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2023年2月の記事一覧

【つの版】度量衡比較・貨幣80

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  1580年、スペインはポルトガルと同君連合となり、領土を繋げば地球を一周する「太陽の沈まない帝国」となりました。そして彼らがもたらした大量の銀は、東アジアを含むグローバル経済の血液となっていったのです。 ◆二対◆ ◆一条◆ 白銀流通 久しぶりにチャイナへ戻ってみましょう。明朝は海外貿易を表向きでは禁止していましたが、仲買商人の組合(牙行)などにより貿易は続いていました。日本は朝貢貿易や倭寇、琉球や朝鮮を介して明国と大い

【つの版】ウマと人類史EX02:馬耕三圃

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  今回は、中世ヨーロッパのウマについて見ていきましょう。とはいえ中世は長いので、まず5世紀から10世紀末までの中世前期とします。古代ローマ帝国が崩壊し、蛮族が跳梁跋扈して「暗黒時代」とも評されたこの時代に、ウマは大きくヨーロッパ社会を変動させました。 ◆うま◆ ◆ゆる◆ 重装騎兵 重装歩兵を主要戦力とした古代ギリシアやマケドニア、ローマにおいてもウマは重要な家畜でした。貴重かつ手間がかかるため貴族や金持ちしか自前の軍馬は持てま

【つの版】度量衡比較・貨幣79

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  織田信長の家臣であった羽柴秀吉は、主君の仇・明智光秀を討って織田家を牛耳り、新たな天下人として日本統一を実現していきます。この頃、日本の外はどうなっていたのでしょうか。 ◆比律◆ ◆賓国◆ 破産宣言 1556年1月、スペイン王カルロス1世/神聖ローマ皇帝カール5世は長年の統治と痛風のため退位し、スペイン王位とネーデルラントを息子フェリペに、神聖ローマ皇帝の帝位とオーストリアを弟フェルディナントに譲りました。広大なハプス

【つの版】ウマと人類史EX01:古代馬種

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  近代史を追うのもここらで一区切りとしましょう。ここから本題に戻り、ウマと人類の関わりについて掘り下げて行こうと思います。  紀元前3500年頃、人類はおそらくウクライナ付近で野生のウマを家畜化し始めました。当初は食用や運搬、荷車牽引用でしたが、前2000年頃にスポークつき車輪が発明され、軽快な二輪戦車(チャリオット)が開発されると、ウシより脚の速いウマが牽くことで人類は卓越した機動戦力を手にします。そして、ついにはウマそのものに

【つの版】度量衡比較・貨幣78

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。  主君・織田信長を本能寺の変で討ち取った明智光秀は、わずか11日後には羽柴秀吉に敗れて落命しました。秀吉は光秀討伐の大功によって織田家第一の重臣となり、主家と天下を牛耳っていくことになるのです。しかしだいぶ貨幣の話からズレましたし、そろそろかいつまんで軌道修正しましょう。 ◆太◆ ◆閤◆ 石高制度 鎌倉時代から室町時代にかけて海外から大量の銭が輸入されると、税収は銭によって換算されるようになりました。支配者は田地の面積や

【つの版】ウマと人類史:近代編30・戊辰戦争

 ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。  将軍徳川家茂は1866年(慶応2年)7月に大坂城で薨去し、一橋慶喜が将軍代行として長州征討を続けますが、相次ぐ戦乱や災害で国内は混乱し、幕府の権威は大いに揺らぎます。薩摩藩ら西国雄藩はこれを好機として幕府を批判し、朝廷への影響力を取り返そうと結託します。 ◆鳥羽◆ ◆伏見◆ 四侯会議 家茂が薨去した頃、薩摩藩は朝廷へ長州征伐反対の建白書を提出します。その内容は「寛大の詔を下して兵を解き、天下の公議を尽くして大いに政体を更新し