【つの版】倭国から日本へ05・継体崩御
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
継体天皇は親百済外交で百済を復興させ、倭国の王権を強めましたが、代償として任那諸国は弱体化し、新羅や大加羅の侵略を受けました。倭国内にも不満が鬱積し、新羅と結んだ磐井の乱が起きます。このような状況が解決できないまま、継体は崩御の時を迎えました。
当時のチャイナや半島諸国からすれば「倭王が死んだ」「倭王が薨じた」となるでしょうが(卑彌呼も倭の五王も「死」で済まされています)、日本書紀では歴代の倭国王も遡って「日本国の天皇」として扱われ