笛を裂かれて絶命する。
「がはっ」
「ひいい!! わはっ、わははっ」
ギーシュは腰を抜かし、錯乱して、無様に地面を這いずって逃げ出した。
血と脂と、内臓の中身の臭いが広場に満ちた。人々は嘔吐し、泣き叫び、失禁する。
「なんてこと!! あの蛮人、ルイズを背負って戦ってる! しかもルイズったら頭から血を流して、顔から胸から血塗れよ!? どういうこと!?」
キュルケが、やっと状況を把握する。小さめの『ファイアボール』を放って牽制するが、その魔法はトラクスが拾い上げた剣に吸い込まれてしまう。
「嘘ッ!? 何なのあれ? 魔剣!?」
「ぐひゃひゃひゃひゃッ! 娘っ子、てめーらの魔法は絶対に通用しねーよ! ぜえんぶ俺様が吸い取ってやるからなあァ!! あああ、いい気分だぜェボケメイジどもがァァ!」
インテリジェンス・ソード(知性のある剣)だ。これでは、まさしく『メイジ殺し』ではないか。しかし、これだけメイジがいるのだ。直接ヤツを叩く事は難しくても、協力して作戦を練れば……。
そう考えて杖を握った時、ズドン!! とトラクスの前後に『土の壁』が降ってきた。左右にも壁が落下し、たちまちトラクスは分厚く高い土壁の牢に閉じ込められる。 宙を見上げると、白髭の老人と若い女が、上空に浮かんでいた。オールド・オスマンとミス・ロングビルだ。
「皆、耳をふさげ! 『眠りの鐘』じゃ!」
オールド・オスマンは、ああ見えて何百歳も生きている伝説的な大メイジ。
その魔力で振るわれた『眠りの鐘』の催眠音波は、あやまたずトラクスを襲った。
◆
ガクリ、と膝が折れ、地面につく。あの年寄りのマジナイ師が『眠りの鐘』とやらを使ったせいだ。頭がクラクラして、立ち上がれない。デルフでも吸い込みきれない力の持ち主なのか。
アレスよ、ゼウスよ、ヘラクレスよ! 大いなるガイアよ! また、我が故郷の神々よ! 俺はまだ、『また』死にたくない。どうかここから救い出してくれ!
と、足元の地面が『流砂』に変わり、トラクスとルイズを荷物ごと地下へ吸い込む。まさか、冥土の神プルトンが招いているのか? 俺はやはり、タルタロス(地獄)逝きか?
そのままトラクスは、マジナイの眠りにかかり意識を失った…。
◆
惨劇の舞台となった《ヴェストリの広場》は、静寂を取り戻した。
衛兵たちは、ほぼ全滅だ。三十、いや、四十数人はいたはずだったが。
しかもきちんと武装した、一応手練の連中であった。
「やれやれ……まぁ、生徒・教師諸君に被害が少なかったのが、幾許かの救いじゃわい。ミス・ヴァリエールは、すぐ治療させねば公爵家に申し訳が立たんのう」
トッ、と上空にいた二人は地面に降り立ち、土牢に近づく。
だが、土壁は突然崩壊し、ミス・ロングビルを呑み込んでしまう!
「きゃああああああ!!」
「なっ!?」
土牢の中にはトラクスもルイズもいなかった。ミス・ロングビルも消えた。
「あ……悪魔だ……あいつは、悪魔だったんだ……!」
「か、彼女たちは、悪魔に連れ去られたに違いない! こ、こんなに人が殺された!!」
「そうだ! 『ゼロのルイズ』のせいだ! 全部、あいつらのもたらした災いだったんだ!」
恐慌状態だった広場には、誰からともなく非論理的な噂が飛び交った。
いや……『悪魔』か。案外、そうだったかも知れない。これで災いは終わったのだろうか?
教師の誘導の下、生徒たちは教室に移動し、今日と明日の授業は残らず中止となった。転がっている遺体の片付けも始まる。『遠見の鏡』が使われたが、トラクスもルイズもミス・ロングビルも見つからなかった。あの魔剣に魔法が吸収されているためとも考えられるが、確証はない。
◆
夕方。ふと、流れてくる血の臭いの中に、どこかへ『移動している』微かな臭いを感じた。何かに導かれるように、私は部屋を抜け出し、屋外へ出る。
私は……血の臭いをたどって、どうするつもりだったのだろう。救いを求めるケガ人がいるとでも思ったのか。あるいは怖いモノ見たさ、好奇心……。
その時の気持ちを、今となってはよく思い出せないが、しかし……この時こんな行動をとっていなければ、その後の私の人生は、かなり違ったものになっていただろう。
……平穏の日々は、消え去った。
「こっちだよ、蛮人(バルバロイ)さん。外に馬も用意してあるよ」
ミス・ロングビルが、学院の外壁に空いた抜け穴に、ルイズを背負ったトラクスを案内していた。