【AZアーカイブ】ゼロの蛮人(バルバロイ)第十二話
《『王宮日誌 シャルロット秘書録』より》
「そこが、この国々と同じ天地かは分からん。月は一つだし、マジナイ師はもっと弱い。アルビオンもトリステインも聞いたことがない。ガリアは西にあるらしいが、お前のいた国かは分からん」
「『スキタイ』は王族たちの名前で、そいつらが治めている諸部族も、皆スキタイという。緩い連合王国だ。北国で冬は寒いが、平原が多く家畜は良く育ち、水は豊かで農耕にも漁労にも向いている。狩りも盛んだ。黒海という大きな内海の北側が、ほぼ全てスキタイの領土になっている。広さは計り知れない。大きな川が何本もそこへ注いでいて、南の海峡から別の海へ通じている」
「俺たち戦士、自由民はあまり都市を好まず、幌馬車に家財道具を積んで、家畜と共に移動生活する。農民は王族の下僕で、海沿いには商人のいる都市もある。南や東の国々と、交易するのだそうだ。大人は皆、男も女も馬を乗りこなし、弓を見事に引く。女も勇敢に戦う。殺した敵は首を狩り、生皮を剥いで手拭いや旗などにする。負けることは滅多にない。戦いで見事に死ねば天界に生まれ変わると、信じている」
「長老たちはこう言う。昔、天の神ゼウスが川の女神と交わり、タルギタオスという男をもうけた。その男には三人の息子がおり、末息子の子孫が代々三つの『黄金の神器』を受け継いで、王様の証とする。ゼウスの子で英雄の、ヘラクレスが祖先だともいう。太陽神の他、いろんな神がいる。好きなのは酒と馬、黄金、大麻と蒸し風呂。若くて強い者が尊敬され、弱い者は努力しないと死ぬ。大年寄りは皆で殺し、その肉を煮て食べるそうだ」
「黒海の南には、沢山の国々がある。ギリシア人(ヘレネス)もペルシア人も、都市に住んで商売を行う。ペルシアは世界一大きな帝国だ。広さがどのぐらいあるのかも分からない。とても強い。ギリシア人は海辺に住んで、小国に分かれて小競り合いをしている。口煩くて嫌な奴らだ。マケドニアはギリシアの北にある王国で、強い軍隊を持つ。他にもフェニキアやケルトやエトルリアなど、いろいろな民族がいるらしい」
トラクスは、様々な事を教えてくれた。地理、歴史、生活、神話、伝説。酒が入って機嫌のいい時は、スキタイの歌や踊りも披露してくれた。特に陽気でもないが、穏やかな男であった。これがあの日、何十人という人間を斬り殺した、あの男と同じ人物なのだ。平和な環境が人を変えるのか。あるいは、人間の持つ多面性というものか。
とはいえ、トラクスにも日々の予定がある。日課として、体が鈍らないように四時間ほど剣技を磨く。思い通りに体が動く『ガンダールヴ』ばかりに頼らず、それが心身にしっかりと馴染むよう、動きの一つ一つを大切にする。 傍で見ていると、舞を舞うようだ。理にかなった動きは、美しい。
騎士として下賜された、風竜の世話と調教もある。馬の扱いが上手なせいか、わりとすぐ馴れた。その合間や夕方に、私たちの調査に付き合ってもらうのである。食事や酒を共にすることもあった。
メンヌヴィルとかいう傭兵の部下たちも、たまに顔を見せるが、お勉強には興味がないらしい。トラクスの剣の練習に付き合う場面もあった。フーケ、いやマチルダも戻ってきた。穏やかに時間が過ぎていく。
スキタイ人のトラクス……忘れることはできぬ。
◆
「随分書き溜めましたね、ミス・タバサ」
「貴方も。ミスタ・ユリシーズ」
アルビオンに来て三週間ほど。私たちの『トラクス伝』もそれなりの分量になった。クロムウェルに見せても満足な出来だ。たまにルイズのところへも顔を出しておく。籠の鳥、優雅な囚われ人はまずまず健康のようだ。
「あらタバサ、三日ぶりかしら。お元気? すぐにお茶を出させるわ。ところで、トラクスの馬鹿はどうしているの? 国王殺しの蛮人様は。裏切り者のロングビル、いやフーケもね」
「元気」
ルイズの桃色の髪は、あの時トラクスに頭皮を剥がされたが、水の秘薬ですっかりくっついていた。それ以来ルイズがトリートメントに気を使い、高級な秘薬を惜しげもなく使うので、以前より艶やかになっていた。
「ふーん。あんたたち、暇仕事にこんな物を書いているのね。ちょっと面白そう」
「興味深い」
