【つの版】日本刀備忘録28:刀剣鬼滅
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
平安時代の日本において、鬼は現世に災厄をもたらす悪霊として祓われる一方、法力や呪力によって使役される存在でもありました。物語や説話にも鬼の話が多く語られています。それぞれに興味深いのですが、武士が刀剣によって鬼退治をする話はいつ頃から現れ始めたのでしょうか。
◆刀剣◆
◆乱舞◆
刀剣鬼滅
刀剣がその威力や輝きによって鬼を打ち払う(辟邪)という考えは、古来世界中に存在します。東晋の葛洪が建武元年(317年)に著した『抱朴子』には「雌雄の銅剣を帯びていれば蛟龍・巨魚・水神・風波を避けられる」とあり、百済から倭国に贈られた七支刀には「百兵を辟く」云々との呪文が刻まれています。南朝梁の武帝に仕えた道士・陶弘景は『古今刀剣録』を著し、剣は「百邪を除き魑魅を去り、国を鎮め社稷を安んずる」ものと記していますし、唐の玄宗に仕えた道士・司馬承禎は『含象剣鑑図』を著して「剣面の表裏に北斗や雷電を刻めば鬼を収め邪を摧く」と説いています。北宋の文人・欧陽脩は前述のように『日本刀歌』で「身に帯びれば妖凶を払う」と歌っています。
剣が鬼を祓う話は、古事記や日本書紀にも書かれています。イザナミを産褥死させた火神カグツチはイザナギの剣によって殺されていますし、イザナギが黄泉国から現世に逃げ帰った時も、剣を後ろ手に振るって亡者(鬼)の群れを牽制しています。スサノオが八岐大蛇を斬ったのも剣ですし、高天原から降臨して葦原中国(地上)の邪神・邪鬼を平定したタケミカヅチやフツヌシは剣の神霊です。また神武天皇が熊野で悪神の放った毒気により倒れた時、タケミカヅチは自らの剣フツノミタマを授けて助けています。剣は単に武力を象徴するだけでなく、災いを祓う呪具でもあったのです。
しかし平安時代後期、1120年頃に成立した説話集『今昔物語集』には、武士が鬼を退治する話はまだ見えません。源頼光が狐を射た話、頼光と郎党が産女という妖怪に化かされた話はありますが、彼らが鬼退治をしたとは伝わっていませんし、酒天童子の名もありません。鬼が倒された話や鬼の襲撃を回避した話はあるものの、おおむね仏典の功徳や陰陽師の能力を喧伝する話です。ただ鬼が板に化けて人を殺した時、太刀を帯びた武者には危害を加えられなかった話や、家に入ってきた鬼を弓矢で射て撃退した話はありますから、武器によって鬼を退散させることは可能だと信じられていたようです。追儺を行う方相氏も、手に鉾と盾を持って鬼を祓う武官です。
平安時代には、弓に矢をつがえずに弦を引き、音を鳴らすことで邪気を祓う「鳴弦」という儀礼も行われました。天子や貴族に子が生まれた時や、何か良からぬことが起きた時に執り行われ、蔵人(天子の秘書官)が担当していましたが、のち武者が行うようになりました。平安時代の武者は治安維持や汚れ仕事を行う下級貴族やその家来であり、武力と武芸を有していたものの、穢れを祓うことはまだ僧侶や陰陽師の担当だったのでしょう。
鬼童丸譚
武士が刀剣で鬼退治をする話は、武士が権力を握った鎌倉時代以後に流布し始めます。建長6年(1254年)頃に成立した説話集『古今著聞集』には、源頼光が「鬼同丸(鬼童丸とも)」を退治した話が記載されています。
頼光が弟・頼信の家を訪ねた際、童が厩に繋がれているのを見て「あれは誰だ」と尋ねると、頼信は「鬼同丸です」と答えました。頼光は驚いて「危ないからもっと厳重に縛っておけ」と忠告したので、頼信は郎党に命じて鎖で縛らせました。鬼同丸はこれを知って頼光を恨み、深夜になるや縄と鎖を抜け出し、頼光の寝ている部屋の天井裏に忍び込んで、天井板ごと落下して殺そうと図ります。しかし頼光はこれを察知し、郎党の渡辺綱を呼んで「明日は鞍馬寺へ参詣するから寝ずの番をせよ」と命じたので、鬼同丸は天井裏から逃げ出し、鞍馬寺への道に潜むことにしました。
翌日、頼光が郎党を率いて鞍馬寺へ向かうと、野原に多数の牛がいます。綱が何事かを察知し、死んでいる牛の腹めがけて矢を放つと、そこから鬼同丸が飛び出し、打刀(歩兵用短刀)を抜いて頼光に飛びかかりました。頼光は太刀を抜いて彼の首を切り落としましたが、鬼同丸は首なしのまま鞍の前輪を打刀で突き刺し、首は馬の胸懸(胸から鞍へ架け渡す紐)に噛みつきました。鬼同丸はそのまま力尽きて死にましたが、人々は「死ぬまで武勇を振るったものだ」と語り伝えたといいます。
まことに恐ろしい話ですが、この鬼同丸は酒天童子のような超自然的な能力は持っていません。脱出可能とはいえ縄や鎖で捕縛でき、鉤爪や牙ではなく打刀で攻撃し、太刀で首を斬られて死ぬ程度の存在で、忍者めいた技術を持つ人間の盗賊かと思われます。童形であるのは成人しても烏帽子を被らぬ下層身分の異形異類であることを意味し、天井裏や牛の死体に隠れるなど神出鬼没な様からも「鬼に同じ」としてそう呼ばれたのでしょう。なにより『古今著聞集』には怪異・変化の話をまとめた巻もありますが、鬼同丸の話は「武勇」の巻に掲載されているのですから、怪異や変化とはみなされていないのです。しかし源頼光と渡辺綱らが鬼らしき童形の存在を退治するという筋書きは、のちの酒天童子伝説の原型となった可能性はあります。
