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【つの版】ウマと人類史:中世編39・東方見聞04

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

 1275年にクビライに謁見したマルコ・ポーロは、17年間彼に仕え、様々な珍しい物事を見聞しました。特に有名なのが、東方の海の彼方にある島国、ジパングに関する事柄です。

◆日◆

◆本◆

黄金之国

『東方見聞録』には、クビライがジパング(Chipangu,Sypangu,Zipangu)という東の島国へ遠征軍を派遣したことが記されています。これは「日本国」を当時のチャイナ語で発音したもので、1308年に編纂された『蒙古字韻』と対応させると「日本国/zi bun quu」となるそうです。チパングと読むともいいますが、ここでは人口に膾炙している「ジパング」とします。

 ジパングは東方の海中にある島で、大陸から1500マイル(2400km余)離れている。そこは非常に素晴らしく、住民は色白で、文明化されており、好評を博している。彼らは偶像崇拝者で、どこにも属さぬ独立国である。
 彼らは無尽蔵に黄金を持っており、国王はその輸出を禁じている。大陸本土から遠く離れているため、この国を訪れる外国の商人も少ない。それゆえ彼らが所有する黄金は想像を絶するほどである。この島の支配者の宮殿は、我々の教会の屋根が鉛で覆われているように、上質の黄金で覆われている。宮殿内の道路も床も、石畳のように指2本の厚みがある黄金の板が敷き詰められており、窓も黄金でできている。全く想像を超えた豪華さなのだ。

 金閣寺(鹿苑寺舎利殿)が建立されるのは1398年頃ですから、マルコ・ポーロやクビライの時代にはまだありません。この時代に日本に存在した黄金の建造物といえば、1124年に奥州藤原氏が岩手県平泉町に建立した中尊寺金色堂があります。当時の奥州は莫大な黄金(砂金)が産出したことで知られており、平泉は奥州藤原氏の都として繁栄していました。その交易路は十三湊や蝦夷/アイヌを介し、遠く樺太やマンチュリアにも達したといいます。砂金はこうした国際貿易の決済に用いられた国際通貨でした。大元朝後期に編纂された『宋史』の日本伝にも「東の奥洲では黄金を産する」とあります。

 ただ、9世紀中頃にイスラム世界で編纂された地誌『諸道と諸国の書』によると、スィーン(チャイナ)の東方にシーラー(新羅)やワークワーク(倭国)という島国があり、黄金や黒檀を産出するといいます。遣唐使は国際通貨として砂金を持参しましたから、古くから倭国・日本国は黄金を産出する島国として世界的に知られていたようです。14世紀初めにフレグ・ウルスで編纂された『集史』のクビライ・カアン紀には「ジュールチャ(女真)とクーリー(高麗)の沿岸近くに大きな島があり、ジマングーという。(大陸から)400ファルサング(2000km)離れている」とあります。

 真珠も豊富にあり、バラ色で美しく、大きく丸くて、白い真珠と同様の値打ちがある。この島では、死者は土葬されることも火葬されることもあり、火葬の時は口の中に真珠を入れる習慣がある。その他の宝石も数多くある。

 日本は海に囲まれた島国であり、真珠は非常に古くから採取され、輸出されてきました。他に日本で産出する宝石というとヒスイなどがありますが、奈良時代以後はなぜかヒスイの採取・使用が行われていません。

日本遠征

 マルコ・ポーロは、クビライによる日本遠征についても記述しています。

 現在の大カアン・クビライは、この島に莫大な富があると聞いて、それを手に入れる計画を立てた。彼は二人の貴族に大艦隊と騎兵・歩兵を多数授けて送り込んだ。彼らは有能で勇敢な男であり、アバカン(アラハン)とヴォンサイチン(范宰相/范文虎)と言った。二人はザイトン(福建省泉州市)とキンサイ(行在、旧南宋の首都臨安/杭州)の港から出航し、ジパングの島に上陸すると、平坦な地方や村を占領した。しかし都市や城砦を占領することはできず、そうするうちに災害が彼らを襲ったのである。
 二人の貴族は仲が悪く、互いに助け合わなかった。たまたま北風が猛烈に激しく吹いて、この島の沿岸部に大損害を与えた。ここには港が少なく、大カアンの艦隊は避ける場所がなかったので、司令官は危険だと思い、全員乗船させて島を離れた。4マイル(約6km)も進まぬうちに嵐は激しくなり、艦隊の多くが互いに衝突して難破し、小さな島に上陸して避難した3万人の兵士だけが難を逃れた。嵐がおさまると、司令官は残った船を率いてこの島に上陸し、身分の高い者だけを収容して帰国してしまった。この島は無人島で食物もなかったので、兵士たちは絶望と悲嘆に暮れた。

 ここまでは、第二回日本遠征、すなわち弘安の役のあらましです。南風を北風と間違えるなど第一回の時と混同しており、高麗ではなくザイトンから出航したとか、アラカンも日本に来たとか変なところもありますが、おおむね合っています。しかし、ここから完全に与太話となります。