「蛮族の土地の地理や歴史なんて、たいして気にもしていなかったわ。私にも文筆の才能があればよかった。もお退屈で、退屈で、死にそうよ! あいつも自分の国へ帰りたいのかしら。ああ、私も早く帰りたいなあ、トリステインへ!」
トラクスへの恨みより、望郷の念が大きいようだ。彼に会わせてもルイズが騒ぎ立てるだけだろうが。
「まあ、トリステインの皆に救出されるまでの辛抱よ。トラクスとフーケは捕まれば死刑だし。それに、自分の杖がなかったら、私たちメイジは何もできないわ……ねえタバサ、どうにか取り返せない?」
◆
ある日の午後。トラクスの部屋のドアがノックされる。
「タバサか? 鍵は開いている、入っていい」
「いんや、オレだよ。よおお、久し振りだね、サー・トラクス」
野太い中年の男の声。傭兵隊長のメンヌヴィルだ。マチルダもいる。なんとも変わった取り合わせだ。
「クロムウェルの旦那から連絡だぜ。皇帝陛下だし、勅命か。そろそろ準備が整ったようだ。三日後から、いよいよ戦争だぜ! トリステイン侵攻作戦の第一歩として、橋頭堡となる『ラ・ロシェール』を攻略せよ、だとよ。あちらさんも、すっかりお待ちだろうしねえ。腕が鳴るなあ、焼きたいなあ」
「あそこは岩の街。土メイジのあたしには好都合な地形さ。岩のゴーレムを創造して、奴らをブッ潰してやるよ」
マチルダが久し振りに戦場での顔つきになる。いい女戦士(アマゾン)だ。
デルフも交えて四方山話が始まる。メンヌヴィルとマチルダは休みの間、反乱兵や王党派の残党狩りもしていたそうだ。
「まったく、野蛮だよこいつは。人間だろうがトロール鬼だろうが、有無を言わさず消し炭さ。ちったあ金銀財宝を大事にして欲しいね。資金集めでもあったんだし」
「蛮人さんのツレに野蛮と言われてもなあ。少しはオレのささやかな愉しみを理解して欲しいもんだ」
「おでれーた! モノが焼きたきゃあ、焼肉屋か鍛冶屋か陶工にでもなりな! 火の加減ができないからダメか?」
「それに、あんなに命乞いしていた村を焼き尽くしたのには、反吐が出るね。王党派ったって、領主様がそうだっただけで、村人は関係ないだろ! アルビオン人として抗議するよ」
「なあに、昔オレがトリステインで下級貴族をやっていた頃なんかな……」
トラクスが注文していた、マジナイのかかった軽い甲冑も届いた。高かったが、デザインもいい。出撃の時は、アルビオン軍の花形・竜騎士として戦うことになろう。また殺戮が始まるのだ。今度は一騎駆けではなく、軍隊での戦争として。
◆
《『王宮日誌 シャルロット秘書録』より》
夕方。私の部屋に、書類を携えたユリシーズが一人で入ってきた。椅子をすすめる。
「戦争? トリステインへ?」
「ええ、いよいよですよ。とはいえ私たちは後方勤務で、出撃はしません。貴女がた人質のお守りですが、これも立派な任務ですよ。出撃しないのは皇帝陛下もですがね」
お喋りなユリシーズがおどけた表情をする。シルフィードの事は、彼には伝わっているだろうか。
「ガリアやゲルマニアは?」
「貴女の母国は中立ですな。ハルケギニア最大の王国に出て来られると、確実に小国は滅びますので。ゲルマニアもロマリアも日和見です。一応トリステインと同盟交渉はしていますが、空の上までは腰が重いようで。アルビオンの皇太子がトリステインにいるため、各地に亡命していた王党派が集まってはいるのですが、我々『レコン・キスタ』の兵力には敵いません。両王国の最期も近いというところですな」
「攻撃目標を教えて」
「まあ、当然ながら港町の『ラ・ロシェール』を奇襲して、抑えに出ますわな。あの近郊にタルブという草原地帯があるので、そこを艦隊集結地に使うとか。いや、私も詳細は分からんですよ」
私の質問に、ユリシーズは当たり障りのない返答を返す。しかし興奮しているのか、饒舌だ。
「最終的にはエルフを打ち破り、『聖地』奪回を目指しておりますが……どうでしょうね。確かに『レキシントン』など空中艦隊は充実していますが、歴史上奴らに勝った試しが、ほぼないもんで……」
開戦か。不可侵条約は反故にされ、国家の間で殺戮が始まるのだ。
珍しい事ではない。ただ、今回はアルビオンの政府が違い、おかしな理想を掲げているだけだ。