宇治橋姫
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて成立した『源平盛衰記』剣巻には、前述のように渡辺綱が鬼女を刀剣によって退治する物語がようやく出現します。少し詳しく見てみましょう。
頼光の時、(酒天童子物語と同じく)人が突然姿を消す怪事件が多発し、天子から天下万民に至るまで驚き恐れぬことはありませんでした。詳しく調べたところ、これは「宇治の橋姫」という鬼女のしわざでした。頼光の時代から200年近く前の嵯峨天皇の御代(806-823年)に嫉妬深い女がおり、貴船明神に祈願して宇治川に浸かり、生きながら鬼と化しましたが、いまや男女見境なく人を襲っているというのです。やむなく人々は申の刻(日没頃)以後は門を閉じ、出ることも人を入れることもなくなりました。
しかしある夜、頼光は郎党の渡辺綱を一条大宮へ使者として遣わさざるを得ない用事があり、魔除けのために父・満仲が作らせた名刀「鬚切」を授けました。綱は馬に乗って無事目的地に到達し、一条堀川の戻橋を渡って帰ろうとしましたが、橋の東のたもとに20歳ばかりの美女が一人おり、南へ向かおうとしています。綱は怪しんで「五条まで送りましょう」と言い、美女を馬に乗せてともに進みます。ところが美女は途中で鬼となり、「我が行く処は愛宕山ぞ」と叫ぶや、綱の烏帽子を払って髻を掴み、北西へ向かって飛び去ろうとしました。綱が空中で鬚切の太刀を抜き、髻を掴んだ鬼の手を切り払うと、綱は北野天満宮の境内の廊下に落下し、鬼はそのまま愛宕山へ飛び去りました。
綱が鬼の手を頼光に見せて事情を話すと、頼光は仰天して陰陽師の安倍晴明を呼び相談します。晴明は「綱殿は7日間物忌し、鬼の手を封じ、仁王経を読誦して祈祷されよ」と告げたので、綱はそのようにします。しかし6日目に綱の養母を名乗る老婆が現れ、押し問答の末に家の中に招き入れると、彼女は鬼の正体を現し、自分の手を奪い返して逃げ去りました。綱は仁王経のおかげで無事でしたが、この一件により鬚切は「鬼切」ないし「鬼丸」と呼ばれるようになったといいます。
橋姫は本来は「橋の女神」で、道祖神のように橋や交通を守護する神でしたが、平安時代には嫉妬深い女神として恐れられ、鬼女とされたもののようです。また渡辺綱は武蔵国出身ですが、母方の里である摂津国渡辺津に住まい、京都と瀬戸内海を結ぶ淀川の物流を抑える有力武士団「渡辺党」を率いていました。彼が「橋姫」といざこざを起こしたというのは、こうした水運に関わる集団の対立関係を物語っているのかも知れません。
山蜘蛛怪
また『源平盛衰記』剣巻の続きによると、綱の鬼退治と同年の夏、頼光が瘧の病(間歇熱)にかかって苦しみました。発作が起きると頭痛がして悶絶し、逼迫すること30余日に及びましたが、ある夜中に少し落ち着き、寝床に横臥して燭台の火を眺めていました。すると灯火の影から身の丈7尺(2m余)もある法師がするすると現れ、頼光に縄を投げかけます。驚いた頼光はがばと跳ね起き、枕元に立て置かれた膝丸の太刀を抜いて斬りつけました。
騒ぎを聞きつけた郎党らが駆けつけて事情を聞くと、燭台の下に血がこぼれており、松明を灯して血痕を辿っていくと、北野天満宮の北にある大きな塚に到達しました。塚を掘り崩すと大きさ4尺(1.2m)もある山蜘蛛が潜んでいたので、頼光は「30余日も病に悩まされたのはこいつのしわざであったか」と悟り、蜘蛛を鉄の串に突き刺して河原に晒しました。これより膝丸の太刀は「蜘蛛切」と呼ばれるようになったといいます。
『古事記』や『日本書紀』、諸国の風土記などには「土蜘蛛(土雲、都知久母)」と呼ばれる異形の存在が記録されています。彼らは胴体が短く手足が長く、侏儒や蜘蛛に似ており、山野の洞窟に居住することからそう呼ばれますが、女首長と思われる個人名を持つ土蜘蛛もおり、天皇や朝廷の軍勢により退治されたまつろわぬ先住民たちであったようです。頼光を悩ました「山蜘蛛」もこのたぐい、あるいはその亡霊(鬼)なのでしょう。14世紀にはこの物語をもとにした絵巻物『土蜘蛛草紙』が作られ、のちに能や歌舞伎、浄瑠璃も作られました。土蜘蛛草紙ではさらに巨大で、大きさは20丈(60m)とも30丈(90m)ともいう大怪獣となっています。
彼らは「鬼」とは表記されないものの、広義の妖怪変化、鬼のたぐいであることには違いありません。神々や天皇、古代の将軍たちが邪鬼や土蜘蛛を退治して地上に秩序をもたらしたように、朝廷の権威と権力が衰えた鎌倉時代以後には、坂上田村麻呂や源頼光ら過去の人物にかこつけて、武士が邪鬼や土蜘蛛を退治するという新たな神話伝説が流布し始めたのです。
◆蜘◆
◆蛛◆
【続く】
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