 (ジパングの)本島の王は大いに喜び、海が静かになると国中の船を集めて小島に向かい、軍隊を上陸させた。タタール(モンゴル)軍は賢明にも、逃走するように見せかけて他の道を迂回し、敵軍の船のあるところにたどり着いて、これに乗り込んだ。彼らはただちに本島へ向かい、ジパングの国王の旗を翻して上陸し、首都に向かった。守備隊は味方が帰ってきたのだと思い、少しも疑わずに彼らを通したが、タタール軍は全ての砦を占領し、美女だけを残して住民を全て追い出してしまった。
 国王と軍隊はこれを聞いて落胆したが、残った船で本島に戻り、全軍を集めて首都を包囲した。タタール軍は7ヶ月持ちこたえたが、大カアンに援軍を求めることもできず、この島から逃げ出さないという条件でついに降伏した。これは1279年(1281年)に起きたことである。大カアンは逃げ帰った将軍の首を刎ね、(彼と仲違いして)小島に残されたもうひとりの将軍も処刑させた。

 残った兵が降伏して捕虜になったのは合っていますが、将軍の一人が残されたとか、首都を占領したというのは明らかな法螺話です。高麗や旧南宋の人々が、遠征軍の噂話を増幅させて作り上げたのでしょう。帰国した将軍も処刑はされていません。

 大カアンの軍隊が首都を占領した時、一つの砦を襲撃した。敵は降伏しなかったので陥落後に全員斬首したが、そのうち八人だけは刃物で傷を与えることができなかった。これは腕の皮膚と肉の間にある石の魔力によるものであったが、将軍が刃物ではなく棒で殴らせると死んでしまった。その石はえぐり出され、非常な貴重品として扱われた。

 一種のムテキ・アティチュードを付与する、『覚悟のススメ』に出てきそうなアイテムです。これはチャイナ南部に伝わる呪禁・禁術のたぐいで、刃物によって傷つくことを禁じた呪術ジュージュツですが、刃物以外の攻撃は通ってしまいます。『抱朴子』には孫呉の将軍の賀斉が山越を討伐した時、禁術で守られた敵を同様の方法で倒したと記されています。石のことは抱朴子にはありませんが、後から付け加えられたのでしょうか。

 ジパング島の住民は、マンジ(蛮子/江南)やカタイ(漢地/華北)の住民と同じく偶像(神仏)を崇拝する。これらのうちあるものは牛の頭をしており、豚や犬、羊の頭をしたのもある。頭は四つやそれ以上あるものもあり、手も四本や十本、千本あったりする。彼らの先祖が伝えてきたもので、そのまま後代へ永久に伝えていくつもりだという。偶像の前で行われる儀式はまことに悪魔的で、とても紹介することはできない。

 仏教や密教の仏尊、ヒンドゥー教の神々は実際そうした姿をしており、キリスト教徒から見れば悪魔そのものですが、よく見ると悪魔を踏んづけていたりします。キリスト教でも天使や聖人やジーザスがすごい姿だったりしますし、イスラム教徒は聖遺物やジーザスの磔刑像を嘲笑ったといいます。文化が違うだけです。

 ジパングでは、敵を捕虜にした時に身代金が支払われないと、自宅に親戚や知人を呼び集め、捕虜を殺して肉を食べてしまう。世界にこれほどうまい肉はないという。これは他のインド(東南アジア)諸島でも同じである。

 日本に食人の習慣は(あまり)ありませんが、東南アジアやオセアニアでは結構食べていたそうですから、そうした方々の噂が伝わったのでしょう。この頃マルコ・ポーロはザイトンに滞在していたようですし。

『東方見聞録』に記される「ジパング」の話はこの程度です。クビライや高麗国王、実際に遠征した人々や旧南宋の知識人は、もっと詳細で正確な知識を持っていたでしょう。しかし伝聞や与太話混じりにせよ、ヨーロッパから来た人物が日本国について聞き知り、それをヨーロッパへ伝えたということは、これがほぼ初ということになります。これを読んだヨーロッパ人は、東方の彼方の黄金郷に思いを馳せ、やがてコロンブスが「インド諸島」にあるというジパングを目指して出航することになるのです。

 なお英語のジャパン(Japan)、フランス語のジャポン(Japon)、イタリア語のジャッポーネ(Giappone)などは、16世紀にポルトガル人が記録したJampon、Japões、Japam、Japongosといった呼称によります。語源はジパングと同じでしょうが、1554年の世界地図ではジパングとは別の島国として描かれており、同一のものとされるのは1569年からです。実際に日本へポルトガル人が到来したのは1541-43年頃で、1549年には早くもフランシスコ・ザビエルが上陸しています。

◆日◆

◆本◆

 次回は、マルコ・ポーロの帰路について見ていきましょう。行きはユーラシア内陸を通りましたが、帰りは南シナ海やインド洋を通る海路で進むことになりました。モンゴル帝国は陸路ばかりでなく、海路での交易網・経済圏も手中に収めようとしていたのです。

【続く】

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