珍しい事ではない。だが、千載一遇のチャンスだった。
私は彼の背後へ回りこみ、懐に隠し持っていた鋭利な石のナイフをユリシーズの咽喉に突きつける。
「動かないで。必要以上のことは喋らないで」
「ひっ!?」
人質の食器は木製、刃物は部屋に置かれず、宮殿の奥に武器を持って入れる者は少ない。細い鵞ペンは武器にもならない。このナイフは切り札だった。部屋の大理石の壁を密かに剥がし、磨いて作ったものだ。
「み、ミス・タバサ。ご冗談を」
「冗談ではない。杖を返し、私とルイズを脱出させて。さもないと、このまま咽喉を切り裂く」
これは殆ど賭けだ。だが、私たちの事に責任を持たされている男。杖の場所は分かるかもしれない。城壁の外には、シルフィードも待機させた。そこまで逃げれば、あとは一直線にトリステインへ。ワルド子爵たちも待っている手筈だ。衛兵たちも気が緩み、今は戦争騒ぎで浮き足立っている。警備も手薄になりだした、今が好機のはず。私もいつまでも大人しくしているわけには、いかないのだから。
「ルイズの部屋の鍵は今開いている?」
「い、イエス」
「女官たちは何人? 衛兵は?」
「に、入浴の準備で、今は女官だけ二・三人のはず。衛兵は外に少しいるだけ」
「杖はどこ? 宝物庫にあるなら、鍵の在処も」
「……言えません。貴女がたを逃がせば、私はどの国にもいられなくなる」
ユリシーズは自分の杖を抜こうとするが、素早く手首を捻り上げて脱臼させ、這い蹲った彼から杖を奪う。
「これは預かっておく。命が惜しければ、協力して。上手く脱出できれば、ガリア王国で平民として再出発させてあげてもいい。報酬も出す。トリステインやアルビオン王党派とは、弁護もするが上手く交渉すること。国王殺しの共犯者として、命懸けで」
「そりゃ無理です! 分かりました、協力しますよ!」
拷問を始めるまでもなく、ユリシーズは『杖』の場所をあっさり吐いた。体術だけでも私に敵わないと見て、観念したらしい。信用はしないが、言われた物置部屋を探ったら杖は見つかった。
「クロムウェル陛下は変人過ぎて、あまり人気はありません。そのうちボロが出て負けるでしょう。エルフどもに勝つなんて夢物語、アルビオンは滅びます。ガリアの『無能王』の方がまだマシ。こうなりゃ、俺も腹を括りますよ。……あ~あ、また失業か」
砕けた口調にふっと笑い、私は荷作りする。衣服と財布と飲食物と『トラクス伝』の原稿、あとはたいした物はない。ユリシーズの杖は預かっておき、両手首を縄で結ばせてもらう。おかしな真似をすれば眠ってもらおう。
「奴隷になった気分……いや、そういう趣味はないですから、俺」
「トラクスは鎖で手足を縛られ、毎日鞭で叩かれていた。しばらく辛抱して」
ルイズの部屋に侵入し、静かに女官を眠らせて彼女を救出する。流石にトラクスの部屋には行けない。ラ・ロシェールではまた血の雨が降るだろう。私は彼と対峙し、それを止める事ができるだろうか。
宵闇に隠れて、三人は宮殿の裏側の城壁へ近づく。ふわりとシルフィードが舞い降りた。
「げっ、この風竜は……!」
「ミスタ・ユリシーズ、貴方のお喋りに感謝する。これは私の使い魔、シルフィード。ウェールズ皇太子を逃したのも彼女。感覚共有により、トリステインの首脳に逐一報告をしていた。『レコン・キスタ』侵攻の第一報も帰還して送る。奇襲は不可能」
「しまったあ、こいつを忘れてましたよ! うわあ、俺やっぱダメッピくんだああ!」
「くっ、くくくくく、笑わせないで二人とも。さあ、帰りましょう! 我が麗しのトリステインへ!!」
開戦まで三日。トリスタニアからラ・ロシェールまで、早馬で二日。アルビオンからラ・ロシェールまで、最大に近づいた時でもフネで約半日。ギリギリだ。しかし、シルフィードの速度なら大丈夫。彼女は馬の数十倍の速度で飛ぶのだから!!
「ああ、爽快!! ざまあみろだわ、トラクスにクロムウェル! あんたたちなんて、始祖ブリミルが許しておかないんだから!! あっははははははは!!!」
アルビオンの夜空に、解放されたルイズの哄笑が響き渡った。
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